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(★436㌻) 法華経は一代聖教の肝心、八万法蔵の依りどころなり。大日経・華厳経・般若経・深密経等の諸の顕密の諸経は震旦・月氏・竜宮・天上・十方世界の国土の諸仏の説教恒沙塵数なり。大海を硯水とし、三千大千世界の草木を筆としても、書き尽くしがたき経々の中をも、或は此を見、或は計り推するに、法華経は最第一におはします。 |
法華経は一代聖教の肝心であり、八万法蔵の依りどころである。仏法には大日経・華厳経・般若経・解深密経等の、諸の顕経・密経の経典があり、それらの経典は、中国・インド・竜宮城・天上界にまで弘められ、十方世界の国土における諸仏が説いた教法はガンジス河の沙塵のように無数である。これらの、大海を硯の水とし、三千大千世界の草木を筆としても書き尽しがたいほど経々の中において、あるいはこれらの諸経を見、あるいはその内容をを推考してみても、法華経は諸経の中で最第一の位置にあるのである。 |
| 而るを印度等の宗、日域の間に仏意を窺はざる論師人師多くして、或は大日経は法華経に勝れたり。或人々は法華経は大日経に劣るのみならず、華厳経にも及ばず。或人々は法華経は涅槃経・般若経・深密経等には劣る。或人々は辺々あり、互ひに勝劣ある故に。或人の云はく、機に随って勝劣あり、時機に叶へば勝れ、叶はざれば劣る。或人の云はく、有門より得道すベき機あれば、空門をそしり有門をほむ。余も是を以て知るベしなんど申す。 | 法華経が一代聖教中で最第一であるのを、インド等の宗派や日本の仏教界には、仏の本意を正しく知らない論師や人師が多くいてある者は大日経は法華経より勝れているといい、ある人々は法華経は大日経に劣るばかりでなく華厳経にも及ばないといい、ある人々は法華経は涅槃経や般若経や深密経等よりも劣るといっている。またある人々はそれぞれの面で特色があり、互いに勝劣があるのだから視点を定めて経文の勝劣を判じなければならないという。そして、ある人は衆生の機根に随って勝劣があるのであり、時と機根に叶えば勝れた経であり、時機に叶わなければ劣る経であるという。ある人は有門の教説によって得道する機根であれば、空門をそしり有門をほめて有門が勝れているとするのであり、その他のこともこのことをもって知るべきである等といっているのである。 | |
| 其の時の人々の中に此の法門を申しやぶる人なければ、おろかなる国王等深く是を信じさせ給ひ、田畠等を寄進して徒党あまたになりぬ。 |
その時代の人々のなかに、これらの法門を破折する人がいなかったならば、愚かな国王は深くこれらの法門を信奉されて田畠を寄進し、帰依する信徒も多くなった。 |
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| 其の義久しく旧りぬれば、只正法なんめりと打ち思ひて、疑ふ事もなく過ぎ行く程に、末世に彼等が論師人師より智慧賢き人出来して、彼等が持つところの論師人師の立義、一々に或は所依の経々に相違するやう、或は一代聖教の始末浅深等を弁へざる故に専ら経文を以て責め申す時、各々宗々の元祖の邪義、扶け難き故に陳じ方を失ひ、或は疑って云はく、論師人師定めて経論に証文ありぬらん、我が智及ばざれば扶けがたし。或は疑って云はく、我が師は上古の賢哲なり、今我等は末代の愚人なり、なんど思ふ故に、有徳高人をかたらひえて怨のみなすなり。 | そしてそれらの法門が、時を経て古いものとなると、人々はそれらの法門がきっと正法なのだろうと思ってしまい疑うこともなくなって過ぎていくうちに末世となった。そのとき彼等が帰依した論師や人師よりも智慧の賢い人が出現して、彼等が持つ論師や人師の立義の一つ一つについて、あるいはその立義が依所とする経々と相違しているさまを責、あるいはその立義が一代聖教の順序や浅深等を弁えていないため、もっぱら経文によってそれらの立義を責めたてたところ、彼等はおのおの宗派の元祖の邪義を扶けることができないので、返答のしようがなく、ある者は疑って「論師や人師の説は必ず経論にその証拠の文があるのだろう。しかし、私の智慧が及ばないから扶けることができない」といい、ある者は疑って“私の師は上古の賢哲である。いまの私達は、末代の愚人である”等と思う故に、徳のある人や身分の高い人を味方にして、法華経の行者に対して、怨嫉だけをするのである。 |
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しかりといへども、予自他の偏党をなげすて、論師人師の料簡を閣いて、専ら経文によるに、 (★437㌻) 法華経は勝れて第一におはすと意得て侍るなり。法華経に勝れておはする御経ありと申す人出来候はゞ、思し食すべし。此は相似の経文を見たがへて申すか。又、人の私に我と経文をつくりて事を仏説によせて侯か。智慧おろかなる者弁へずして、仏説と号するなんどと思し食すべし。慧能が壇経、善導が観念法門経、天竺・震旦・日本国に私に経を説きをける邪師其の数多し。其の外、私に経文を作り、経文に私の言を加へなんどせる人々是多し。然りと雖も、愚かなる者は是を真と思ふなり。譬へば天に日月にすぎたる星有りなんど申せば、眼無き者はさもやなんど思はんが如し。我が師は上古の賢哲、汝は末代の愚人なんど申す事をば、愚かなる者はさもやと思ふなり。 |
しかしながら、私は自他への執着や偏りをなげすて、論師・人師の考えを閣いて、もっぱら経文によってみるに、法華経は他の経より勝れてて第一であると心得たのである。もし法華経より勝れている経があるという人が出てきたならば、つぎのように考えるべきである。この人は法華経によく似た経文を見誤っていうのであろうか。また人が自分で勝手に経文をつくり、仏説にことをよせているのを、智慧の足りない者が、真偽を弁えずに仏説であるといってるのである等と思うべきである。たとえば慧能の壇経・善導の観念法門経・インド・中国・日本国に自分勝手に経を説いた邪師の数は多い。そのほか自分で経文を作り、経文に自分の言葉を加えるなどする人々がこれまた多い。 しかしながら、愚者はこれらを真実の経文であると思うのである。たとえば、天に日月よりまさる星があるなどといえば、盲人の人はそのとおりかもしれないなどと思うようなものである。我が師は上古の賢哲であるが、あなたは末代の愚人ではないか等ということを、愚かな者はそのとおりであると思うのである。 |
| 此の不審は今に始りたるにあらず。陳隋の代に智・法師と申せし小僧一人侍りき。後には二代の天子の御師、天台智者大師と号し奉る。此の人始めいやしかりし時、但漢土五百余年の三蔵人師を破るのみならず、月氏一千年の論師をも破せしかば、南北の智人等雲の如く起こり、東西の賢哲等星の如く列なりて、雨の如く難を下し、風の如く此の義を破りしかども、終に論師人師の偏邪の義を破して、天台一宗の正義を立てにき。日域の桓武の御宇に最澄と申す小僧侍りき。後には伝教大師と号し奉る。欽明已来の二百余年の諸の人師の諸宗を破りしかば、始めは諸人いかりをなせしかども、後には一同に御弟子となりにき。此等の人々の難に我等が元祖は四依の論師、上古の賢哲なり、汝は像末の凡夫愚人なり、とこそ難じ侍りしか。正像末には依るベからず、実経の文に依るべきぞ。人には依るべからず、専ら道理に依るべきか。外道仏を難じて云はく、汝は成劫の末、住劫の始めの愚人なり。我等が本師は先代の智者、二天三仙是なり、なんど申せしかども、終に九十五種の外道とこそ捨てられしか。 |
この不審は今に始まったことではない。陳・隋の代に智顗法師という小僧が一人いた。後には二代の天子の御師となり、天台智者大師といわれたのである。この人が初め身分の低かったころ、ただ中国の五百余年の三蔵や人師を破折しただけでなく、インド一千年間の論師をも破折したので、南北の智人等は雲の如く起こり、東西の賢哲等は星の如く列なって、雨のように非難をあびせ、風のように智顗の義を破ろうとしたけれども終に智顗は論師・人師の偏頗な邪義を破して天台一宗の正義を立てたのである。 また日本の桓武天皇の御宇に最澄という小僧がいた。後には伝教大師といわれた人である。彼は欽明天皇以来の二百余年の間の諸の人師の立てた諸宗の邪義を破折したので、初めは諸人が怒りをなしたが、後には諸人一同に最澄の弟子となった。 この天台・伝教を非難した人々は「我等の元祖は四依の論師・上古の賢哲である。しかるに汝は像法の末の凡夫であり愚人ではないか」といった。しかし主張の邪正は正法・像法・末法という時代には依るべきではない。実経の文に依るべきである。人には依るべきではない。もっぱら道理に依るべきであろう。外道は仏を非難して「汝は成劫の末・住劫の始めの愚人である。我らの本師は先代の智者・二天・三仙である」などといったけれども、終に九十五種の外道といわれて捨てられたのであった。 |
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日蓮八宗を勘へたるに、法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依って或は実経に同じ、或は実経を下せり。是論師人師より誤りぬと見えぬ。倶舎・成実は子細ある上、律宗なんど小乗最下の宗なり。人師より権大乗、実大乗にもなれり。真言宗・大日経等は未だ華厳経等にも及ばず、何に況んや涅槃・法華経等に及ぶべしや。 (★438㌻) 而るに善無畏三蔵は華厳・法華・大日経等の勝劣を判ずる時、理同事勝の謬釈を作りしより已来、或はおごりをなして法華経は華厳経にも劣りなん、何に況んや真言経に及ぶベしや。或は云はく、印・真言のなき事は法華経に諍ふベからず。或は云はく、天台宗の祖師多く真言宗を勝ると云ひ、世間の思ひも真言宗勝れたるなんめりと思へり。日蓮此の事を計るに人多く迷ふ事なれば委細にかんがへたるなり。粗余処に註せり。見るベし。又志あらん人々は存生の時習ひ伝ふべし。人の多くおもふにはおそるべからず、又時節の久近にも依るベからず、専ら経文と道理とに依るべし。 |
日蓮が八宗を考察してみるに、法相宗・華厳宗・三論宗等は権経に依経として、あるいは権経は実経と同じであるとしたり、あるいは実経を権経より低い教えであると下している。これは論師・人師から誤ったものと思われる。倶舎宗・成実宗は子細があるうえ、律宗などは小乗教の中でも最も低い宗である。人師より論師が勝れ、権大乗経より実大乗経が勝れていたのであるから、真言宗とその依経である大日経等は、いまだ華厳経等にも及ばない。まして涅槃経・法華経等に及ぶはずがないのである。ところが善無畏三蔵が華厳経・法華経・大日経等の勝劣を判定した時、理同事勝の誤った解釈を作って以来、あるいは思い上がって「法華経は華厳経にも劣るであろう。まして真言経に及ぶことがあろうか」、あるいは「法華経に印・真言のないということは争う余地もないことである」といい、あるいは「天台宗の祖師の多くも真言宗が勝れているといい、世間の人々も真言宗が勝れているであろうと思っている」という。日蓮はこの事を考えるにあたり、多くの人々が迷うことなので事細かに考えたのである。大略は他の書に記しておいたので見ておきなさい。また志のある人々は、存生の間によく習い伝えるべきである。 多くの人が思っているからといって、おそれてはいけない。また、その教義が立てられて年を経ているとか、新しいとかに依るべきでもない。ただ経文と道理とに依るべきである。 |
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浄土宗は曇鸞・道綽・善導より誤り多くして、多くの人々を邪見に入れけるを、日本の法然、是をうけ取りて人ごとに念仏を信ぜしむるのみならず、天下の諸宗を皆失はんとするを、叡山三千の大衆・南都興福寺・東大寺の八宗より是をせく故に、代々の国王勅宣を下し、将軍家より御教書をなしてせけどもとゞまらず。弥々繁昌して、返りて主上上皇万民等にいたるまで皆信伏せり。 |
浄土宗は曇鸞・道綽・善導から誤りが多くて、多くの人々の邪見を入れてしまったのを、日本の法然はこの浄土宗を受け取って、人ごとに念仏を信じさせただけでなく、国中の諸宗を皆滅ぼそうとした。そこで、比叡山の三千の大衆や奈良の興福寺・東大寺などの八宗がこれを防いだので、代々の天皇は勅宣を下し、将軍家からは御教書を下して防いだけれど止められず、ますます繁昌して、かえって天皇・上皇・万民等にいたるまでみな信状するようになった。 |
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| 而るに日蓮は安房国東条片海の石中の賤民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。なにゝつけてか、南都北嶺のとゞめがたき天子虎牙の制止に叶はざる念仏をふせぐベきとは思へども、経文を亀鏡と定め、天台伝教の指南を手ににぎりて、建長五年より今年文永七年に至るまで、十七年が間是を責めたるに、日本国の念仏大体留まり了んぬ。眼前に是見えたり。又国にすてぬ人々はあれども、心計りは念仏は生死をはなるゝ道にはあらざりけると思ふ。 | ところが日蓮は安房の国・東条の片海の磯に住む賎民が子である。威徳もなく有徳の者でもない。奈良や叡山が防ぎ止めることができず、さらに天皇の威力によっても制止できない念仏を、どうして防ぐことができるだろうかとは思うけれども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手にして建長五年から今年・文永七年に至るまで十七年の間、念仏を責めたので、日本国の念仏はだいたい防ぎ止め終わった。このことは眼前に見えるところである。また口には念仏を捨てていない人はあっても心の中では念仏は生死を離れる道ではなかったのだと思っている。 |
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禅宗以て是くの如し。一を以て万を知れ。真言等の諸宗の誤りをだに留めん事、手ににぎりておぼゆるなり。況んや、当世の高僧・真言師等は其の智牛馬にもおとり、螢火の光にもしかず。只、死せるものゝ手に弓箭をゆひつけ、ねごとするものに物をとふが如し。手に印を結び、口に真言は誦すれども、其の心中には義理を弁へる事なし。結句、慢心は山の如く高く、欲心は海よりも深し。是は皆自ら経論の勝劣に迷ふより事起こり、 (★439㌻) 祖師の誤りをたゞさゞるによるなり。 |
禅宗もこれと同じである。一事をもって万事を知りなさい。真言衆等の諸宗の誤りを制止することさえ思うがままである。まして当世の高僧や真言師等は、その智慧は牛馬にも劣り、螢火の光にも及ばない。まさに死者の手に弓箭を結びつけ、寝言をいう者にたずねるようなもので、じつにはかないことである。手に印を結び、口に真言をとなえてはいるけれども、その心中には義理をわきまえていない。そればかりか、慢心は山のように高く、欲望の心は海よりも深い。これは、皆、自らが経論の勝劣に迷うことから起こり、祖師の誤りをたださないことから起きるのである。 | |
| 所詮、智者は八万法蔵をも習ふベし、十二部経をも学すべし。末代濁悪世の愚人は、念仏等の難行易行等をば抛ちて、一向に法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。日輪東方の空に出でさせ給へば、南浮の空皆明らかなり。大光を備へ給へる故なり。螢火は未だ国土を照らさず。宝珠は懐中に持ちぬれば、万物皆ふらさずと云ふ事なし。瓦石は財をふらさず。念仏等は法華経の題目に対すれば、瓦石と宝珠と、螢火と日光との如し。我等が昧き眼を以て螢火の光を得て、物の色を弁ふべしや。旁凡夫の叶ひがたき法は、念仏真言等の小乗権経なり。 |
結局、智者は八万法蔵をも習うべきであり、十二部経をも学ぶべきである。しかし末代濁悪世の愚人は念仏等の難行道・易行道等の義を抛って、ただひたすらに法華経の題目を南無妙法蓮華経と唱えるべきである。太陽が東方の空にのぼったならば、南縁浮提の空は皆明るくなる。太陽は大光を備をそなえているからである。螢火は一国土でさえ照らすことはできない。また、宝珠を懐中に持っていれば、どんなものでも降らすことができるが、瓦や石は財宝を降らすことはできない。念仏等は、法華経の題目にくらべれば、瓦石と宝珠、螢火と日光のようなものである。 我等のような昧い眼の者が螢火の光によって物の色をわきまえることができようか。いずれにしても、凡夫の成仏が叶いがたい教法は、念仏・真言等の小乗教・権教である。 |
| 又、我が師釈迦如来は一代聖教乃至八万法蔵の説者なり。此の裟婆無仏の世の最先に出でさせ給ひて、一切衆生の眼目を開き給ふ御仏なり。東西十方の諸仏菩薩も皆此の仏の教へなるべし。譬へば、皇帝已前は人、父を知らずして畜生の如し。尭王已前は四季を弁へず、牛馬の癡かなるに同じかりき。仏世に出でさせ給はざりしには、比丘・比丘尼の二衆もなく、只男女二人にて候ひき。今比丘・比丘尼の真言師等、大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、念仏者等が阿弥陀仏を一向に持ちて釈迦如来を抛ちたるも、教主釈尊の比丘・比丘尼なり。元祖が誤りを伝へ来たるなるべし。 | また、我が師・釈迦如来は。一代聖教・八万法蔵を説かれた仏である。この娑婆世界の仏のいない世に、最初に出現されて一切衆生の眼目を開かれた御仏なのである。東西十方の諸仏・菩薩も皆この仏が教えられたのである。たとえば、三皇五帝以前は、人間は父を知らない畜生のようであった。尭王以前には、四季をわきまえず、愚かな牛馬と同じであった。同様に、仏がこの世に出現されなかったときには、比丘・比丘尼の二衆はなく、ただ男女の区別があるだけであった。今、比丘・比丘尼の真言師等が大日如来を御本尊と定めて釈迦如来を下し、念仏者等が阿弥陀仏のみを一向に持って釈迦如来を抛てているが、その者も教主釈尊の比丘・比丘尼である。にもかかわらず、本師に背くのは、各宗派の元祖の誤りを伝えてきたからであろう。 | |
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此の釈迦如来は三の故ましまして、他仏にかはらせ給ひて裟婆世界の一切衆生の有縁の仏となり給ふ。一には、此の裟婆世界の一切衆生の世尊にておはします。阿弥陀仏は此の国の大王にはあらず。釈迦仏は譬へば我が国の主上のごとし。先づ此の国の大王を敬ひて、後に他国の王をば敬ふべし。天照太神・正八幡宮等は我が国の本主なり。述化の後神と顕はれさせ給ふ。此の神にそむく人、此の国の主となるべからず。されば天照太神をば鏡にうつし奉りて内侍所と号す。八幡大菩薩に勅使有って物申しあはさせ給ひき。大覚世尊は我等が尊主なり、先づ御本尊と定むベし。二には、釈迦如来は裟婆世界の一切衆生の父母なり。先づ我が父母を孝し、後に他人の父母には及ぼすべし。 (★440㌻) 例せば、周の武王は父の形を木像に造りて、車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り、殷の紂王をうつ。舜王は父の眼の盲たるをなげきて涙をながし、手をもてのごひしかば本のごとく眼あきにけり。此の仏も又是くの如し、我等衆生の眼をば開仏知見とは開き給ひしか。いまだ他仏は開き給わず。三には、此の仏は裟婆世界の一切衆生の本師なり。此の仏は賢劫第九、人寿百歳の時、中天竺浄飯大王の御子、十九にして出家し、三十にして成道し、五十余年が間一代聖教を説き、八十にして御入滅、舎利を留めて一切衆生を正像末に救ひ給ふ。阿弥陀如来・薬師仏・大日等は、他土の仏にして此の世界の世尊にてはましまさず。 |
この釈迦如来は三つの理由があって他仏に代わって娑婆世界の一切衆生の有縁の仏となられたのである。 第一には、この娑婆世界の一切衆生の世尊であられる。阿弥陀仏はこの国の大王ではない。釈迦仏は、たとえば我が国の主上のようなものである。まずこの国の大王を敬って後に他国の王を敬うべきである。天照太神・正八幡宮等は我が国の本主であるが、釈迦仏が迹化の後、神と顕れたのである。この神にそむく人はこの国の主となることはできない。それゆえに、朝廷では、天照太神を鏡にうつし祭って、そこを内侍所と称し、また八幡大菩薩へ勅使を遣して神の託宣を受けられたのである。大覚世尊は我等が尊主である。まず御本尊と定むべきである。 第二には、釈迦如来は娑婆世界の一切衆生の父母である。まず我が父母を孝行し、後に他人の父母に孝を及ぼすべきである。例えば周の武王は、父の形を木像に刻んで車にのせて戦の大将と定め、天の感応を受けて殷の紂王を討った。舜王は父が盲目となったことを歎いて涙を流し、手をもって父の目を拭ったところ、もとのように眼が開いたという。この仏もまたこのように我等衆生の眼を「開仏知見」と開かれた。いまだかって他仏が開かれたことはない。 第三には、この仏は娑婆世界の一切衆生の本師である。この仏は賢劫第九の減・人寿百歳の時・中天竺に浄飯大王の御子として誕生、十九歳で出家し三十で成道し、以後五十余年の間、一代聖教を説いて八十歳で入滅された。そして舎利を留めて一切衆生を正像末の三時にわたって救われた。阿弥陀如来・薬師仏・大日如来等は他士の仏であってこの世界の世尊ではないのである。 |
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| 此の裟婆世界は十方世界の中の最下の処、譬へば此の国土の中の獄門の如し。十方世界の中の十悪五逆・誹謗正法の重罪逆罪の者を諸仏如来擯出し給ひしを、釈迦如来此の土にあつめ給ふ。三悪並びに無間大城に堕ちて、其の苦をつぐのひて人中天上には生まれたれども、其の罪の余残ありてやゝもすれば正法を謗じ、智者を罵る罪つくりやすし。例せば身子は阿羅漢なれども瞋恚のけしきあり。畢陵は見思を断ぜしかども慢心の形みゆ。難陀は婬欲を断じても女人に交はる心あり。煩悩を断じたれども余残あり。何に況んや凡夫にをいてをや。 | この娑婆世界は十方世界の中の最下の場所であり、たとえばこの国土の中の獄門のような所である。十方世界の中の十悪・五逆・誹謗正法の重罪・逆罪を犯した者を諸仏如来がおのおのの世界から追い出されたのを、釈迦如来がこの土に集められたのである。三悪ならびに無間大城に堕ちて罪の償いを終え、人界・天上界に生まれたけれども、その罪の余残があってややもすれば正法を謗じたり、智者を罵ったりして罪をつくりやすい。たとえば身子は阿羅漢であるけれども瞋恚の気色があり、畢陵は見思惑を断じたけれども慢心の様子が見え、難陀は婬欲を断じても女人と交わる心があった。これらの声聞ですら煩悩を断じたといってもその余残がある。ましてや凡夫においてはなおさらのことである。 | |
| されば釈迦如来の御名をば能忍と名づけて此の土に入り給ふに、一切衆生の誹謗をとがめずよく忍び給ふ故なり。此等の秘術は他仏のかけ給へるところなり。 | それ故、釈迦如来はその御名をば能忍と名づけてこの土に出現されたわけであるが、それは一切衆生の誹謗の罪をとがめず、よく忍ばれる故である。これらの秘術は他の仏には欠けているところである。 |
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阿弥陀仏等の諸仏世尊悲願をおこさせ給ひて、心にははぢをおぼしめして、還って此の界にかよひ、四十八願・十二大願なんどは起こさせ給ふなるベし。観世音等の他土の菩薩も亦復是くの如し。仏には常平等の時は一切諸仏は差別なけれども、常差別の時は各々に十方世界に土をしめて有縁無縁を分かち給ふ。大通智勝仏の十六王子、十方に土をしめて一々に我が弟子を救ひ給ふ。其の中に釈迦如来は此の土に当たり給ふ。我等衆生も又生を裟婆世界に受けぬ。いかにも釈迦如来の教化をばはなるベからず。而りといへども人皆是を知らず。委く尋ねあきらめば、「唯我一人能為救護」と申して釈迦如来の御手を離るべからず。 (★441㌻) 而れば此の土の一切衆生生死を厭ひ、御本尊を崇めんとおぼしめさば、必ず先づ釈尊を木画の像に顕はして御本尊と定めさせ給ひて、其の後力おわしまさば、弥陀等の他仏にも及ぶべし。 |
阿弥陀仏等の諸仏世尊は悲願を起こされて、心中では恥ずかしく思われたのであろうか。還ってこの娑婆世界にかよい、四十八願や十二大願などを起こされたのであろう。観世音菩薩等の他土の菩薩もまた同様である。仏には常平等の時は一切諸仏には差別がないけれども、常差別の時はおのおの仏が十方世界に自分の国土を定めて有縁・無縁を分けられたのである。大通智勝仏の十六人の王子は十方世界におのおのが国土を定めてそれぞれ自分の弟子を救われるのである。その中で釈迦如来はこの土にあたったのである。我等衆生もまた生を娑婆世界に受けた。なんとしても釈迦如来の教化から離れるべきではないのである。ところが、人は皆、このことを知らない。委く尋ねて明らかにすれば、法華経譬喩品第三に「唯我れ一人だけが能く衆生を救い護る」とあるように、我等衆生は釈迦如来の御手を離れるべきではないのである。そうであるから、この土の一切衆生は、生死の苦をきらい、御本尊を崇めようと思うならば、かならずまず釈尊を木画の像に顕してこれを御本尊と定め、その後、力があるならば阿弥陀仏等の他仏にも及ぶべきである。 |
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然るを当世聖行なき此の土の人々の仏をつくりかゝせ給ふに、先づ他仏をさきとするは、其の仏の御本意にも釈迦如来の御本意にも叶ふべからざる上、世間の礼儀にもはづれて候。されば優大王の赤栴檀いまだ他仏をばきざませ給はず、千塔王の画像も釈迦如来なり。而るを諸大乗経による人々、我が所依の経々を諸経に勝れたりと思ふ故に、教主釈尊をば次ざまにし給ふ。一切の真言師は大日経は諸経に勝れたりと思ふ故に、此の経に詮とする大日如来を我等が有縁の仏と思ひ、念仏者等は観経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思ふ。当世はことに善導・法然等が邪義を正義と思ひて浄土の三部経を指南とする故に、十造る寺は八九は阿弥陀仏を本尊とす。在家出家一家十家百家千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀なり。其の外木画の像一家に千仏万仏まします。大旨は阿弥陀仏なり。而るに当世の智者とおぼしき人々、是を見てわざはひとは思はずして我が意に相叶ふ故に只称美讃歎の心のみあり。只、一向悪人にして因果の道理をも弁へず、一仏をも持たざる者は還って失なきへんもありぬべし。 我等が父母世尊は主師親の三徳を備へて、一切の仏に擯出せられたる我等を「唯我一人能為救護」とはげませ給ふ。其の恩大海よりも深し、其の恩大地よりも厚し、其の恩虚空よりも広し。二つの眼をぬいて仏前に空の星の数備ふとも、身の皮を剥いで百千万天井にはるとも、涙を閼伽の水として千万億劫仏前に花を備ふとも、身の肉血を無量劫仏前に山の如く積み、大海の如く湛ふとも、此の仏の一分の御恩を報じ尽くしがたし。 |
それなのに、今の世、聖行のないこの土の人々が仏像を造り画くのに、まず他仏を先にしているのは、その仏の御本意にも、また釈迦如来の御本意にも叶うはずがないうえ、世間の礼儀にもはずれている。それ故、優填大王の赤栴檀の木を刻んだのは釈迦如来の像であり他仏の像ではなかった。千塔王の画像も釈迦如来であった。 それなのに諸大乗経に依る人々は、自分の所依の経々が諸経に勝れていると思う故に、教主釈尊を二の次にするのである。一切の真言師は大日経は諸経に勝れていると思う故に、大日経で究極の仏として説く大日如来を我等の有縁の仏と思い、念仏者等は観無量寿経等を信ずる故に阿弥陀仏を娑婆有縁の仏と思うのである。 当世はとりわけ善導・法然などの邪義を正義と思って浄土の三部経を指南とする故に、十の寺を造れば八・九の寺は阿弥陀仏を本尊とする。在家・出家を問わず、一家・十家・百家・千家にいたるまで持仏堂の仏は阿弥陀仏である。そのほか木画の像は一家に千仏・万仏もあるうち、大部分は阿弥陀仏である。それなのに、当世の智者と思われる人々はこれを見ても、禍とは思わないで、自分の意に叶っている故にただ称美讃歎する心のみある。ただ全くの悪人で因果の道理をもわきまえず一仏をも受持しない者は、かえってこうした仏法の失をまぬかれることもあるかもしれない。 我等の父母である釈尊は主師親の三徳を備えて一切の仏に遠ざけられた我等を「唯我れ一人だけが能く衆生を救い護る」と励まされているのである。そのは恩は大海よりも深い。大地よりも厚い。その恩は虚空よりも広いのである。二つの眼をくりぬいて仏前に空の星の数ほどそなえても、身の皮をはいで百千万枚、天井に張っても、涙を水として千万億劫の間、仏前に花をそなえても、身の肉と血を無量劫の間、仏前に山のように積み大海のように湛えても、この仏の御恩の一分を報じ尽くすことは難しい。 |
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| 而るを当世の僻見の学者等、設ひ八万法蔵を極め、十二部経を暗んじ、大小の戒品を堅く持ち給ふ智者なりとも、此の道理に背かば悪道を免るべからずと思し食すべし。 | それなのに、当世の僻見の学者等が、たとえ八万法蔵を究め、十二部経を暗誦し、大乗・小乗の戒律を堅く持つ智者であっても、この道理に背けば悪道をまぬかれることはできないと思うべきである。 |
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例せば善無畏三蔵は真言宗の元祖、烏萇奈国の大王仏種王の太子なり。教主釈尊は十九にして出家し給ひき。此の三蔵は十三にして位を捨て、月氏七十箇国九万里を歩き回りて諸経・ (★442㌻) 諸論・諸宗を習ひ伝へ、北天竺金粟王の塔の下にして天に仰ぎ祈請を致し給へるに、虚空の中に大日如来を中央として胎蔵界の曼荼羅顕われさせ給ふ。慈悲の余り、此の正法を辺土に弘めんと思し食して漢土に入り給ひ、玄宗皇帝に秘法を授け奉り、旱魃の時雨の祈をし給ひしかば、三日が内に天より雨ふりしなり。此の三蔵は千二百余尊の種子尊形三摩耶一事もくもりなし。当世の東寺等の一切の真言宗一人も此の御弟子に非ざるはなし。而るに此の三蔵一時に頓死ありき。数多の獄卒来りて鉄縄七すじ懸けたてまつり、閻魔王宮に至る。此の事第一の不審なり。いかなる罪あて此の責に値ひ給ひけるやらん。今生は十悪は有りもやすらん、五逆罪は造らず。過去を尋ぬれば、大国の王となり給ふ事を勘ふるに、十善戒を堅く持ち五百の仏陀に仕へ給ふなり。何の罪かあらん。其の上、十三にして位を捨て出家し給ひき。閻浮第一の菩提心なるベし。過去現在の軽重の罪も滅すらん。其の上、月氏に流布する所の経論諸宗を習ひ極め給ひしなり。何の罪か消えざらん。又真言密教は他に異なる法なるべし。一印一真言なれども手に結び、口に誦すれば、三世の重罪も滅せずと云ふことなし。無量倶低劫の間作る所の衆の罪障も、此の曼荼羅を見れば一時に皆消滅すとこそ申し候へ。況んや此の三蔵は千二百余尊の印真言を暗に浮かべ、即身成仏の観道鏡懸り、両部灌頂の御時大日覚王となり給ひき。如何にして閻魔の責めに預かり給ひけるやらん。 |
たとえば善無畏三蔵は真言宗の元祖であるが、もと北インド・烏萇奈国の大王である仏種王の太子であって。教主釈尊は十九歳で出家されたが、この三蔵は十三歳で太子の位を捨てて出家し、インド七十箇国、九万里を歩き回って諸経・諸論・諸宗を習学した。そして、北インドの金粟王が建てた宝塔の下で天を仰いで祈り願ったところ、虚空の中に大日如来を中央とす胎蔵界の曼荼羅が顕れたのである。三蔵は、その慈悲心が盛んなあまり、この正法を辺土に弘めようと思い、中国に渡って玄宗皇帝に真言の秘法を授け、旱魃の時祈雨を祈ったところ、三日のうちにが雨が降ったのである。この三蔵は千二百余尊の種子と尊形の三摩耶について、一つとして明らかでないものはなかった。当世の東寺等の一切の真言宗の人々は一人としてこの三蔵の御弟子でない者はいないのである。 ところが、ほれほどの三蔵がある時、頓死した。すると数多くの獄卒が来て、鉄の繩を七重にかけ、閻魔王の宮殿に連れて行った。という。この事が第一の疑問である。どのような罪があって、この責めに値ったのであろうか。今生では十悪を犯したかもしれないが五逆罪は造ってはいない。過去を尋ねてみれば、大国の王となるべく生まれてみたことを考えてみると、十善戒を堅く持ち、五百の仏陀に仕えたことになる。その人にどのような罪もあろうはずがない。そのうえ、十三歳で位を捨て出家したことは、一閻浮提第一の菩提心というべきである。この一事をもってしても、過去・現在の軽重の罪は滅するであろう。そのうえ、インドに流布している経論・諸宗を習い究めたのであるから、どのような罪も消えないことがなかろう。 また真言密教では他の仏教と異なる法であって、手に一つの印を結び、口に一つの真言を唱えれば、それだけで、三世にわたる重罪も、滅しないということはないのである。さらに、無量倶低劫の長きにわたって作った種々の重罪も、この曼荼羅を見て祈れば一時に皆消滅するとさえいわれているのである。まして、この三蔵は千二百余尊の印・真言を諳んじ、即身成仏を遂げる観法の道も鏡に映すように明らかに知っており、両部潅頂の時、大日覚王となったのである。このような人が、どうして閻魔王の責めにあうことになったのであろうか。 |
| 日蓮は顕密二道の中に勝れさせ給ひて、我等易々と生死を離るべき教に入らんと思い候ひて、真言の秘教をあらあら習ひ、此の事を尋ね勘ふるに、一人として答へをする人なし。此の人悪道を免れずば、当世の一切の真言並びに一印一真言の道俗、三悪道の罪を免るべきや。 | 日蓮は顕密二道の中で勝れていて、我等衆生をやすやすと生死を離れることのできる教えに入ろうと思って、真言の秘教を大体習い、このことを考え尋ねたとき、一人として答えられる人はいなかった。もし、この人が悪道をまぬかれないならば、どうして当世の一切の真言師、ならびに一度でも手に印を結び、口に真言を唱えたことのある出家・在家の人が三悪道の罪をまぬかれることができようか。 | |
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日蓮此の事を委しく勘ふるに、二つの失有って、閻魔王の責めに預かり給へり。一つには、大日経は法華経に劣るのみに非ず、涅槃経・華厳経・般若経等にも及ばざる経にて候を、法華経に勝れたりとする謗法の失なり。二つには、大日如来は釈尊の分身なり。 (★443㌻) 而るを大日如来は教主釈尊に勝れたりと思ひし僻見なり。此の謗法の罪は無量劫の間、千二百余尊の法を行なはずとも悪道を免るべからず。此の三蔵此の失免れ難き故に、諸尊の印真言を作せども叶はざりしかば、法華経第二の譬喩品の「今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護」の文を唱へて、鉄の縄を免れさせ給ひき。 |
日蓮がこの三蔵の事を詳しく検討してみると、に二つの誤りがあって閻魔王の責を受けたのである。 一つには、大日経は法華経に劣るだけでなく、涅槃経・華厳経・般若経等にも及ばない経であるのに、法華経より勝れているとした謗法の誤りである。 二つには大日如来は釈尊の分身であるにもかかわらず、大日如来は教主釈尊に勝れていると思った僻見である。この二つの謗法の罪は、たとえ無量劫の間、千二百余尊の法を修行したとしても悪道はまぬかれることのできない重いものである。 それで、善無畏三蔵は、諸尊の印を結び真言を唱えても、この謗法の罪をまぬかれることができなかったので、法華経第二譬喩品の「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子・而今此処多諸患・唯我一人・能為救護」の文を唱えて鉄の繩をまぬかれることができたのである。 |
| 而るに善無畏已後の真言師等は、大日経は一切経に勝るゝのみに非らず、法華経に超過せり。或は法華経は華厳経にも劣るなんど申す人もあり。此等は人は異なれども其の謗法の罪は同じきか。又、善無畏三蔵、法華経と大日経と大事とすべしと深理をば同ぜさせ給ひしかども、印と真言とは法華経は大日経に劣りけるとおぼせし僻見計りなり。其の已後の真言師等は大事の理をも法華経は劣れりと思へり。印真言は又申すに及ばず、謗法の罪遥かにかさみたり。閻魔の責めにて堕獄の苦を延ぶべしとも見へず、直ちに阿鼻の炎をや招くらん。 | ところが善無畏三蔵以後の真言師等は、大日経は一切経に勝れているだけでなく法華経にも超過しているといい、或は法華経は華厳経にも劣るなどという人もある。此等は人は異なってもその謗法の罪は同じといえよう。また善無畏三蔵は、法華経と大日経とはともに大事にすべき経典であり、その深理においては同じものであると考えたが、印と真言については、法華経は大日経に劣っていると思った僻見だけであった。それ以後の真言師等は、その大事の深理についても法華経が大日経に劣っていると思っている。印・真言について勝劣を立てることは、いうに及ばない。こうして、彼等の謗法の罪はますます積み重なっていった。閻魔の責によって堕地獄の苦を延期できるとも思えない。ただちに阿鼻の炎をや招くであろう。 | |
| 大日経には本一念三千の深理なし。此の理は法華経に限るべし。善無畏三蔵、天台大師の法華経の深理を読み出ださせ給ひしを盗み取りて大日経に入れ、法華経の荘厳として説かれて候大日経の印真言を彼の経の得分と思へり。理も同じと申すは僻見なり。真言印契を得分と思ふも邪見なり。譬へば人の下人の六根は主の物なるべし。而るを我が財と思ふ故に多くの失出で来たる。此の譬へを以て諸経を解るべし。劣る経に説く法門は、勝れたる経の得分となるべきなり。 | 大日経には、もともと一念三千の深理は説かれていない。この深理は法華経に限るのである。善無畏三蔵は天台大師が法華経を読んで取り出された一念三千の深理を盗み取って大日経にとり入れ、法華経を荘厳するために説かれた大日経の印・真言を、大日経の勝れた部分であると思ったのである。したがって理についても、法華経と大日経とは同じであるというのは僻見である。真言・印契は大日経の勝れた部分であると思うのも邪見である。たとえば、下人の六根は主人のものであるべきである。それを自分の財産と思う故に、多くの誤りが出てくる。この譬えによって諸経を理解すべきである。劣る経に説かれている法門は勝れている経の得分となるべきなのである。 |