安楽行品第十四

 安楽行品五箇の大事

第一 安楽行品の事………………………………………………………1762
第二 一切法空の事………………………………………………………1763
第三 有所難問不以小乗法答但以大乗而為解説令得一切種智の事…1763
第四 無有怖畏加刀杖等の事……………………………………………1763
第五 有人来欲難問者諸天昼夜常為法故而衛護之の事………………1763

 

第一 安楽行品の事

 御義口伝に云はく、妙法蓮華経を安楽に行ぜん事、末法に於て今日蓮等の類の修行は、妙法蓮華経を修行するに
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難来たるを以て安楽と意得べきなり。
 
 安楽行品には、妙法蓮華経を安楽に修行する方法が説かれているが、それは正像における摂受の修行である。
 御義口伝には、次のように仰せである。
 妙法蓮華経を安楽に行ずるということは、末法において日蓮大聖人およびその門下の修行に約していえば、大御本尊を信じ、自行化他にわたる仏道修行をはげめば、必ず難がある。

 その難が起きてくることが、実は安楽であると心得なければならない。

 

第二 一切法空の事

 御義口伝に云はく、此の下に於て十八空之有り。十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり。十八空とは何れも妙法の事なり。    ここは、安楽行品に「一切の法を観ずるに、空なり」とあり、以下十八空が説かれているところの御義口伝である。この文について、次のように仰せであるこの「一切法空」の文の下には十八空が説かれている。この十八空の本体とは南無妙法蓮華経である。十八空はいずれも妙法のことをあらわしている。

 

第三 有所難問不以小乗法答但以大乗而為解説令得一切種智の事

 御義口伝に云はく、対治の時は権教を以て会通すべからず。一切種智とは南無妙法蓮華経なり。一切は万物なり、種智は万物の種なり。妙法蓮華経是なり。又云はく、一切種智とは我等が一心なり、一心とは万法の総体なり。之を思ふべし。    安楽行品に「難問する所有らば、小乗の法を以って答えざれ、但、大乗を以って、為に解脱して、一切種智を得せしめよ」とあり、御義口伝には、次のように仰せである。
 謗法を破折することは、権教等の低い教えで会通を加えてはならない。「一切種智を得せしめよ」とある。その一切種智とは、南無妙法蓮華経のことである。一切とは万物である。種智とは万物の本源たる南無妙法蓮華経のことなのである。また、次のようにもいわれている。一切種智とはわれわれの一心、生命である。一心とはあらゆる現象の本体である。

 

第四 無有怖畏加刀杖等の事

 御義口伝に云はく、迹化の菩薩に刀杖の難之有るべからずと云ふ経文なり。勧持品には末法法華の行者に及加刀杖者・数々見擯出とあり。此の品には之無し。彼は末法の折伏の修行、此の品は像法摂受の修行なるが故なり云云。    安楽行品には「我が滅度の後に、若し比丘有って、能く斯の、妙法蓮華経を演説せば、心に嫉恚、諸悩障礙無く、亦憂愁、及び罵詈する者無く、怖畏し、刀杖を加えらるる等無く、又擯出せられること無けん」云云の文がある。
 この文について、御義口伝には、次のように仰せである。迹化の菩薩には刀杖がないという経文である。勧持品には、末法の法華経の行者について、「及び刀杖を加うる者有らん」あるいは「数数擯出せられ」等と説かれているが、この安楽行品にはそのようなことは説かれていない。
 それは、勧持品は末法折伏の修行を明かし、この安楽行品は像法摂受の修行を明かしているからである。

 

第五 有人来欲難問者諸天昼夜常為法故而衛護之の事

 御義口伝に云はく、末法に於て法華を行ずる者をば諸天守護之有るべし。常為法故の法とは南無妙法蓮華経是なり。
   安楽行品に「人有り、来って、難問せんと欲せば、諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護し、脳く聴く者をして、皆歓喜することを得せしめん」等とあり、御義口伝には、次のように仰せである。末法において、法華経すなわち三大秘法の大御本尊を信じ行ずる者をば、諸天善神が必ず守護するのである。「常に法の為の故に」とある「法」とは、南無妙法蓮華経のことである。