莚三枚御書  弘安五年三月  六一歳

 

-1592-
 (むしろ)三枚・生和布(なまわかめ)()()び了んぬ。
 抑三月一日より四日にいたるまでの御あそびに、心なぐさみてやせやまい()もなをり、虎とるばかりをぼへ候上、此の御わかめ給びて師子にのり()ぬべくをぼへ候。
 さては(たから)はところにより、人によって、かわりて候。此の身延山には石は多けれども餅なし。こけは多けれどもうちしく物候はず。木の皮をはいでしき()物とす。むしろ()いかでか財とならざるべき。
 (おく)耳居士(にこじ)と申せし長者は足のうらに()()いて候ひし者なり。あり()()のところ、いへの内は申すにをよばず、わたを四寸しきてふみし人なり。これはいかなる事ぞと申せば、先世にたうとき僧にくまのかわを()かせしゆへとみへて候。 
 いわうや日本国は月氏より十万より(余里)をへだてて候辺国なる上、へびす()の島、因果のことわりも弁へまじき上、末法になり候ひぬ。仏法をば信ずるやうにてそしる国なり。しかるに法華経の御ゆへに名をたゝせ給ふ上、御むしろ()を法華経にまいらせ給ひ候ひぬれば、