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(★1578㌻) 鵞目一結、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ。 経に云はく「法華最第一なり」と。又云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」と。又云はく「其の福復彼に過ぎん」と。妙楽云はく「若し脳乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と。伝教大師も「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。 |
銭一結たしかにいただき、天台大師の御宝前を荘厳いたしました。 法華経に「諸経のなかで法華経は最第一である」とあり、また「よくこの法華経を受持する者も、また同様である。一切衆生のなかで、これまた第一である」とあり、また「法華経を持つ者を讃嘆する福徳は、長遠にわたって無数の言葉で仏を讃めることによって得る無量の功徳にもまさる」とある。妙楽大師は「もし悩まし乱す者は頭が七つに破れ、供養する者は福徳が仏に供養するよりもまさる」といっている。伝教大師も「讃嘆する者は福徳を須弥山のように大きく積み、誹謗する者は罪を無間地獄に開く」等といっている。 |
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| 記の十に云はく「方便の極位に居る菩薩猶尚第五十の人に及ばず」等云云。華厳経の法慧・功徳林・大日経の金剛薩・等、尚法華経の博地に及ばず。何に況んや其の宗の元祖等法蔵・善無畏等に於てをや。是は且く之を置く。 | 法華文句記の第十巻に「七種の方便位の最極の位にいる菩薩でさえなお、法華経を伝え聞いて随喜した五十番目の人の功徳に及ばない」等とある。華厳経の法慧菩薩、功徳林菩薩や大日経の金剛薩埵等でさえ法華経の下劣の凡夫に及ばないのである。まして、それらを依経とする宗派や法蔵・善無畏等においては及ぶわけがない。このことは、しばらくおく。 |
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尼ごぜんの御所労の御事、我が身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり。此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、灯に油をそへ、木の根に土をかさぬるがごとし。願はくは日月天其の命にかわり給へと申し候なり。又をもいわするゝ事もやと、いよ房に申しつけて候ぞ。たのもしとをぼしめせ。恐々謹言。 十一月二十九日 日蓮花押 富木殿御返事 |
富木尼御前のご病気のことは、我が身の上のことと思って昼夜に諸天に祈っている。この尼御前は法華経の行者を、灯に油を添え木の根に土をかぶせるように供養してきた人である。願わくは日天・月天が尼御前の命に代わって助けられよ、と祈っている。また、思い忘れることがあってはと、伊予房に申しつけてある。頼もしく思われるがよい。恐恐謹言。 十一月二十九日 日蓮花押 富木殿御返事 |