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鵞目一結、天台大師の御宝前を荘厳し候ひ了んぬ。
経に云はく「法華最第一なり」と。又云はく「能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是くの如し。一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」と。又云はく「其の福復彼に過ぎん」と。妙楽云はく「若し脳乱する者は頭七分に破れ供養すること有らん者は福十号に過ぐ」と。伝教大師も「讃むる者は福を安明に積み、謗る者は罪を無間に開く」等云云。記の十に云はく「方便の極位に居る菩薩猶尚第五十の人に及ばず」等云云。華厳経の法慧・功徳林・大日経の金剛薩・等、尚法華経の博地に及ばず。何に況んや其の宗の元祖等法蔵・善無畏等に於てをや。是は且く之を置く。
尼ごぜんの御所労の御事、我が身一身の上とをもひ候へば昼夜に天に申し候なり。此の尼ごぜんは法華経の行者をやしなう事、灯に油をそへ、木の根に土をかさぬるがごとし。願はくは日月天其の命にかわり給へと申し候なり。又をもいわするゝ事もやと、いよ房に申しつけて候ぞ。たのもしとをぼしめせ。恐々謹言。
十一月二十九日 日蓮花押
富木殿御返事