上野尼御前御返事  弘安四年一一月一五日  六〇歳

鳥竜遺竜事

 

第一章 葉菓同時の蓮華に譬え即身成仏を示す

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 麞牙(しらげごめ)一駄四()定・あら()いも()一俵送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候ひ了んぬ。
 
 白米一駄、洗芋一俵をお送りいただき、南無妙法蓮華経と唱えまいらせました。
 妙法蓮華経と申すは(はちす)に譬へられて候。天上には摩訶(まか)(まん)陀羅華(だらけ)、人間には桜の花、此等はめでたき花なれども、此等の花をば法華経の譬へには仏取り給ふ事なし。一切の花の中に取り分けて此の花を法華経に譬へさせ給ふ事は其の故候なり。    妙法蓮華経というのは、蓮に譬えられています。天上界では摩訶曼陀羅華、人間界では桜の花、これらはめでたい花ではあるけれども、これらの花は法華経の譬えとしては仏はとりあげられることはありません。一切の花の中で、とりわけてこの蓮の花を法華経に譬えられたことには、理由があります。
 或は前花後菓と申して花は(さき)()は後なり。或は前菓後花と申して菓は前、花は後なり。或は一花多菓、或は多花一菓、或は無花有菓と品々に候へども、蓮華と申す花は菓と花と同時なり。一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説く。かゝる故に不定(ふじょう)なり。法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。    花には、或いは前花後菓といって、花が前に咲き菓は後になるもの、或いは前菓後花といって、菓が前になり花は後に咲くもの、或いは一花多菓のもの、或いは多花一菓のもの、或いは無花有菓のもの、といろいろにあるけれども、蓮華という花は菓と花が同時です。一切経の功徳は、先に善根を積んで後に仏になると説きます。このようですから成仏は定まっていません。法華経というのは、手にとればその手がただちに仏になり、口に唱えればその口がそのまま仏であります。
 譬へば天月の東の山の()に出づれば、其の時即ち水に影の浮かぶが如く、音とひゞきとの同時なるが如し。故に経に云はく「若し法を聞くこと有らん者は(ひとり)として成仏せずといふこと無けん」云云。文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。    譬えば天の月が東の山の端に出れば、その影がその時ただちに水に浮かぶように、また音と響きとが同時であるようなものです。ゆえに法華経に「若し法を聞く者があるならば、一人として成仏しない者はいない」と説かれています。文の心は、この経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人も欠けずに仏に成るという文です。

 

第二章 鳥竜・遺竜の故事から真の孝養を明かす

 (そもそも)御消息を見候へば、尼御前の慈父(じふ)故松野六郎左衛門入道殿の()(にち)と云云。子息多ければ孝養まちまちなり。然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云。釈迦仏の(こん)()の説に云はく「世尊の法久しくして後(かなら)ず当に真実を説きたもうべし」と。多宝の証明に云はく「妙法蓮華経は皆是真実なり」と。十方の諸仏の誓ひに云はく「舌相梵天に至り」云云。これよりひつじ()さる()の方に大海をわたりて国あり、漢土と名づく。彼の国には或は仏を信じて神を用ひぬ人もあり。或は神を信じて仏を用ひぬ人もあり。或は日本国も始めはさこそ候ひしか。然るに彼の国に()(りゅう)と申す手書ありき。漢土第一の手なり。例せば日本国の道風(とうふう)行成(こうぜい)等の如し。此の人仏法をいみて経をかゝじと申す願を立てたり。
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   そもそも、お手紙を拝見すれば、尼御前の慈父・故松野六郎左衛門入道殿の忌日とありました。「子息が多いので孝養もまちまちであります。けれども必ず法華経によるものでなければ、謗法となるのでありましょうか」とも記されてありました。
 釈迦仏の金口の説には「世尊の法は久しくして後かならず当に真実を説くであろう」とあり、多宝如来はこの説を証明して「妙法蓮華経は皆これ真実である」と説き、十方の諸仏の誓いにも「舌を梵天に付けて証明する」とあります。この日本より南西の方に向かって大海を渡ると国があります。漢土と名づけます。彼の国には、あるいは仏を信じて神を用いない人もいます。あるいは神を信じて仏を用いない人もいます。あるいは日本国も初めはそうでありました。
 ところがその国に鳥竜という書道家がいました。漢土第一の書き手でありました。例せば日本国の小野道風・藤原行成のような人でありました。この人は、仏法を嫌って、経文は書かないという願いをたてました。
 此の人死期来たりて重病をうけ、臨終にをよんで子に遺言して云はく、汝は我が子なり。その跡絶えずして又我よりも勝れたる手跡(しゅせき)なり。たとひいかなる悪縁ありとも法華経をかくべからずと云云。然して後五根より血の出づる事泉の涌くが如し。舌八つにさけ、身くだけて十方にわかれぬ。然れども一類の人々も三悪道(さんなくどう)を知らざれば地獄に堕つる先相ともしらず。    この人は、死期が来て重病となり、臨終の時に子に「おまえは私の子である。私の跡をついで絶やさぬ者であり、また私より勝れた書道家である。たとえ、どのような悪縁があっても、法華経を書いてはならない」と遺言しました。そうしたのち、五根から血が出て泉が湧くようになり、舌は八つに裂け、身体は砕けて十方に分かれました。しかしながら、一族の人々は三悪道を知らなかったので、それが地獄に堕ちる先相とはしりませんでした。
 其の子をば()(りゅう)と申す。又漢土第一の手跡なり。親の跡を追ふて法華経を書かじと云ふ願を立てたり。其の時大王おはします、司馬氏と名づく。仏法を信じ、殊に法華経をあふ()ぎ給ひしが、同じくは我が国の中に手跡第一の者に此の経を書かせて持経とせんとて遺竜を召す。    その子は遺竜といいました。また漢土第一の書道家でありました。親の遺言を守って、法華経は書かないという願をたてました。その時、司馬氏という大王がおられました。仏法を信じ、ことに法華経を信仰されていたので、おなじことなら、我が国の中で第一の書道家にこの法華経を書写させて、持経にしようと思って、遺竜を召しました。
 (りゅう)の申さく、父の遺言あり、(これ)(ばか)りは(ゆる)し給へと云云。大王父の遺言と申す故に他の手跡を召して一経をうつし(おわ)んぬ。然りといへ(ども)御心に叶い給はざりしかば、又遺竜を召して言はく、汝親の遺言(ゆいごん)と申せば(われ)まげ()て経を写させず、但八巻の題目計りを勅に随ふべしと云云。返す返す辞し申すに、王(いか)りて云はく、汝が父と云ふも我が臣なり。親の不孝を恐れて題目を書かずば()(ちょく)の科ありと。    遺竜は「父の遺言があるので、こればかりはお許しください」といいました。大王は、父の遺言というので、やむなく他の書道家を召して法華経を写させました。しかしながら、心に叶わなかったので、また遺竜を召して「お前が親の遺言というので、私は無理に経文を書写させることはしないが、ただ八巻の題目だけは勅命に従え」と言いました。遺竜が再三再四事態すると、王は怒って「おまえの父といっても私の家臣である。親の不孝を恐れて、題目を書かなければ、違勅の罪となる」と。
 勅定(ちょくじょう)度々重かりしかば、不孝はさる事なれども当座の責めをのがれがたかりしかば、法華経の()(だい)を書きて王へ(ささ)げ、宅に帰りて父のはか()に向かひて血の涙を流して申す様は、天子の責め重きによって、亡き父の遺言をたがへて既に法華経の外題を書きぬ、不孝の責め免れがたしと歎きて、三日の間墓を離れず食を断ち既に命に及ぶ。    度重なる勅命であったので、不孝はしたくないけれども、当座の責めは免れ難いことであったので、「妙法蓮華経巻第一~妙法蓮華経巻第八」の題目を書いて王へ差し上げました。家に帰って、父の墓に向かって血の涙を流していうには、「天子の責めが重かったので、亡き父の遺言に背いて、法華経の題目を書いてしまいました」と。不孝の責めを免れることはできないと嘆いて、三日の間墓を離れず、食を断って、もはや命が絶えるほどになりました。
 三日と申す寅の時に(すで)に絶死し(おわ)って夢の如し。()(くう)を見れば天人(てんにん)一人おはします。帝釈を絵にかきたるが如し。無量の眷属天地に充満せり。(ここ)(りゅう)問うて云はく、(いか)なる人ぞ。答へて云はく、汝知らずや、我は是父の()(りゅう)なり。我れ人間にありし時外典を執し仏法をかたきとし、殊に法華経に敵をなしまいらせし故に()(けん)に堕つ。日々に舌をぬかるゝ事数百度、或は死し或は生き、天に仰ぎ地に伏してなげけども叶ふ事なし。人間へ告げんと思へども便りなし。汝我が子として遺言なりと申せしかば、其の(ことば)炎と成って身を責め、剣と成って天より()(くだ)る。
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   三日目の寅(御前四時~六時)のときにはすでに死んだようになり、夢を見ているようでした。 虚空を見ると天人が一人おられました。帝釈天を絵にかいたようでありました。無量の眷属が天地に満ちあふれていました。 そこで遺流は「あなたはいかなる人ですか」と聞くと、「おまえは知らないのか。私は父の鳥竜である。私が人間であった時、外典に執着し、仏法を敵とし、ことに法華経を敵としたために、無間地獄に堕ちた。日々に舌を抜かれること数百度、或いは死んだり、或いは生きたりした。天を仰ぎ、地に伏して嘆いたけれども願いが叶うことはなかった。人間世界に告げようと思っても方法がない。お前が私の子として『遺言であるので法華経は書写しない』と言ったので、その言葉は炎となって我が身を責め、剣となって天から雨のように降ってきた。
 汝が不孝極り無かりしかども、我が遺言を違へざりし故に、自業自得果うらみがた()かりし所に、金色の仏一体無間地獄に出現して、仮使(たとい)法界に遍せる断善の諸の衆生、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜん云云。此の仏無間地獄に入り給ひしかば、大水を大火になげたるが如し。少し苦しみ()みぬる処に、我合掌して仏に問ひ奉りて、何なる仏ぞと申せば、仏答へて、我は是汝が子息遺竜が只今書くところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字なりと言ふ。    お前の不孝は極まり無かったけれども、我が遺言をたがえないためであるから、自業自得の結果で、恨むことはできないと思っていたところに、金色の仏が一体、無間地獄から出現して『たとえ世界に満つるほどの善を断じた衆生であっても、一たび法華経を聞けば、必ず菩提を成ずる』と言われた。
 この仏が無間地獄へ入られると、大水を大火にかけたように、少し苦しみが止んだので、私は合掌して仏に『なんという仏様ですか』とお聞きすると、仏は『私は、お前の子の遺竜がただいま書いたところの法華経の題目六十四字の内の妙の一字である』と仰せられた。
 八巻の題目は八八六十四の仏・六十四の満月と成り給へば、無間地獄の大闇即大明となりし上、無間地獄は当位即妙・不改本位と申して常寂光の都と成りぬ。我及び罪人とは皆(はちす)の上の仏と成りて只今()(そつ)の内院へ上り参り候が、先づ汝に告ぐるなりと云云。遺竜が云はく、我が手にて書きけり、(いか)でか君たすかり給ふべき。而も我が心よりかくに非ず、いかにいかにと申せば父答へて云はく、汝はかなし、汝が手は我が手なり。汝が身は我が身なり。汝が書きし字は我が書きし字なり。汝心に信ぜざれども手に書く故に既にたすかりぬ。    八巻の題目の八×八=六十四の仏が六十四の満月となられたので、無間地獄の大闇は即ち大明となったうえ、無間地獄は『当位は即ち妙にして本位を改めず』といって、常寂光の都と成った。我及び罪人は皆蓮の上の仏となって、只今都率の内院へ上り参るであろうが、まずお前にこのことを告げるのである」と答えました。
 遺竜は「私の手で書いたものが、どうして父君を助けることになったのでしょうか。しかも私は心から書いたものではありません。いったいどうしてですか」というと、父は「おまえは思慮がたりない。お前の手は我が手である。お前の身はわが身である。お前が書いた字は我が書いた字である。お前が心に信じていなくても、手で書いたゆえにこうして助かったのである。
 譬へは小児(しょうに)の火を放つに心にあらざれども物を焼くが如し。法華経も亦かくの如し。存の外に信を成せば必ず仏になる。又其の義を知りて謗ずる事無かれ。但し在家の事なれば、いひしこと(ことさら)に大罪なれども(ざん)()しやすしと云云。此の事を大王に申す。大王の言はく、我が願既にしるし有りとて遺竜(いよいよ)朝恩を蒙り、国又こぞって此の御経を仰ぎ奉る。    譬えば、子供が火をつけると、焼く気はなくても、物を焼くようなものである。法華経もまたそれと同じである。殊の外に信じたならば、必ず仏になる。またその義を知って、謗ることがあってはならない。ただし、在家の事であるから、言ったことはとりわけ大罪ではあるけれども、懺悔はしやすいであろう」といいました。
 遺竜は、この事を大王に申し上げました。大王は「我が願いは既にしるしがあった」と仰せられ、遺竜はますます大王の御恩を蒙り、国民もこぞってこの法華経を信仰するようになりました。
 然るに故五郎殿と入道殿とは尼御前の父なり子なり。尼御前は彼の入道殿のむすめなり。今こそ入道殿は都率の内院へ参り給ふらめ。此の由をはわき(伯耆)どの(殿)よみきかせまいらせさせ給ひ候へ。事々そう()そう()にてくはしく申さず候。恐々謹言。
  十一月十五日                    日蓮花押
 上野尼ごぜん御返事
   ところで、故五郎殿と入道殿とは、尼御前の父であり子であります。尼御前は彼の入道殿の娘であります。尼御前の信心によって、今こそ入道殿は都率の内院へ参られたでありましょう。この由を伯耆殿から読み聞かせてさしあげなさい。忽々の事でるから詳しくは申し上げません。恐恐謹言
 十一月十五日                    日蓮花押
 上野尼ごぜん御返事