南条殿御返事  弘安四年九月一一日 六〇歳

 

第一章 法華経の行者を供養する果報を明かす

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 塩一駄・大豆一俵・とっさか(鶏冠菜)一袋・酒一筒給び候。上野国より御帰宅候後は未だ見参(げんざん)に入らず候。床敷(ゆかしく)存じ候ひし処に、品々の物ども取り()へ候ひて御音信(おとずれ)に預かり候事申し尽くし難き御志にて候。
 今申せば事新しきに相似て候へども、徳勝(とくしょう)童子は仏に土の餅を奉りて、阿育大王と生まれて、南閻浮提を大体()(ぎょう)すと承り候。土の餅は物ならねども、仏のいみじく渡らせ給へば、かくいみじき(むく)ひを得たり。然るに釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給ひて候に、法華経の行者を心に入れて数年供養し給ふ事有り難き御志かな。金言の如くんば定めて後生は霊山浄土に生まれ給ふべし。いみじき果報かな。

第二章 御本仏の住処の尊貴を明かし参詣促す

 其の上此の(ところ)は人倫を離れたる山中なり。東西南北を去りて里もなし。かゝるいと心細き幽窟(ゆうくつ)なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の(あいだ)は諸仏入定(にゅうじょう)(ところ)なり、舌の上は転法輪の所、(のんど)は誕生の処、口中(こうちゅう)正覚(しょうがく)(みぎり)なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり。神力品に云はく「若しは林中に於ても、若しは(じゅ)()に於ても、若しは僧坊に於ても、乃至(はつ)涅槃したまふ」云云。此の砌に(のぞ)まん(やから)は無始の罪障(たちま)ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん。彼の(ちゅう)天竺(てんじく)()(ねっ)()に臨みし悩者(のうしゃ)が、心中の熱気を(じょ)()して充満(じゅうまん)()願如(がんにょ)清涼(しょうりょう)()とうそぶきしも、彼此(ひし)異なりといへども、()(こころ)(いか)でか()はるべき。彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。参詣(はる)かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨(らいりん)(くわだ)つべし。是にて待ち入って候べし。
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()れ哀れ申しつくしがたき御志かな、御志かな。
  弘安四年九月十一日          日蓮花押
 南条殿御返事
  御使ひの申し候を(うけたまわ)り候。是の所労(しょろう)難儀(なんぎ)のよし聞こえ候。いそ()療治(りょうじ)をいたされ候ひて御参詣有るべく候。