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(★1556㌻) 此の法門申し候事すでに廿九年なり。日々の論義、月々の難、両度の流罪に身つかれ、心いたみ候ひし故にや、此の七八年が間年々に |
この法門を、弘通しはじめてすでに29年になります。 日々の論議折伏、月々に受けた難、それのみか伊豆、佐渡と両度の流罪で、身も疲れ、こころもいたんだ故でありましょうか。この七、八年の間、年毎に衰え病気がちになってきましたが、大事にはいたりませんでした。ところが、今年の正月より体が衰弱してきて、すでに一生も終わりになったように思われます。そのうえ、年齢もすでに60に満ちました。たとえ十のうち一つ今年は生きながらえても、あと一・二年どうして過ごすことができましようか。「忠言は耳に逆らい、良薬は口に苦い」とは、昔の賢人の言葉である。病身のものは、自からの生命を嫌う。人の諫めを用いないといわれています。 このごろは、上下の人にかかわらず、どの便りも、返事を書くこともありません。何となく気もすすまず、手もだるいためです。しかしながら、このことは、非常に大事なことであるから、苦しいのを忍んで返事を申し上げるのです。村上天皇が前中書王 |
| さては八幡宮の御 (★1557㌻) わがみ賢人ならば、 |
さて、八幡宮の御造営の事については、必ず、あなた方を讒奏する者があるであろうと心配しておりました。あなたがたの親といい、あなたがた自身といい、親子二代にわたって主君につかえられていることであり、あくまでも、御恩を受けている身であります。たとえ、一つぐらい自分の希望にそぐわないことがあっても、どうして主君をいい加減に思ってよいことがありましょうか。 自分が賢人であるならば、たとえ主君より八幡宮造営の工事を仰せつけられても、一往はなにごとにつけても辞退すべきでありましょう。幸いなことに、讒臣たちが、あなた方のことを、いろいろな事をいって排斥するならば、喜ぶのが当然であるはずであるのに、自分から八幡宮造営の工事を望まれることは、一つの誤りです。 このことはさておいて、不殺生戒などの五戒を過去世で持って修行した果報として、今世に人間として生まれることができたのです。したがって、たとえとるに足らない無益な者であっても、国主等が理由なく罪にすれば、守護の諸天善神は怒られるのです。まして命を奪われるということは諸天善神がその人を見放されたことになるのです。 いわんや日本の4,589,659人の男女は4,589,659の諸天善神が守護されているのです。そうであるのに、他国より攻めよせてくる大難をまぬがれるとも思えないのは、4,589,659人の人々が、諸天にも、捨てられたうえ、六欲天、四禅天、帝釈天、日天、月天、四天王等にも見放されてしまったからでありましょう。そうであるのに、日本国の国主等は八幡大菩薩をあがめ奉れば、なに事もなくてすむと思っておられるが、八幡大菩薩は、自分の力では、到底この日本を守ることができないので、きっと宝殿を焼いてかくれてしまわれたのでありましょう。しかるに、日本国の国主等は自らの正法誹謗の重い科を顧みないで、八幡大菩薩の宝殿を造り、八幡大菩薩に日本国を守っていただこうと思っているのです。 |
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| 日本国の四十五億八万九千六百五十九人の一切衆生が、釈迦・多宝・十方分身の諸仏、地涌と娑婆と他方との諸大士、十方世界の梵釈・日月・四天に捨てられまひらせん分斉の事ならば、 |
日本国の4,589,659人の一切衆生が、釈迦・多宝・十方世界の分身の諸仏や、地涌の菩薩や、娑婆世界と他方世界の諸菩薩や、十方世界の梵天・帝釈・日天・月天・四天王に捨てられてしまうほどのことであるならば、どうしてわずかな日本国の小神たる天照大神や八幡大菩薩の力が及ぶことがありましょうか。 このような時、あなた方が八幡宮を造ったとしても、この日本国が他国にやぶられるならば、くぼんでいる処に塵がたまり、低い処に水が集まるように、日本国の上下万民がさまざまに悪口をいい、噂をするであろうことは、かねてからまた知っています。 世間の人々が「八幡大菩薩の本地は、阿弥陀仏である。右衛門大夫は、念仏を無間地獄に堕ちるといい、阿弥陀仏をば火に入れ水に入れ、その堂を焼き払い、念仏者の首を斬れという者の、弟子檀那となっている。そのような者が、八幡宮を造ったとしても、八幡大菩薩が用いようとされないゆえに、この日本の国は他国に攻められるのである」といったときは、どのようにするつもりなのですか。しかるに、天はかねてこの事を知っておられたがゆえに、あなたを御造営の大番匠からはずされたのではないでしょうか。また八幡宮の境内にある神宮寺の造営の工事からはずされたのも天の御計いでありましょうか。 |
| 其の故は去ぬる文永十一年四月十二日に、 (★1558㌻) まつり事あらければ風あらしと申すは是なり。又今年四月廿八日を迎へて此の風ふき来たる。而るに四月廿六日は八幡 返す返す穏便にして、あだみうらむる気色なくて、身をやつし、下人をも 五月廿六日 日蓮花押 兵衛志殿 |
その故は、去る文永11年4月12日に大風が吹いたが、これは、その年に他国より攻めてくるべき前兆であった。風はこれ天地の使いである。 国の政治が粗雑にならば、暴風が吹くというのはこのことです。 また今年4月28日を迎えて大風が吹き荒れた。 しかるに、4月26日は八幡宮の棟上げであったとうかがっている。3日の内に大風が吹いたことは疑いないことである。もし蒙古の使者であるかのようにいわれるあなたが、八幡宮を造って、この大風が吹いたのであったならば、世人は笑い、また必ずとやかく言ったであろう。 かえすがえすにも、今は穏やかな態度をして、造営の工事をはずされたことをあだんで、うらむような様子もなく、身なりも目だたないようにし、召使いなどもつれず、よい馬にも乗らないで、のこぎり、かなづちを手にもち腰につけて、常ににこやかな姿をしていきなさい。もし、この事を一事でもたがえられるならば、今年には身を亡ぼし、未来世には悪道に堕ちるでしょう。かえすがえすも申し上げておきますが、わずかのことで法華経をうらんではなりません。恐恐。 五月廿六日 日蓮花押 大夫志殿 兵衛志殿 |