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(★1554㌻) さては故五郎殿の事は、そのなげき |
蹲鴟一俵をいただいた。また神主のもとにいる御乳塩(の馬)一匹ならびに口付き一人がいる。 さて故五郎殿のことは、その嘆きは薄れないとは思うけれども、御見参は遠い昔のことのように感じられる。 なおも、法華経をあだむことは絶えたとも思えないので、これから後も何事かあるであろうけれども、いままで堪えてこられたことは本当とは思えないほどである。仏が説いて言われるには「火に入って焼けない者はあっても、大水に入って濡れない者はあっても、大山は空へ飛んでも、大海は天に上がっても、末代悪世に入ったときは少しの間であっても法華経は信じがたいことなのである」と。 |
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| 三月十八日 日蓮 花押 上野殿御返事 |
微宗皇帝は中国の主君であったが、蒙古国に捕えられてしまった。隠岐の法皇は日本国の君主であったが、右京権大夫の北条義時に攻められて島で亡くなられた。法華経のゆえでさえあったならば即身に成仏されたことであろう。些細なことには身を破り命を捨てるけれども、法華経のゆえに不当な罪科にあおうと思う人はいないものだ。あなたは、これを身を試みられたのであろう。尊いことである。尊いことである。 恐恐謹言。 三月十八日 日蓮花押 上野殿御返事 |