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(★1552㌻) |
清酒一筒、提子十杯ほどか、餅百個、飴一桶・二升ほどか、柑子蜜柑一籠、串柿十串、すべて送っていただきました。 春の初めの御喜びは花のように開け、月のように満ちておられることと承りました。 |
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さて故五郎殿の事こそ思い出されてなりません。散った花も咲こうとしているし、枯れた草も芽を出しはじめております。故五郎殿もどうして同じように帰られないのでしょう。ああ、五郎殿が無常の花と草とのように帰ってくるのであるならば、柿本人麻呂でなくとも花のもとを離れないし、嘶く馬でなくとも草のもとをよもや去らないでしょうものを。 |
| 経文には子をば |
ある経文に子を敵と説かれています。それも理由のあることでしょう。梟という鳥は母を食べます。破鏡という獣は父を害します。安禄山という人は師史明という子に殺されました。源義朝という武士は、源為義という父を殺しています。それゆえ子は敵という経文も道理なのです。 | |
| 又子は (★1553㌻) |
また、子は財という経文があります。妙荘厳王は一生を終えた後、無間大城という地獄へ堕ちられるはずでしたが、浄蔵という太子に救われて大地獄の苦を免れられただけでなく、沙羅樹王仏という仏になっれました。青提女という女人は慳貪の罪によって餓鬼道に堕ちていましたが、目連という子に助けられて餓鬼道を出ることができました。それゆえ子を財という経文は間違いではありません。 |
| 故五郎殿はとし十六歳、心 |
故五郎殿は、年16歳で心根も容貌も人よりも勝れていたうえ、男としての才能も備わって万人に褒められていただけでなく、親の心に従うことは水は器物にしたがい、影が身に従うかのようでした。 家にあっては柱と頼み、道を行くにあたっては杖のように思い、箱に収めた財物もこの子のため、使っている従者もこの子のため、自分が死んだならば担われて野辺に行こう、死んだ後もあとを思い残すことはない、と深く思われていたのに、不幸にも先立ってしまったときに「どうしたことか、どうしたことか。夢か幻か。覚めるであろう、覚めるであろう」と思っていても醒めずに年も改まってしまいました。 いつまで待ったらよいかもわからない。行き逢う所だけでも言い置いていていたならば、羽は無くても天に昇ろう、船は無くても中国へ渡ろう。大地の底にいると開けば、どうして地を掘らずにいられようかと思われていることでしょう。 |
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| やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとして、 正月十三日 日蓮 花押 上野尼御前御返事 |
やすやすとお会いになれる方法があります。釈迦仏を御使いとして霊山浄土へ参り、会われるがよいでしょう。法華経方便品第二に「若し聞く者あらば、ひとりとして成仏せずということ無けん」といって、大地はさして外れることはあっても、日月は地に落ちても、潮の干満がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても南無妙法蓮華経と唱える女性が愛しく思う子に会えないということはない、と説かれているのです。急いで、急いで唱題にお勤めなさい、お勤めなさい。恐恐謹言。 正月十三日 日蓮花押 上野尼御前御返事 |