上野尼御前御返事 弘安四年一月一三日 六〇歳
第一章 御供養を謝し、春の初めを喜ぶ
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聖人ひとつゝ、ひさげ十か、十字百、飴ひとをけ二升か、柑子ひとこ、串柿十くしならびにくり給び候ひ了んぬ。春のはじめ、御喜び花のごとくひらけ、月のごとくみたせ給ふべきよしうけ給はり了んぬ。
第二章 故五郎の不帰を嘆く
抑故五らうどのゝ御事こそをもいいでられて候へ。ちりし花もさかんとす、かれしくさもねぐみぬ。故五郎殿もいかでかかへらせ給はざるべき。あわれ無常の花とくさとのやうならば、人丸にはあらずとも花のもともはなれじ。いばうるこまにあらずとも、草のもとをばよもさらじ。
第三章 経文に子は敵と財と両説あるを示す
経文には子をばかたきととかれて候。それもゆわれ候か。梟と申すとりは母をくらう。破鏡と申すけだものは父をがいす。あんろく山と申せし人は師史明と申す子にころされぬ。義朝と申せしつはものは為義と申すちゝをころす。子はかたきと申す経文ゆわれて候。又子は財と申す経文あり。妙荘厳王は一期の後無間大城と申す地獄へ堕ちさせ給ふべかりしが、浄蔵と申せし太子にすくわれて、大地獄の苦をまぬかれさせ給ふのみならず、
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沙羅樹王仏と申す仏とならせ給ふ。生提女と申せし女人は、慳貪のとがによて餓鬼道に堕ちて候ひしが、目蓮と申す子にたすけられて餓鬼道を出で候ひぬ。されば子を財と申す経文たがう事なし。
第四章 霊山浄土の母子再会を勧む
故五郎殿はとし十六歳、心ね、みめかたち人にすぐれて候ひし上、男ののうそなわりて万人にほめられ候ひしのみならず、をやの心に随ふこと水のうつわものにしたがい、かげの身にしたがうがごとし。いへにてははしらとたのみ、道にてはつへとをもいき。はこのたからもこの子のため、つかう所従もこれがため、我しなばになわれてのぼへゆきなん、のちのあとをもいをく事なしとふかくをぼしめしたりしに、いやなくさきにたちぬれば、いかんにやいかんにやゆめかまぼろしか、さめなんさめなんとをもへども、さめずしてとしも又かへりぬ。いつとまつべしともをぼへず。ゆきあうべきところだにも申しをきたらば、はねなくとも天へものぼりなん。ふねなくとももろこしへもわたりなん。大地のそこにありときかば、いかでか地をもほらざるべきとをぼしめすらむ。
やすやすとあわせ給ふべき事候。釈迦仏を御使ひとして、りゃうぜん浄土へまいりあわせ給へ、若有聞法者無一不成仏と申して、大地はさゝばはづるとも、日月は地に堕ち給ふとも、しをはみちひぬ世はありとも、花はなつにならずとも、南無妙法蓮華経と申す女人の、をもう子にあわずという事はなしととかれて候ぞ。いそぎいそぎつとめさせ給へつとめさせ給へ。恐々謹言。
正月十三日 日蓮 花押
上野尼御前御返事