南条殿御返事 弘安三年一二月一五日  五九歳

 

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 麞牙(しらげごめ)二石・並びに鷷鵄(いも)(いち)()故五郎殿百ケ日等云云。法華経の第七に云はく「川流江河の諸水の中に、海()れ第一なるが如く、此の法華経も亦復(またまた)()くの如し」等云云。此の経文は法華経をば大海に譬へられて候。大海と申すはふかき事八万四千由旬(ゆじゅん)、広きこと又かくのごとし。此の大海の中にはなになにのすみ候と申し候へば、阿修羅王(あしゅらおう)□□□□□□□□□字百千万の字あつまて法花経とならせ給ひて候へば、大海に譬へられて候。又大海の一滴(いってい)は江河の(しずく)(すこ)しくは同じといへども、其の義はるかにかわれり。 江河の一滴は但一水なり、一雨なり。大海の一滴は四天下の水あつまて一滴をつくれり。一河の一滴は一の金のごとし、大海の一滴は如意(にょい)宝珠(ほうじゅ)のごとし。一河の一滴は一のあぢわい、大海の一滴は五味のあぢわい、江河の一滴は一つの薬なり。大海の一滴は万種の一丸のごとし。南無阿弥陀仏は一河の一滴、南無妙法蓮華経は大海の一滴。阿弥陀経は小河の一てい()、法華経の一字は大海の一てい。故五郎殿の十六年が間の罪は江河の一てい、須臾(しゅゆ)の間の南無妙法蓮華経は大海の一てい等云云。(それ)(おもんみ)れば花はつぼみさいて(このみ)なる。をや()は死にて子にになわる。これ次第なり。譬へ