上野殿母尼御前御返事  弘安三年一〇月二四日  五九歳

別名『中陰書』『上野殿母御前御返事』

 

第一章 法華経の最勝なるを明かす

(★1508㌻)
 南条故七郎五郎殿の四十九日御()(だい)のために送り給ふ物の日記の事、()(もく)ゆひ()・白米(いち)()・芋一駄・すり()だう()()・こんにゃく・柿(ひと)()()五十等云云。御菩提の御ために法華経一部・自我偈(じがけ)数度・題目百千返唱へ奉り候ひ(おわ)んぬ。
 
 故南条七郎五郎殿の四十九日の追善法要のために送られた御供養の品物の目録、鵞目二百文・白米一駄・芋一駄・すり豆腐・蒟蒻・柿一篭・柚五十個等受けとった。追善供養のために法華経を一部・自我偈を数度、題目を百千遍、お唱え申し上げた。
 (そもそも)法華経と申す御経は一代聖教(しょうぎょう)には似るべくもなき御経にて、而も唯仏(ゆいぶつ)()(ぶつ)と説かれて、仏と仏とのみこそしろ()めされて、等覚已下(いげ)乃至凡夫は叶はぬ事に候へ。
(★1508㌻)
   さて法華経という御経は釈尊一代の仏教中には、似るものもない優れた御経で、しかも「唯、仏と仏とのみが」と説かれて、仏と仏とのみがお知りになられて、等覚の菩薩以下凡夫に至るまでの衆生は知ることができないのである。
 されば竜樹菩薩の大論には、仏已下はたゞ信じて仏になるべしと見えて候。法華経の第四(ほっ)()(ほん)に云はく「薬王今汝に告ぐ、我が所説の諸経あり、而も此の経の中に於て、法華最も第一なり」等云云。第五の巻に云はく「文殊(もんじゅ)師利(しり)、此の法華経は、諸仏如来の秘密の蔵なり。諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云。第七の巻に云はく「此の法華経も亦復是くの如し。諸経の中に於て、最も()れ其の上なり」と。又云はく「最も()照明(しょうみょう)なり。最も()れ其の尊なり」等云云。    それゆえ竜樹菩薩の大智度論には「仏以下の衆生は、ただ信じることによって仏になることができたのある」と記されている。法華経の第四巻法師品第十には「薬王菩薩よ今汝に告げよう。私の説いた多くの経がある、これらの経の中で法華経が最第一でる」等とある。第五巻安楽行品第十四には「文殊師利菩薩よ、この法華経は諸仏如来の秘密の法蔵である。諸経の中で最も上位である」とある。また第七巻薬王菩薩本事品第二十三には「この法華経もまた同様である。諸経の中で最も上位である」また「最も明るく照らす」「最も尊い」等とある。
 此等の経文、私の義にあらず、仏の誠言にて候へば定めてよもあやま()りは候はじ。民が家に生まれたる者、我は(さむらい)(ひと)しなんど申せば必ずとが()来たる。まして我国王に斉し、まして勝れたりなんど申せば我が身のとが()となるのみならず、父母と申し、妻子と云ひ、必ず損ずる事、大火の宅を焼き、大木の倒るゝ時小木等の損ずるが如し。    これらの経は私の勝手な義ではない。仏の真実の言葉であるので、必ず、まさか誤りはあるまい。民の家に生まれた者が「私は侍と同等である」などといえば、必ず咎めを受ける。まして「私は国王と同等である」、さらに、「国王よりも勝れている」などといえば、自分に対する咎だけではなく、父母や妻子も必ず害を蒙ることは、大火が家を焼き大木が倒れる時・小木などが損なわれるようなものである。 
 仏教も又かくの如く、()(ごん)()(ごん)方等(ほうどう)般若(はんにゃ)大日(だいにち)経・阿弥陀経等に依る人々の、我が信じたるまゝに勝劣も弁へずして、我が阿弥陀経等は法華経と斉等なり、将又(はたまた)勝れたりなんど申せば、其の一類の人々は我が経をほめられ、うれしと思へども、還ってとが()となりて師も弟子も檀那も悪道に墮つること()()るが如し。但し法華経の一切経に勝れりと申して候はくるしからず、還って大功徳となり候。経文の如くなるが故なり。    仏教もまた同様に、華厳・阿含・方等・般若部の経、大日経や阿弥陀経等を依経とする人々が自分が信じたままに勝劣も弁えないで「我が阿弥陀経等は法華経と同等である」、また「法華経よりも勝れている」などといえば、その仲間の人々は、自分の信じている経を褒められて嬉しいと思うだろうけれども、かえって罪となって師匠も弟子も檀那も悪道に堕ちることは、箭を射るように速やかである。ただし「法華経が一切経に勝れている」というのは差し支えない。かえって大功徳となるのである。経文に説かれているとおりだからである。

 

第二章 四十余年の未顕真実の義を示す

 此の法華経の始めに無量義経と申す経おはします。譬へば大王の()(ゆき)の御時、将軍前陳(ぜんちん)して狼藉(ろうぜき)をしづむるが如し。其の無量義経に云はく「四十余年には未だ真実を顕はさず」等云云。此は将軍が大王に敵する者を大弓を以て射はらひ、又太刀を以て切りすつるが如し。華厳経を読む華厳宗・阿含経の律僧等・観経(かんぎょう)の念仏者等・大日経の真言師等の者共が、法華経にしたが()はぬを()めなびかす利剣の勅宣なり。譬へば貞任(さだとう)義家(よしいえ)が責め、清盛を頼朝の打ち()せしが如し。無量義経の四十余年の文は()(どう)明王(みょうおう)の剣索、愛染(あいぜん)明王(みょうおう)弓箭(きゅうせん)なり。故南条五郎殿の死出の山(さん)()の河を越し給はん時、煩悩(ぼんのう)の山賊・罪業の海賊を静めて、事故(ことゆえ)なく霊山浄土へ参らせ給ふべき御供の兵者は、
(★1509㌻)
無量義経の四十余年()(けん)真実(しんじつ)の文ぞかし。
   この法華経の開経に無量義経という経がある。たとえば大王のお出かけの時、将軍が前に陣して狼籍を鎮めるようなものである。その無量義経に「四十余年の間に説いた経には未だ真実を顕していない」等とある。これは将軍が大王に敵対する者を大弓で射て追い払い、また太刀で切り捨てるようなものでる。華厳経を読誦する華厳宗・阿含経を読誦する律僧等・観無量寿経の念仏者等・大日経の真言師等の者達が法華経に従わないのを攻めて服従させる利剣のような詔である。たとえば安倍貞任を源義家が攻め、平清盛を源頼朝が打ち滅ぼしたうおうなものであり。無量義経の「四十余年」の文は不動明王の剣と索・愛染明王の弓と箭のようなものである。
 故南条五郎殿の死出の山や三途の河を越えられる時、煩悩の山賊や罪業の海賊を鎮めて別条なく霊山浄土へ参られることのできる御供の兵士は無量義経の「四十余年には未だ真実を顕さず」の文である。

 

第三章 正直捨方便の道理を教示

 法華経第一の巻方便品に云はく「世尊は法久しくして後、(かなら)ず当に真実を説きたもふべし」と。又云はく「正直に方便を捨てゝ、但無上道を説く」云云。第五の巻に云はく「唯、髻中(けいちゅう)明珠(みょうじゅ)」と。又云はく「独り王の頂上に、此の一つの珠有り」と。又云はく「彼の強力の王の、久しく護れる明珠を、今(すなわ)ち之を与ふるが如し」等云云。文の心は日本国に一切経(いっさいきょう)わたれり、七千三百九十九巻なり。彼々の経々は皆法華経の眷属(けんぞく)なり。例せば日本国の男女の数四十九億九万四千八百二十八人候へども、皆一人の国王の家人たるが如し。    法華経第一巻方便品第二に「世尊の説く法は久しくたった後に必ず真実を説かれるであろう」、また「正直に方便を捨てて、ただ無上の教えを説く」とある。第五巻安楽行品第十四には「ただ髻の中の明珠」、また「ひとり王の頭の上に、この一つの珠がある」また「かの力の強い王が長い間、護持してきた明珠を今まさに与えるようなものである」等とある。文の意味は日本の国に一切経が渡来した。七千三百九十九巻である。それらの経々は皆、法華経の眷属である。たとえば、日本国の男女の人数は四百九十九万四千八百二十八人であるけれども、皆一人の国王の臣下のようなものである。
 一切経の心は愚癡(ぐち)の女人なんどの唯一時に心()べきやうは、たとへば大塔をくみ候には先づ材木より外に足代(あししろ)と申して多くの小木を集め、一丈二丈計り()()げ候なり。かく()()げて、材木を以て大塔をくみあげ候ひつれば、返って足代を切り捨て大塔は候なり。足代と申すは一切経なり、大塔と申すは法華経なり。仏一切経を説き給ひし事は法華経を説かせ給はんための足代なり。    一切経の意味は愚癡の女人などがほんのすぐに理解できる形として、たとえば大きな塔を組み上げるときには、まず材木のほかに足代といって多くの小木を集めて一丈・二丈ばかり結い上げるのである。そのように結い上げて、材木で大塔を組み上げたときには、かえって足代を切り捨て去り、大きな塔はそのまま残すのである。足代というのは一切経であり大塔というのは法華経である。仏が一切経を説かれたのは、法華経を説かれるための足代としてである。 
 正直(しょうじき)(しゃ)方便(ほうべん)と申して、法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏、大日経等の真言宗、阿含経等の律宗の二百五十戒等を切りすて(なげう)ちてのち法華経をば持ち候なり。大塔をくまんがためには足代大切なれども、大塔をくみあげぬれば足代を切り落とすなり。正直捨方便と申す文の心是なり。    「正直に方便を捨てて」といって、法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切り捨て抛ってのち、法華経を持つのである。 大塔を組み上げるためには足代は大切であるけれども、大塔を組み上げてしまったならば足代を切り落とすのである。「正直に方便を捨てて」という文の意はこれである。
 足代より塔は出来して候へども、塔を捨てゝ足代ををが()む人なし。今の世の道心者等、一向に南無阿弥陀仏と唱へて一生をすごし、南無妙法蓮華経と一返も唱へぬ人々は大塔をすてゝ足代ををがむ人々なり。世間にかしこくはかなき人と申すは是なり。    足代によって塔はできたけれども、塔を捨てて足代を拝む人はいない。今の世の仏道修行者等で、ひとえに南無阿弥陀仏と称えて一生を過ごし、南無妙法蓮華経と一遍も唱えない人々は、大塔を捨てて足代を拝む人々である。世間に賢くて愚かな人というのはこれである。

 

第四章 五郎の成仏を教え信心を励ます

 故七郎五郎殿は当世の日本国の人々には()させ給はず。をさな()き心なれども賢き父の跡をおひ、御年いまだはたち(二十)にも及ばぬ人が、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて仏にならせ給ひぬ。無一不成仏とは是なり。乞ひ願はくは悲母我が子を恋しく(おぼ)()し給ひなば、南無妙法蓮華経と唱へさせ給ひて、故南条殿・故五郎殿と一所に生まれんと願はせ給へ。一つ種は一つ種、別の種は別の種。同じ妙法蓮華経の種を心にはら()ませ給ひなば、同じ妙
(★1510㌻)
法蓮華経の国へ生まれさせ給ふべし。三人(おもて)をならべさせ給はん時、御悦びいかゞうれ()しくおぼしめすべきや。
   故七郎五郎殿は当世の日本国の人々には、似ておられない。幼い心であったけれども、賢い父の跡を継ぎ、歳もまだ二十歳にはならない人が南無妙法蓮華経と唱えられて仏になられたのである。「ひとりとして成仏せずということなかりけん」と説かれているのはこれである。
 請い願うところは、悲母が我が子を恋しく思われるならば南無妙法蓮華経と唱えられて故南条兵衛七郎殿・故七郎五郎殿と同じ所に生まれようと願われるがよい。一つの種は一つの種であり、別の種は別の種である。同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるならば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれられるであろう。三人が顔を合わせられるとき、その御悦びはいかばかりで、どんなに嬉しく思われることであろう。

 

第五章 法華経が諸仏の主師親なるを示す

 (そもそも)此の法華経を開いて拝見(つかまつ)り候へば「如来則ち、衣を以て之を覆ひたもふ()し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるゝことを()ん」等云云。経文の心は東西南北八方、並びに三千大千世界の外、四百万億那由他の国土に十方の諸仏ぞくぞくと充満せさせ給ふ。天には星の如く、地には(とう)()のやうに(なみ)()させ給ひ、法華経の行者を守護せさせ給ふ事、譬へば大王の太子を諸の臣下の守護するが如し。    さてこの法華経を拝見してみると「如来は衣でこの人を覆われるであろう。また他方の現在の諸仏が護念してくださるであろう」等とある。経文の意は東西南北・八方・ならびに三千大千世界の外・四百万億那由佗の国土に十方の諸仏が続々と充満する。天には星のように地には稲や麻のように並んでおられ、法華経の行者を守護せれることは、たとえば大王の太子を諸の臣下の守護するようなものである。
 但四天王一類のま()り給はん事のかたじけなく候に、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈(たいしゃく)梵天(ぼんてん)等の守護せさせ給ふに足るべき事なり。其の上一切の二乗・一切の菩薩・()(そつ)内院の()(ろく)()(さつ)迦羅陀(からだ)山の地蔵・補陀(ふだ)(らく)山の観世音・清凉(しょうりょう)山の文殊(もんじゅ)師利(しり)菩薩等、各々眷属を具足して法華経の行者を守護せさせ給ふに足るべき事に候に、又かたじけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏の()づからみづ()から来たり給ひて、昼夜十二時に守らせ給はん事のかたじけなさ申す計りなし。    ただ四天王の一類が護ってくださることさえ有り難く嬉しいことなのに、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈天・梵天等が守護されるのだから満足すべきことである。そのうえ一切の二乗・一切の菩薩・兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音菩薩・清凉山の文殊師利菩薩等それぞれが眷属をともなって法華経の行者を守護されるのだから満足すべきことであるのに、また申しわけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏が自ら来られて昼夜十二時に守護されることの有り難さはいいようがない。
 かゝるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏霊山(りょうぜん)浄土に集まらせ給ひて、或は手にすへ、或は頂をなで、或はいだき、或は悦び、月の始めて出でたるが如く、花の始めてさけるが如く、いかに愛しまいらせ給ふらん。     このように有り難い御経を故五郎殿は信心されて仏になられ、今日は四十九日になられるので、一切の諸仏が霊山浄土に集まられて、あるいは手にすえ、あるいは頭をなで、あるいは抱き、あるいは悦び、月が初めて出たように、花が初めて咲いたように、どんなにか愛されていることであろう。
 (そもそも)いかなれば三世十方の諸仏はあながちに此の法華経をば守らせ給ふと勘へて候へば、道理にて候ひけるぞ。法華経と申すは三世十方の諸仏の父母なり、めの()()なり、主にてましましけるぞや。かえる()と申す虫は母の(こえ)を食とす。母の声を聞かざれば生長する事なし。からぐら(迦羅求羅)と申す虫は風を食とす。風吹かざれば生長せず。魚は水をたのみ、鳥は木をすみか()とす。仏も亦かくの如く、法華経を命とし、食とし、すみかとし給ふなり。魚は水にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。鳥は木にすむ、仏は此の経にすみ給ふ。月は水にやどる、仏は此の経にやどり給ふ。此の経なき国には仏まします事なしと御心得あるべく候。
(★1511㌻)
   一体どうして三世十方の諸仏は強くこの法華経を守られるのであろうかと考えてみると、道理なのである。法華経というのは三世十方の諸仏の父母であり、乳母であり、主君であられるのである。
 かえるという虫は母の鳴き声を食物とする。母の声を聞かなければ生長しない。からぐらという虫は風を食物としている。風が吹かなければ生長しない。魚は水を依りどころとし、鳥は木を栖としている。仏もまた同じく法華経を命とし、食物とし、すみかとされている。魚は水に棲んでる。仏は此の経に住まわれている。月は水に宿る。仏は此の経に宿られる。此の経のない国には仏がおられるという事はないと御心得なさい。

 

第六章 輪陀王の故事を挙ぐ

 古昔(むかし)(りん)()(おう)と申せし王をはしき。(なん)(えん)()(だい)の主なり。此の王はなにをか供御(くご)とし給ひしと尋ぬれば、白馬のいなゝくを聞いて食とし給ふ。此の王は白馬のいなゝけば年も若くなり、色も盛んに、魂もいさぎよく、力もつよく、又政事(まつりごと)も明らかなり。故の其の国には白馬を多くあつめ飼ひしなり。譬へば()王と申せし王の鶴を多くあつめ、徳宗(とくそう)皇帝のほたるを愛せしが如し。白馬のいなゝく事は又白鳥の鳴きし故なり。されば又白鳥を多く集めしなり。    昔、輪陀王という王がおられた。南閻浮提の主君であった。この王はなにを召し上がられたというと、白鳥のいなきを聞いて食事とされた。この王は白馬がいななくと、年も若くなり、顔色もよく、心もさわやかで、力も強く、また政治も公明であった。したがって、その国には白馬を多く集めて飼っていた。たとえば魏王という王が鶴を多く集め、徳宗皇帝が蛍を愛したようなものである。白馬のいななくのは、また白鳥が鳴くからであった。それゆえ白鳥を多く集めていた。
 或時如何(いかん)がしけん、白鳥皆()せて白馬いなゝかざりしかば、大王供御(くご)たえて、盛んなる花の露にしほれしが如く、満月の雲におほ()はれたるが如し。此の王既にかくれさせ給はんとせしかば、后・太子・大臣・一国皆母に別れたる子の如く、皆色をうしなひて涙を袖におびたり。    ある時、どうしたことか、白鳥が皆いなくなって白馬がいななかったので、大王が食が絶えて、盛りの花が露によって萎れるように、満月が雲に覆われるようになってしまった。この王がもはやお亡くなりになろうとしたので、后・太子・大臣・国中の人々は皆、母に別れた子のように皆、顔色を失って、涙で袖をぬらすのであった。
 如何(いかん)がせん如何がせん、其の国に外道多し、当時の禅宗・念仏者・真言師・律僧等の如し。又仏の弟子も有り、当時の法華宗の人々の如し。(なか)()しき事水火なり。()(えつ)とに似たり。大王勅宣を下して云はく「一切の外道此の馬をいなゝかせば仏教を失ひて一向に外道を信ぜん事諸天の帝釈(たいしゃく)を敬ふが如くならん。仏弟子此の馬をいなゝかせば一切の外道の(くび)を切り、其の所をうばひ取りて仏弟子につくべし」と云云。外道も色をうしなひ、仏弟子も歎きあへり。    「どうしたものか、どうしたものか」と。その国に外道が多くいた。今の時代の禅宗・念仏者・真言師・律僧などのようなものである。また、仏の弟子もいた。今の法華宗の人々のようなものである。仲の悪いことは水と火のようであり胡と越との関係に似ていた。大王は勅を下して「一切の外道がこの白馬をいななかしたならば、仏教を滅ぼして偏に外道を信ずることは諸天が帝釈を敬うようにしよう。仏弟子がこの馬をいななかしたならば、一切の外道の首を切り、その住所を奪いとって仏弟子に与えよう」といった。外道も顔色を失い、仏弟子も歎きあった。
 而れどもさて()つべき事ならねば、外道は先に七日を行なひき。白鳥も来たらず、白馬もいなゝかず。後七日を仏弟子に渡して祈らせしに、馬鳴(めみょう)と申す小僧一人あり。諸仏の御本尊とし給ふ法華経を以て七日祈りしかば白鳥壇上に飛び来たる。此の鳥一声鳴きしかば一馬一声いなゝく。大王は馬の声を聞いて病の床よりをき給ふ。后より始めて諸人馬鳴に向かひて礼拝をなす。    しかしながら、そのままですむことではないので、外道は先に七日間、行なった。白鳥も来ず、白馬もいななかった。後の七日間を仏弟子に与えて祈らせたときに、馬鳴という一人の小僧がいて、諸仏が御本尊となされていた法華経で七日間、祈ったところ白鳥が壇上に飛来した。この鳥が一声鳴いたときに、一馬が一声いなないた。大王は馬の声を聞いて病の床より起きられた。后をはじめ、諸人は馬鳴に向かって礼拝した。
 白鳥一・二・三乃至十・百・千出来して国中に充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬・二馬乃至百・千の白馬いなゝきしかば、大王此の音を()こし()面貌(かおかたち)は三十計り、心は日の如く明らかに、(まつりごと)正直なりしかば、天より(かん)()ふり下り、勅風万民をなびかして無量百歳()を治め給ひき。    白鳥は一羽・二羽・三羽、乃至十羽・百羽・千羽と出て来て国中に充満した。白馬はしきりにいななき、一頭・二頭・乃至百頭・千頭の白馬がいなないたので、大王はこの声を聞かれて顔の相は三十歳ごろのようで、心は太陽のように明らかで、政冶を正しく行ったので、天から甘露が降り、王の詔は万民を従えて無量百歳の間、世を治めたのである。

 

第七章 亡国の根源を指摘

 仏も又かくの如く、()(ほう)(ぶつ)と申す仏は此の経にあひ給はざれば御入滅、此の経をよむ代には出現し給ふ。
(★1512㌻)
釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し。かゝる不思議の徳まします経なれば此の経を持つ人をば、いかでか天照(てんしょう)太神(だいじん)・八幡大菩薩・富士千眼(せんげん)大菩薩すてさせ給ふべきとたのもしき事なり。又此の経にあだをなす国をばいかに正直に祈り候へども、必ず其の国に七難起こりて他国に破られて亡国となり候事、大海の中の大船の大風に値ふが如く、大旱魃(かんばつ)の草木を枯らすが如しとをぼしめせ。当時日本国のいかなるいの()り候とも、日蓮が一門法華経の行者をあなづらせ給へば、さまざまの御いのり叶はずして、大(もう)()(こく)()められてすでにほろ()びんとするが如し。今も御覧ぜよ。たゞかくては候まじきぞ。是皆法華経をあだませ給ふ故と御信用あるべし。
   仏もまた同じであり、多宝仏という仏は此の経にあわれないときは御入滅になっており、この経を読む代には出現されるのである。

 釈迦仏や十方の諸仏もまた同様である。このような不思議の徳のあらわれる経なので、この経を持つ人をどうして天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩が見捨てられることがあろうかと思うと、頼もしいことである。また、この経に怨をなす国をいかに正直に祈ったとしても、必ずその国に七つの難が起こり、他国に攻め滅ぼされて亡国となることは、大海のなかの大船が大風に遭うようなものであり、大旱魃が草木を枯らすようなものであると思いなさい。
 今の時、日本の国がどのような祈りをなしたとしても、日蓮の一門、法華経の行者を侮られているので、さまざまな御祈りも叶わずに大蒙古国に攻められて、もはや亡びようとしているようなものである。今もご覧になっていなさい。ただ、このような状態であることはないだろう、これは皆、法華経を怨まれているゆえであると信じなさい。

 

第八章 母尼御前の心中を思い遣る

 (そもそも)故五郎殿かくれ給ひて既に四十九日なり。無常はつねの習ひなれども此の事うち()く人すらなを()しのび()がたし。いわ()うや母となり妻となる人をや。心のほどをしはかられて候。人の子にはをさ()なきもあり、をとなしきもあり、みにく()きもあり、かたわ(不具)なるもあり、をもいになるべきにや。()()ゞたる上、かたわにもなし、ゆみ()()にもさゝひ(障害)なし、心もなさ()けあり。故上野殿には盛んなりし時をく()れてなげき浅からざりしに、此の子をはら()みていまださん()なかりしかば、火にも入り水にも入らんと思ひしに、此の子すでに平安なりしかば、誰にあつらへて身をも()ぐべきと思ひて、此に心をなぐさめて此の十四五年はすぎぬ。いかにいかにとすべき。二人の()()ゞにこそにな()われめと、たのもしく思ひ候ひつるに、今年九月五日、月を雲にかくされ、花を風にふかせて、ゆめかゆめならざるか、あわれひさ()しきゆめ()かなとなげ()()り候へば、うつゝ()()て、すでに四十九日()せすぎぬ。まことならばいかんが(如何)せんいかんが(如何)せん。()ける花はちらずして、つぼめる花の()れたる。()いたる母はとゞまりて、わか()()はさりぬ。なさ()()かりける、無常かな無常かな。    さて、故五郎殿が亡くなられて既に四十九日である。無常であることは常の習いであるけれども、このことを聞いた人でさえ、なお忍びがたい。ましてや母となり、妻となっている人はなおさらであろう。心中を御推察申し上げる。
 人の子には幼い者もあり、おとなびている者もあり、醜い者もあり、体に障害のある者もあるが、そうした者でさえ親は愛しく思うものなのである。まして故七郎五郎殿は男の子であるうえ、五体満足で、弓矢を扱うにも障害がなく、心にも情があった。
 故上野殿には壮年の時に先立たれ、歎きは浅くなかったから、この子を懐妊していなかったならば火にも入り水にも入って後を追おうと思っていたのに、この子が無事生れたので、誰にこの子を頼んで、身を投げられようかと思って、自分を励ましてこの十四、十五年は過ぎた。それなのに、どうしたらよいというのか、二人の男の子に担ってもらえると頼もしく思っていたのに今年九月五日、月を雲を隠され、花を風に吹かれたように七郎五郎は亡くなってしまった。夢なのか夢でないのか、ああなんと長い夢かと嘆いていると、現実のようで既に四十九日は過ぎ去ってしまった。事実ならば、どうしたものか、咲いた花が散らずに、蕾の花が枯れてしまったように、老いた母は留まって、若い子供は去ってしまった。なんと情けのない無常の世であることよ。無常の世であることよ。
 かゝるなさけなき国をばいと()()てさせ給ひて、故五郎殿の御信用ありし法華経につかせ給ひて、常住(じょうじゅう)不壊(ふえ)りゃう()山浄土へまいらせさせ給へ。ちゝ()はりゃうぜんにまします。母は娑婆にとゞまれり。二人の中間にをはします故五郎殿の心こそ、をもいやられてあわ()
(★1513㌻)
にをぼへ候へ。事多しと申せどもとゞめ候ひ了んぬ。恐々謹言。
  十月二十四日    日蓮 花押
 上野殿母尼御前御返事
   このような情けのない国を厭い捨てられて、故七郎五郎が信心していた法華経につき従われて、常住不壊の霊山浄土へ速やかに参られるがよい。
父は霊山におられる。母は娑婆世界に留まっている、二人の中間におられる故五郎殿の心こそ思いやられて哀れに思われる。
 申し上げたいことは多くあるけれども、これで止めておく。
恐恐謹言。
 十月二十四日    日蓮 花押
上野殿母尼御前御返事