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(★1508㌻) 南条故七郎五郎殿の四十九日御 |
故南条七郎五郎殿の四十九日の追善法要のために送られた御供養の品物の目録、鵞目二百文・白米一駄・芋一駄・すり豆腐・蒟蒻・柿一篭・柚五十個等受けとった。追善供養のために法華経を一部・自我偈を数度、題目を百千遍、お唱え申し上げた。 |
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| (★1508㌻) |
さて法華経という御経は釈尊一代の仏教中には、似るものもない優れた御経で、しかも「唯、仏と仏とのみが」と説かれて、仏と仏とのみがお知りになられて、等覚の菩薩以下凡夫に至るまでの衆生は知ることができないのである。 | |
| されば竜樹菩薩の大論には、仏已下はたゞ信じて仏になるべしと見えて候。法華経の第四 |
それゆえ竜樹菩薩の大智度論には「仏以下の衆生は、ただ信じることによって仏になることができたのある」と記されている。法華経の第四巻法師品第十には「薬王菩薩よ今汝に告げよう。私の説いた多くの経がある、これらの経の中で法華経が最第一でる」等とある。第五巻安楽行品第十四には「文殊師利菩薩よ、この法華経は諸仏如来の秘密の法蔵である。諸経の中で最も上位である」とある。また第七巻薬王菩薩本事品第二十三には「この法華経もまた同様である。諸経の中で最も上位である」また「最も明るく照らす」「最も尊い」等とある。 | |
| 此等の経文、私の義にあらず、仏の誠言にて候へば定めてよも |
これらの経は私の勝手な義ではない。仏の真実の言葉であるので、必ず、まさか誤りはあるまい。民の家に生まれた者が「私は侍と同等である」などといえば、必ず咎めを受ける。まして「私は国王と同等である」、さらに、「国王よりも勝れている」などといえば、自分に対する咎だけではなく、父母や妻子も必ず害を蒙ることは、大火が家を焼き大木が倒れる時・小木などが損なわれるようなものである。 | |
| 仏教も又かくの如く、 |
仏教もまた同様に、華厳・阿含・方等・般若部の経、大日経や阿弥陀経等を依経とする人々が自分が信じたままに勝劣も弁えないで「我が阿弥陀経等は法華経と同等である」、また「法華経よりも勝れている」などといえば、その仲間の人々は、自分の信じている経を褒められて嬉しいと思うだろうけれども、かえって罪となって師匠も弟子も檀那も悪道に堕ちることは、箭を射るように速やかである。ただし「法華経が一切経に勝れている」というのは差し支えない。かえって大功徳となるのである。経文に説かれているとおりだからである。 |
| 此の法華経の始めに無量義経と申す経おはします。譬へば大王の (★1509㌻) 無量義経の四十余年 |
この法華経の開経に無量義経という経がある。たとえば大王のお出かけの時、将軍が前に陣して狼籍を鎮めるようなものである。その無量義経に「四十余年の間に説いた経には未だ真実を顕していない」等とある。これは将軍が大王に敵対する者を大弓で射て追い払い、また太刀で切り捨てるようなものでる。華厳経を読誦する華厳宗・阿含経を読誦する律僧等・観無量寿経の念仏者等・大日経の真言師等の者達が法華経に従わないのを攻めて服従させる利剣のような詔である。たとえば安倍貞任を源義家が攻め、平清盛を源頼朝が打ち滅ぼしたうおうなものであり。無量義経の「四十余年」の文は不動明王の剣と索・愛染明王の弓と箭のようなものである。 故南条五郎殿の死出の山や三途の河を越えられる時、煩悩の山賊や罪業の海賊を鎮めて別条なく霊山浄土へ参られることのできる御供の兵士は無量義経の「四十余年には未だ真実を顕さず」の文である。 |
| 法華経第一の巻方便品に云はく「世尊は法久しくして後、 |
法華経第一巻方便品第二に「世尊の説く法は久しくたった後に必ず真実を説かれるであろう」、また「正直に方便を捨てて、ただ無上の教えを説く」とある。第五巻安楽行品第十四には「ただ髻の中の明珠」、また「ひとり王の頭の上に、この一つの珠がある」また「かの力の強い王が長い間、護持してきた明珠を今まさに与えるようなものである」等とある。文の意味は日本の国に一切経が渡来した。七千三百九十九巻である。それらの経々は皆、法華経の眷属である。たとえば、日本国の男女の人数は四百九十九万四千八百二十八人であるけれども、皆一人の国王の臣下のようなものである。 | |
| 一切経の心は |
一切経の意味は愚癡の女人などがほんのすぐに理解できる形として、たとえば大きな塔を組み上げるときには、まず材木のほかに足代といって多くの小木を集めて一丈・二丈ばかり結い上げるのである。そのように結い上げて、材木で大塔を組み上げたときには、かえって足代を切り捨て去り、大きな塔はそのまま残すのである。足代というのは一切経であり大塔というのは法華経である。仏が一切経を説かれたのは、法華経を説かれるための足代としてである。 | |
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「正直に方便を捨てて」といって、法華経を信ずる人は阿弥陀経等の南無阿弥陀仏・大日経等の真言宗・阿含経等の律宗の二百五十戒等を切り捨て抛ってのち、法華経を持つのである。 大塔を組み上げるためには足代は大切であるけれども、大塔を組み上げてしまったならば足代を切り落とすのである。「正直に方便を捨てて」という文の意はこれである。 | |
| 足代より塔は出来して候へども、塔を捨てゝ足代を |
足代によって塔はできたけれども、塔を捨てて足代を拝む人はいない。今の世の仏道修行者等で、ひとえに南無阿弥陀仏と称えて一生を過ごし、南無妙法蓮華経と一遍も唱えない人々は、大塔を捨てて足代を拝む人々である。世間に賢くて愚かな人というのはこれである。 |
| 故七郎五郎殿は当世の日本国の人々には (★1510㌻) 法蓮華経の国へ生まれさせ給ふべし。三人 |
故七郎五郎殿は当世の日本国の人々には、似ておられない。幼い心であったけれども、賢い父の跡を継ぎ、歳もまだ二十歳にはならない人が南無妙法蓮華経と唱えられて仏になられたのである。「ひとりとして成仏せずということなかりけん」と説かれているのはこれである。 請い願うところは、悲母が我が子を恋しく思われるならば南無妙法蓮華経と唱えられて故南条兵衛七郎殿・故七郎五郎殿と同じ所に生まれようと願われるがよい。一つの種は一つの種であり、別の種は別の種である。同じ妙法蓮華経の種を心に孕まれるならば、同じ妙法蓮華経の国へ生まれられるであろう。三人が顔を合わせられるとき、その御悦びはいかばかりで、どんなに嬉しく思われることであろう。 |
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さてこの法華経を拝見してみると「如来は衣でこの人を覆われるであろう。また他方の現在の諸仏が護念してくださるであろう」等とある。経文の意は東西南北・八方・ならびに三千大千世界の外・四百万億那由佗の国土に十方の諸仏が続々と充満する。天には星のように地には稲や麻のように並んでおられ、法華経の行者を守護せれることは、たとえば大王の太子を諸の臣下の守護するようなものである。 | |
| 但四天王一類のま |
ただ四天王の一類が護ってくださることさえ有り難く嬉しいことなのに、一切の四天王・一切の星宿・一切の日月・帝釈天・梵天等が守護されるのだから満足すべきことである。そのうえ一切の二乗・一切の菩薩・兜率内院の弥勒菩薩・迦羅陀山の地蔵・補陀落山の観世音菩薩・清凉山の文殊師利菩薩等それぞれが眷属をともなって法華経の行者を守護されるのだから満足すべきことであるのに、また申しわけなくも釈迦・多宝・十方の諸仏が自ら来られて昼夜十二時に守護されることの有り難さはいいようがない。 | |
| かゝるめでたき御経を故五郎殿は御信用ありて仏にならせ給ひて、今日は四十九日にならせ給へば、一切の諸仏 |
このように有り難い御経を故五郎殿は信心されて仏になられ、今日は四十九日になられるので、一切の諸仏が霊山浄土に集まられて、あるいは手にすえ、あるいは頭をなで、あるいは抱き、あるいは悦び、月が初めて出たように、花が初めて咲いたように、どんなにか愛されていることであろう。 | |
| (★1511㌻) |
一体どうして三世十方の諸仏は強くこの法華経を守られるのであろうかと考えてみると、道理なのである。法華経というのは三世十方の諸仏の父母であり、乳母であり、主君であられるのである。 かえるという虫は母の鳴き声を食物とする。母の声を聞かなければ生長しない。からぐらという虫は風を食物としている。風が吹かなければ生長しない。魚は水を依りどころとし、鳥は木を栖としている。仏もまた同じく法華経を命とし、食物とし、すみかとされている。魚は水に棲んでる。仏は此の経に住まわれている。月は水に宿る。仏は此の経に宿られる。此の経のない国には仏がおられるという事はないと御心得なさい。 |
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昔、輪陀王という王がおられた。南閻浮提の主君であった。この王はなにを召し上がられたというと、白鳥のいなきを聞いて食事とされた。この王は白馬がいななくと、年も若くなり、顔色もよく、心もさわやかで、力も強く、また政治も公明であった。したがって、その国には白馬を多く集めて飼っていた。たとえば魏王という王が鶴を多く集め、徳宗皇帝が蛍を愛したようなものである。白馬のいななくのは、また白鳥が鳴くからであった。それゆえ白鳥を多く集めていた。 | |
| 或時 |
ある時、どうしたことか、白鳥が皆いなくなって白馬がいななかったので、大王が食が絶えて、盛りの花が露によって萎れるように、満月が雲に覆われるようになってしまった。この王がもはやお亡くなりになろうとしたので、后・太子・大臣・国中の人々は皆、母に別れた子のように皆、顔色を失って、涙で袖をぬらすのであった。 | |
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「どうしたものか、どうしたものか」と。その国に外道が多くいた。今の時代の禅宗・念仏者・真言師・律僧などのようなものである。また、仏の弟子もいた。今の法華宗の人々のようなものである。仲の悪いことは水と火のようであり胡と越との関係に似ていた。大王は勅を下して「一切の外道がこの白馬をいななかしたならば、仏教を滅ぼして偏に外道を信ずることは諸天が帝釈を敬うようにしよう。仏弟子がこの馬をいななかしたならば、一切の外道の首を切り、その住所を奪いとって仏弟子に与えよう」といった。外道も顔色を失い、仏弟子も歎きあった。 | |
| 而れどもさて |
しかしながら、そのままですむことではないので、外道は先に七日間、行なった。白鳥も来ず、白馬もいななかった。後の七日間を仏弟子に与えて祈らせたときに、馬鳴という一人の小僧がいて、諸仏が御本尊となされていた法華経で七日間、祈ったところ白鳥が壇上に飛来した。この鳥が一声鳴いたときに、一馬が一声いなないた。大王は馬の声を聞いて病の床より起きられた。后をはじめ、諸人は馬鳴に向かって礼拝した。 | |
| 白鳥一・二・三乃至十・百・千出来して国中に充満せり。白馬しきりにいなゝき、一馬・二馬乃至百・千の白馬いなゝきしかば、大王此の音を |
白鳥は一羽・二羽・三羽、乃至十羽・百羽・千羽と出て来て国中に充満した。白馬はしきりにいななき、一頭・二頭・乃至百頭・千頭の白馬がいなないたので、大王はこの声を聞かれて顔の相は三十歳ごろのようで、心は太陽のように明らかで、政冶を正しく行ったので、天から甘露が降り、王の詔は万民を従えて無量百歳の間、世を治めたのである。 |
| 仏も又かくの如く、 (★1512㌻) 釈迦仏・十方の諸仏も亦復かくの如し。かゝる不思議の徳まします経なれば此の経を持つ人をば、いかでか |
仏もまた同じであり、多宝仏という仏は此の経にあわれないときは御入滅になっており、この経を読む代には出現されるのである。 釈迦仏や十方の諸仏もまた同様である。このような不思議の徳のあらわれる経なので、この経を持つ人をどうして天照太神・八幡大菩薩・富士千眼大菩薩が見捨てられることがあろうかと思うと、頼もしいことである。また、この経に怨をなす国をいかに正直に祈ったとしても、必ずその国に七つの難が起こり、他国に攻め滅ぼされて亡国となることは、大海のなかの大船が大風に遭うようなものであり、大旱魃が草木を枯らすようなものであると思いなさい。 今の時、日本の国がどのような祈りをなしたとしても、日蓮の一門、法華経の行者を侮られているので、さまざまな御祈りも叶わずに大蒙古国に攻められて、もはや亡びようとしているようなものである。今もご覧になっていなさい。ただ、このような状態であることはないだろう、これは皆、法華経を怨まれているゆえであると信じなさい。 |
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さて、故五郎殿が亡くなられて既に四十九日である。無常であることは常の習いであるけれども、このことを聞いた人でさえ、なお忍びがたい。ましてや母となり、妻となっている人はなおさらであろう。心中を御推察申し上げる。 人の子には幼い者もあり、おとなびている者もあり、醜い者もあり、体に障害のある者もあるが、そうした者でさえ親は愛しく思うものなのである。まして故七郎五郎殿は男の子であるうえ、五体満足で、弓矢を扱うにも障害がなく、心にも情があった。 故上野殿には壮年の時に先立たれ、歎きは浅くなかったから、この子を懐妊していなかったならば火にも入り水にも入って後を追おうと思っていたのに、この子が無事生れたので、誰にこの子を頼んで、身を投げられようかと思って、自分を励ましてこの十四、十五年は過ぎた。それなのに、どうしたらよいというのか、二人の男の子に担ってもらえると頼もしく思っていたのに今年九月五日、月を雲を隠され、花を風に吹かれたように七郎五郎は亡くなってしまった。夢なのか夢でないのか、ああなんと長い夢かと嘆いていると、現実のようで既に四十九日は過ぎ去ってしまった。事実ならば、どうしたものか、咲いた花が散らずに、蕾の花が枯れてしまったように、老いた母は留まって、若い子供は去ってしまった。なんと情けのない無常の世であることよ。無常の世であることよ。 |
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| かゝるなさけなき国をば (★1513㌻) にをぼへ候へ。事多しと申せどもとゞめ候ひ了んぬ。恐々謹言。 十月二十四日 日蓮 花押 上野殿母尼御前御返事 |
このような情けのない国を厭い捨てられて、故七郎五郎が信心していた法華経につき従われて、常住不壊の霊山浄土へ速やかに参られるがよい。 父は霊山におられる。母は娑婆世界に留まっている、二人の中間におられる故五郎殿の心こそ思いやられて哀れに思われる。 申し上げたいことは多くあるけれども、これで止めておく。 恐恐謹言。 十月二十四日 日蓮 花押 上野殿母尼御前御返事 |