松野殿女房御返事 弘安三年九月一日  五九歳

 

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 白米一斗・芋一駄・梨子(なし)()(みょう)()・はじかみ・枝大豆・()()(かたがた)の物給び候ひぬ。濁れる水には月住まず。枯れたる木には鳥なし。心なき女人の身には仏住み給はず。法華経を持つ女人は澄める水の如し。釈迦仏の月宿(やど)らせ給ふ。譬へば女人の(はら)み始めたるには、吾が身には覚えねども、月(ようや)(かさ)なり、日も(しばしば)過ぐれば、初めにはさかと疑ひ、後には一定と思ふ。心ある女人はをのこ()()()()をも知るなり。法華経の法門も(また)かくの如し。南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏(はら)まれ給ふ。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし。法門多しといへども(とど)め候。法華経は、初めは信ずる様なれども後()ぐる事かたし。譬へば水の風にうごき、花の色の露に移るが如し。何として今までは(たも)たせ給ふぞ。是偏に前生の功力の上、釈迦仏の護り給ふか。たのもしゝ、たのもしゝ。(くわ)しくは甲斐殿申すべし。
  九月一日    日蓮花押
 松野殿女房御返事