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(★1479㌻) ぬる六月十五日の |
去る六月十五日の御面会、大変うれしく思っている。 さて神主を今日まで庇護されていること、ありがたく思っている。ただし、(国主等は)内々は法華経を怨敵としていても、表面には他の事にかこつけて憎まれるのが常であるから、熱原の者に事よせて、ここ、かしこと妨げられるのであろう。 |
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さればとて上に事をよせてせかれ候はんに、御 |
そうかといって、上(国主等)に事をよせて、妨げられるのに、従わなければ、(貴方は)ものをわきまえぬ人になってしまわれる。神主等を(あなたのところに)置かれてはまずいようならば、しばらくこちらに来られるように申されたい。妻子などはそちらに置いても、まさか捜されるようなことはないであろう。事が静まるまでそちらに置かれたならばよいと思う。 | |
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世の中は上につけ下によせて、とかく嘆き悲しむことが多い。栄えて世にある人を、貧しく世に用いられない人々が、雉が鷹を見るように恐れ、餓鬼が毘沙門をすばらしいとうらやむようなものであるが、その鷹は鷲に掴まれ、毘沙門は修羅に責められるのである。 同じように、今日本国で富み栄えている人々は、蒙古国が攻めてくることを聞いては、羊が虎の声を聞いたように恐れるのである。また筑紫へ行き、愛する妻と別れ、子と会えなくなることは、生皮を剥がれ、肉をえぐりとられるような苦しみであろう。いわんや蒙古国から押し寄せてきたならば蛇の口の蛙か、料理人のまな板の上に置かれた鯉か鮒のようなものである。 |
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今生はさておきぬ。命 しばらくの苦こそ候とも、ついには |
今生はさしおいて、死んだなら、一百三十六の地獄に堕ちて無量劫を経るであろう。我等は法華経を信じているから、今は浅い淵に住んでいる魚が、やがて天が曇って雨の降るのを喜ぶようなものである。 しばらくの間苦しいことがあっても、必ず、楽しみとなるのである。国王のたった一人の太子が、必ず位を継ぐように、どうして成仏しないことがあろうか。恐々謹言。 |
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(★1480㌻) 弘安三年七月二日 日蓮花押 上野殿御返事 人にしらせずして、ひそかにをほせ候べし。 |
弘安三年七月二日 日蓮花押 上野殿御返事 人に知らせないで、ひそかに(神主等に)伝えなさい。 |