上野殿御返事  弘安三年三月八日  五九歳

別名『孝不孝御書』

 

(★1463㌻)
 故上野殿御忌日の僧膳料(そうぜんりょう)米一たはら()、たしかに()び候ひ(おわ)んぬ。御仏に供しまいらせて、自我偈一巻よみまいらせ候べし。
 孝養と申すはまづ不孝を知りて孝をしるべし。不孝と申すは酉夢(ゆうぼう)と云ふ者、父を打ちしかば天雷身を()く。班婦(はんぷ)と申せし者、母を()りしかば毒蛇来たりて()みき。阿闍世(あじゃせ)王父をころせしかば白癩(びゃくらい)病の人となりにき。波瑠璃(はるり)王は親をころせしかば河上(かじょう)に火出でて現身に無間(むけん)()ちにき。他人をころ()したるには、いまだかくの如くの(ためし)なし。不孝をもて思ふに孝養の功徳のおほ()きなる事もしられたり。
 
 故上野殿の御忌日の僧膳料として、米一俵、たしかに頂戴した。御仏前に御供えして、自我偈一巻を読みまいらせよう。
 孝養ということについては、まず不孝を知ってこそ、孝を知ることができる。不孝といえば、酉夢という者が父を打ったところが、雷が落ちて身を裂かれ、班婦という者は母をのりしったところ、毒蛇が来て呑んでしまった。阿闍世王は父王を殺したために白癩病の人となった。波瑠璃王は親を殺したため、河の上で焼死し、生きながら無間地獄に堕ちた。他人を殺した者には、いまだにこのような例はない。これらの不孝の報いから、孝養の功徳の大きいこともわかる。
 外典三千余巻は他事なし、たゞ父母の孝養ばかりなり。しかれども現世をやし()なひて後生をたす()けず。父母の恩のおも()き事は大海のごとし、現世をやしなひ後生をたすけざれば一渧(いってい)のごとし。内典五千余巻又他事なし、たゞ孝養の功徳を()けるなり。しかれども如来四十余年の説教は孝養に()たれども、その説いまだあら()はれず、孝が中の不孝なるべし。目連尊者の母の餓鬼道の苦をすく()ひしかば、わづ()かに人天の苦をすく()ひていまだ成仏のみち()には()れず。    外典三千余巻は、ただ父母への孝養を教えたのであり、他のことは何もない。しかし現世だけの孝養で、親の後生を助けることはない。父母の恩の重く深いことは、大海のようであり、現世だけを養い、後生をたすけないのは一渧のようなものである。内典五千余巻もまた、他事はない。ただ父母の孝養の功徳を説いたものである。しかし、法華経以前の四十余年の釈尊の説教は、孝養を説いているようであっても、まだ真実義を顕していないから、孝のなかの不孝というべきであろう。目連尊者が母の餓鬼道の苦しみを救ったことも、わずかに人界・天界まで救い上げただけで、末だ成仏の道には入れていない。
 釈迦如来は御年三十の時、父浄飯王(じょうぼんのう)に法を説きて第四果を()せしめ給へり。母の摩耶(まや)夫人をば御年三十八の時、阿羅漢果を()せしめ給へり。此等は孝養に()たれども還って仏に不孝のとが()あり。わづかに六道をばはな()れしめたれども、父母をば(よう)不成仏の道に入れ給へり。譬へば太子を凡下の者となし、王女を匹夫(ひっぷ)にあはせたるが如し。    釈尊は御年三十の時、父王の浄飯王に法を説いて、第四の阿羅漢果を得させられ、三十八歳の時に母の摩耶夫人に阿羅漢果を得させられた。しかし、これは孝養に似ているがかえって不孝の失をまぬかれない。なぜなら、これによってわずかに六道の苦を離れさせたけれども、かえって父母を永不成仏の道に入れてしまったのである。たとえば太子を凡下の民に下したり、王女の身分を賤しい男に嫁がせたようなものである。
 されば仏説いて云はく「我則ち慳貪(けんどん)に堕せん。此の事は(さだ)めて不可なり」云云。仏は父母に甘露を()しみて麦飯を与へたる人、清酒をおしみて濁酒をのませたる不孝第一の人なり。波瑠璃(はるり)王のごとく現身に無間大城におち、阿闍世王の如く即身に白癩(びゃくらい)病をもつきぬべ    それゆえに仏は法華経方便品第二に「(もし真実の法を説かなかったら)自分は慳貪の罪に堕ちるであろう。そのことは何としてもよくない」と説かれている。仏は父母に甘露を惜しんで麦飯を与えた人であり、清酒を惜しんで濁酒を飲ませた不孝第一の人である。このままなら仏は波瑠璃王のように生きながら無間地獄に堕ち、阿闍世王のように即身に白癩病を受け継ぐべきところであったが、
(★1464㌻)
かりしが、四十二年と申せしに法華経を説き給ひて「是の人滅度の想ひを生じて涅槃に入ると(いえど)も、而も彼の土に於て仏の智慧を求めて是の経を聞くことを得ん」と、父母の御孝養のために法華経を説き給ひしかば、宝浄世界の多宝仏も(まこと)の孝養の仏なりと()め給ひ、十方の諸仏もあつまりて一切諸仏の中には孝養第一の仏なりと定め奉りき。
 
 成道して四十二年に法華経を説かれ「法華経已前の諸経に於て滅度の想いを生じて涅槃に入った二乗も、彼の土で仏の智慧を求めて、是の経を聞くことができるであろう」と。父母の御孝養のために法華経を説かれたので、宝浄世界から来られた多宝仏も、「真の孝養の仏である」と称賛され、十方の諸仏も来集されて「一切の諸仏の中孝養第一の仏である」と定められたのである。
 これをもって案ずるに日本国の人は皆不孝の仁ぞかし。涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説き給へり。されば天の日月、八万四千の星、各いか()りをなし、眼をいか()らかして日本国をにらめ給ふ。今の陰陽師(おんようじ)の天変(しき)りなりと奏し申す是なり。地夭(ちよう)日々に起こりて大海の上に小船を()かべたるが如し。今の日本国の少児は(たましい)うしな()ひ、女人は血を()く是なり。     このことから考えるに、日本国の人は皆、不孝の人というべきである。仏は涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多い、と説かれている。それゆえに天の日月・八万四千の星が、それぞれ怒りをなし、眼をいからかして日本国を睨みつけているのである。今の陰陽師が天変しきりに起こっていると奏上しているのはこのことである。また地夭が日日に起き、日本国はちょうど、大海の上に小船を浮かべたようなものである。今の日本国の小児が魂を失い女人が血を吐くのはこのためである。 
 貴辺は日本国第一の孝養の人なり。梵天・帝釈()り下りて左右の羽となり、四方の地神は足をいたゞいて父母とあを()ぎ給ふらん。事多しといへどもとゞ()め候ひ(おわ)んぬ。恐々謹言。
  弘安三年三月八日    日蓮 花押
 進上 上野殿御返事
   貴辺は日本国第一の孝養の人である。梵天・帝釈は下り来って、左右の羽となり、四方の地神はあなたの足をいただいて、父母と仰ぐであろう。なお申し上げたいが、これで筆を止める。恐恐謹言。
  弘安三年三月八日     日蓮 花押
 進上 上野殿御返事