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(★1463㌻) 故上野殿御忌日の 孝養と申すはまづ不孝を知りて孝をしるべし。不孝と申すは |
故上野殿の御忌日の僧膳料として、米一俵、たしかに頂戴した。御仏前に御供えして、自我偈一巻を読みまいらせよう。 孝養ということについては、まず不孝を知ってこそ、孝を知ることができる。不孝といえば、酉夢という者が父を打ったところが、雷が落ちて身を裂かれ、班婦という者は母をのりしったところ、毒蛇が来て呑んでしまった。阿闍世王は父王を殺したために白癩病の人となった。波瑠璃王は親を殺したため、河の上で焼死し、生きながら無間地獄に堕ちた。他人を殺した者には、いまだにこのような例はない。これらの不孝の報いから、孝養の功徳の大きいこともわかる。 |
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| 外典三千余巻は他事なし、たゞ父母の孝養ばかりなり。しかれども現世を |
外典三千余巻は、ただ父母への孝養を教えたのであり、他のことは何もない。しかし現世だけの孝養で、親の後生を助けることはない。父母の恩の重く深いことは、大海のようであり、現世だけを養い、後生をたすけないのは一渧のようなものである。内典五千余巻もまた、他事はない。ただ父母の孝養の功徳を説いたものである。しかし、法華経以前の四十余年の釈尊の説教は、孝養を説いているようであっても、まだ真実義を顕していないから、孝のなかの不孝というべきであろう。目連尊者が母の餓鬼道の苦しみを救ったことも、わずかに人界・天界まで救い上げただけで、末だ成仏の道には入れていない。 | |
| 釈迦如来は御年三十の時、父 |
釈尊は御年三十の時、父王の浄飯王に法を説いて、第四の阿羅漢果を得させられ、三十八歳の時に母の摩耶夫人に阿羅漢果を得させられた。しかし、これは孝養に似ているがかえって不孝の失をまぬかれない。なぜなら、これによってわずかに六道の苦を離れさせたけれども、かえって父母を永不成仏の道に入れてしまったのである。たとえば太子を凡下の民に下したり、王女の身分を賤しい男に嫁がせたようなものである。 | |
| されば仏説いて云はく「我則ち |
それゆえに仏は法華経方便品第二に「(もし真実の法を説かなかったら)自分は慳貪の罪に堕ちるであろう。そのことは何としてもよくない」と説かれている。仏は父母に甘露を惜しんで麦飯を与えた人であり、清酒を惜しんで濁酒を飲ませた不孝第一の人である。このままなら仏は波瑠璃王のように生きながら無間地獄に堕ち、阿闍世王のように即身に白癩病を受け継ぐべきところであったが、 | |
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(★1464㌻) かりしが、四十二年と申せしに法華経を説き給ひて「是の人滅度の想ひを生じて涅槃に入ると |
成道して四十二年に法華経を説かれ「法華経已前の諸経に於て滅度の想いを生じて涅槃に入った二乗も、彼の土で仏の智慧を求めて、是の経を聞くことができるであろう」と。父母の御孝養のために法華経を説かれたので、宝浄世界から来られた多宝仏も、「真の孝養の仏である」と称賛され、十方の諸仏も来集されて「一切の諸仏の中孝養第一の仏である」と定められたのである。 |
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| これをもって案ずるに日本国の人は皆不孝の仁ぞかし。涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多しと説き給へり。されば天の日月、八万四千の星、各 |
このことから考えるに、日本国の人は皆、不孝の人というべきである。仏は涅槃経の文に不孝の者は大地微塵よりも多い、と説かれている。それゆえに天の日月・八万四千の星が、それぞれ怒りをなし、眼をいからかして日本国を睨みつけているのである。今の陰陽師が天変しきりに起こっていると奏上しているのはこのことである。また地夭が日日に起き、日本国はちょうど、大海の上に小船を浮かべたようなものである。今の日本国の小児が魂を失い女人が血を吐くのはこのためである。 | |
| 貴辺は日本国第一の孝養の人なり。梵天・帝釈 弘安三年三月八日 日蓮 花押 進上 上野殿御返事 |
貴辺は日本国第一の孝養の人である。梵天・帝釈は下り来って、左右の羽となり、四方の地神はあなたの足をいただいて、父母と仰ぐであろう。なお申し上げたいが、これで筆を止める。恐恐謹言。 弘安三年三月八日 日蓮 花押 進上 上野殿御返事 |