慈覚大師事 弘安三年一月二七日 五九歳

 

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 鵞眼三貫・絹袈裟一帖給び了んぬ。法門の事は秋元太郎兵衛尉殿御返事に少々注して候。御覧有るべく候。
 なによりも受け難き人身、値ひ難き仏法に値ひて候に、五尺の身に一尺の面あり。其の面の中に三寸の眼二つあり。一歳より六十に及んで多くの物を見る中に、悦ばしき事は法華最第一の経文なり。あさましき事は、慈覚大師の金剛頂経の頂の字を釈して云はく「言ふ所の頂とは、諸の大乗の法の中に於て最勝にして過上無き故に、頂を以て之に名づく。乃至人の身の頂最も為れ勝るゝが如し。乃至法華に云はく、是法住法位と。今正しく此の秘密の理を顕説す。故に金剛頂と云ふなり」云云。又云はく「金剛は宝の中の宝なるが如く此の経も亦爾なり。
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諸の経法の中に最も為れ第一にして三世の如来の髻の中の宝なる故に」等云云。此の釈の心は法華最第一の経文を奪ひ取りて金剛頂経に付くるのみならず「如人之身頂最為勝」の釈の心は法華経の頭を切りて真言経の頂とせり。此即ち鶴の頚を切って蝦の頚に付けゝるか。真言の蟆も死しぬ、法華経の鶴の御頚も切れぬと見へ候。此こそ人身うけたる眼の不思議にては候へ。三千年に一度花開くなる優曇花は転輪聖王此をみる。
 究竟円満の仏にならざらんより外は法華経の御敵は見しらさんなり。一乗のかたき夢のごとく勘へ出だして候。慈覚大師の御はかはいづれのところに有りと申す事きこへず候。世間に云ふ、御頭は出羽国立石寺に有り云云。いかにも此の事は頭と身とは別の所に有るか。明雲座主は義仲に頭を切られたり。天台座主を見候へば、伝教大師はさてをきまいらせ候ひぬ。第一義真・第二円澄、此の両人は法華経を正とし、真言を傍とせり。第三の座主慈覚大師は真言を正とし、法華経を傍とせり。其の已後代々の座主は相論にて思ひ定むる事無し。第五十五並びに第五十七の二代は明雲大僧正座主なり。此の座主は安元三年五月日、院勘を蒙りて伊豆国え配流、山僧大津にて奪ひ取る。後、治承三年十一月に座主となりて源右将軍頼朝を調伏せし程に、寿永二年十一月十九日義仲に打たれさせ給ふ。此の人生けると死ぬと二度大難に値へり。生の難は仏法の定例、聖賢の御繁盛の花なり。死の後の恥辱は悪人・愚人・誹謗正法の人の招くわざわいなり。所謂大慢ばら門・須利等なり。粗此を勘へたるに、明雲より一向に真言の座主となりて後、今に三十余代一百余年が間、一向真言座主にて法華経の所領を奪へるなり。しかれば此等の人々は釈迦・多宝・十方の諸仏の大怨敵、梵釈・日月・四天・天照太神・正八幡大菩薩の御讐敵なりと見えて候ぞ。我が弟子等此の旨を存じて法門を案じ給ふべし。恐々謹言。

  正月廿七日    日蓮花押

 大田入道殿御返事