異体同心事    弘安二年八月  五八歳

 

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 白小袖一つ、あつ()わた(綿)の小袖、はわき(伯耆)房のびんぎ(便宜)鵞目(がもく)一貫、並びにうけ給はりぬ。はわき房・さど(佐渡)房等の事、あつ()わら()の者どもの御心ざし、異体同心なれば万事を(じょう)じ、同体異心なれば諸事叶ふ事なしと申す事は外典三千余巻に定まりて候。(いん)紂王(ちゅうおう)は七十万騎なれども同体異心なればいくさ()にまけぬ。周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二つの心あれば、其の心たが()いて成ずる事なし。百人千人なれども一つ心なれば必ず事を成ず。日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成ぜん事かたし。日蓮が一類は異体

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同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定(いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多くの火あつまれども一水には()ゑぬ。此の一門も又かくのごとし。
 其の上貴辺は、多年とし()()もりて奉公法華経にあつ()くをはする上、今度はいかにもすぐれて御心ざし見えさせ給ふよし人々も申し候。又かれらも申し候。一々に承りて日天にも大神にも申し上げて候ぞ。