曽谷殿御返事  弘安二年八月一一日  五八歳

別名『五味主抄』

 

第一章 供養を謝し功徳の大なるを示す

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 焼き米二俵給び畢んぬ。
 米は少しと思し食し候へども人の寿命を継ぐ物にて候。命をば三千大千世界にても買はぬ物にて候と仏は説かせ給へり。米は命を継ぐ物なり。譬へば米は油の如く、命は灯の如し。法華経は灯の如く、行者は油の如し。檀那は油の如く、行者は灯の如し。
 
 焼米二俵を頂戴しました。
 米はわずかなもののように思われるかも知れないが、人の命を継ぐものである。命をば三千大千世界をもっても買うことができないものであると仏は説かれている。米は命を継ぐものである。譬えていえば、米は油で、命は燈のようなものである。法華経は燈で、法華経の行者は油のようなものである。また、檀那は油で法華経の行者は燈のようなものである。

 

第二章 法華経は五味の主なるを示す

 一切の百味の中には乳味と申して牛の乳第一なり。涅槃経の七に云はく「猶諸味の中に乳最も為れ第一なるが如し」云云。乳味をせんずれば酪味となる。酪味をせんずれば乃至醍醐味となる。醍醐味は五味の中の第一なり。法門を以て五味にたとへば、儒家の三千、外道の十八大経は衆味の如し。阿含経は醍醐味なり。阿含経は乳味の如く、観経等の一切の方等部の経は酪味の如し。一切の般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐の如し。又涅槃経は醍醐のごとし、法華経は五味の主の如し。
(★1381㌻)
妙楽大師云はく「若し教旨を論ずれば法華は唯開権顕遠を以て教の正主と為す。独り妙の名を得る意此に在り」云云。又云はく「故に知んぬ、法華は為れ醍醐の正主」等云云。此の釈は正しく法華経は五味の中にはあらず。此の釈の心は五味は寿命をやしなふ。寿命は五味の主なり。
   一切の百味の中にあっては、乳味といって牛の乳が第一である。涅槃経の第七には「諸味の中で乳が最も為れ第一である」と説かれている。乳味を煎じると酪味となり、酪味を煎じると生蘇味・熟蘇味・醍醐味となり、この五味の中では醍醐味が第一である。
 法門をもって五味にたとえるならば、儒家の三千や外道の十八大経などは衆味のようなものであり、阿含経は醍醐味である。
 仏教のなかでは、阿含経は乳味で、観経等の一切の方等部の経は酪味、一切の般若経は生蘇味、華厳経は熟蘇味、無量義経と法華経と涅槃経とは醍醐のようなものである。また、涅槃経を醍醐味とすれば、法華経は五味の主である。
 妙楽大師の釈にも「もし教えの趣旨を論ずると、法華経はただ、開権顕遠をもって教の正主としている。法華経が独り妙の名を得ている本意はここにある」云々と、また「故に法華経が醍醐の正主であることが分かる」等云々とある。この釈はまさしく法華経は五味の中に含んではいない。この釈の意は、五味は命を養うものであるのに対し、命そのものが法華経であり、それが五味の主であるということである。

 

第三章 法華経の題目こそ眼目と明かす

 天台宗には二つの意あり。一には華厳・方等・般若・涅槃・法華同じく醍醐味なり。此の釈の心は爾前と法華とを相似せるににたり。世間の学者等此の筋のみを知りて、法華経は五味の主と申す法門に迷惑せるゆへに、諸宗にたぼらかさるゝなり。開未開、異なれども同じく円なりと云云。是は迹門の心なり。諸経は五味、法華経は五味の主と申す法門は本門の法門なり。此の法門は天台・妙楽粗書かせ給ひ候へども、分明ならざる間学者の存知すくなし。此の釈に「若し教旨を論ずれば」とかゝれて候は法華経の題目を教旨とはかゝれて候。開権と申すは五字の中の華の一字なり。顕遠とかゝれて候は五字の中の蓮の一字なり。「独り妙の名を得る」とかゝれて候は妙の一字なり。「意此に在り」とかゝれて候は法華経を一代の意と申すは題目なりとかゝれて候ぞ。此を以て知んぬべし、法華経の題目は一切経の神、一切経の眼目なり。    天台宗で立てる解釈に二の意がある。一には華厳・方等・般若・涅槃・法華は同じく醍醐味であるとする解釈である。この解釈の意味は、爾前の諸経と法華経とを似かよったものにしているようにみえる。世間の学者等はこの筋合いばかりを知って、法華経は五味の主であるという法門を知らないために、諸宗にたぶらかされるのである。
 法華経は開会の教え、他経は未開会の教えという異なりはあっても、どちらも同じ円教であるとする見方があるが、これは法華経迹門の解釈である。それに対して諸経は五味、法華経は五味の主であるとする法門は法華経本門の法門である。
 この法門については天台大師・妙楽大師が大略を説かれたが、明瞭でないために知っている学者は少ないのである。妙楽大師の釈に「若し教旨を論すれば」とあるのは、法華経の題目を教旨といったのである。「法華は唯開権顕遠を以つて」の「開権」とは五字の題目の中の華の一字に当たる法門であり、「顕遠」とあるのは五字の中の蓮の一字に当たる。「独り妙の名を得」とあるのは五字の題目のなかの妙の一字に当たり、「意此に在り」とあるのは、法華経が一代聖教の意であるというのは題目のことであると示されたのである。このことから、法華経の題目は一切経の神であり、一切経の眼目であることを知るべきである。

 

第四章 大日経等による開眼の誤りを破す

 大日経等の一切経をば法華経にてこそ開眼供養すべき処に、大日経等を以て一切の木画の仏を開眼し候へば、日本国の一切の寺塔の仏像等、形は仏に似たれども心は仏にあらず、九界の衆生の心なり。愚癡の者を智者とすること是より始まれり。国のついへのみ入りて祈りとならず。還って仏変じて魔となり鬼となり、国主乃至万民をわづらはす是なり。今法華経の行者と檀那との出来する故に、百獣の師子王をいとひ、草木の寒風をおそるゝが如し。是は且くをく。    大日経等の一切経は、法華経によってこそ開眼供養すべきであるのに、大日経等をもって一切の木画の仏を開眼するから、日本国の一切の寺塔の仏像等は、形は仏に似ているが、その心は仏ではなく九界の迷える衆生と同じ心なのである。愚癡の者を智者とすることはこのことからはじまったのである。そうした邪法に依っているから、国の費用をかけるばかりで、祈禱の利益もない。かえって仏が変じて魔となり鬼となって、国主や人々を煩わすというのはこのことをいうのである。しかも、今、法華経の行者とその弟子檀那が出現したので、百獣が師子王をきらい、草木が寒風をおそれるように、諸宗の人師達は日蓮等をきらい、恐れているのである。このことはしばらくおく。

 

第五章 譬えを法華の最勝示す

  法華経は何なる故ぞ諸経に勝れて一切衆生の為に用ゆる事なるぞと申すに、譬へば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食とし、風を魂とし、日月をめのととして生長し、華さき菓なるが如く、一切衆生は実相を大地とし、無相を虚空とし、一乗を甘雨とし、已今当第一の言を大風とし、定慧力荘厳を日月として妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さかせ、安楽仏果の菓なって一切衆生を養ひ給ふ。
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 一切衆生又食するによりて寿命を持つ。食に多数あり。土を食し、水を食し、火を食し、風を食する衆生もあり。求羅と申す虫は風を食す。うぐろもちと申す虫は土を食す。人の皮肉骨髄等を食する鬼神もあり、尿糞等を食する鬼神もあり、寿命を食する鬼神もあり、声を食する鬼神もあり、石を食するいを、くろがねを食するばくもあり。地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし魂とし給ふ。
   法華経は諸経に勝れており、一切衆生のために用いるべき経であるというのはどういう理由からであるかといえば、たとえば草木は大地を母とし、虚空を父とし、甘雨を食とし、風を魂とし、日月を乳母として生長し、花を咲かせ、実をつけるように、一切衆生は法華経の諸法実相を大地とし、無相の極理を虚空とし、一仏乗を甘雨とし、已今当第一の言葉を大風とし、定慧力荘厳を日月として、妙覚の功徳を生長し、大慈大悲の華さ咲かせ、安楽の仏果の菓を実らせて、その力をもって一切衆生を養っていくのである。
 一切衆生はまた、物を食することによって生命をたもつのである。その衆生の食するものはさまざまである。土を食し、水を食し、火を食し、風を食する生き物もある。求羅という虫は風を食し、うぐろもちという虫は土を食す。人の皮肉・骨髄などを食する鬼神もあり、尿糞などを食する鬼神もある。寿命を食する鬼神や声を食する鬼神もあり、石を食する魚、鉄を食する貘という生き物もいる。地神・天神・竜神・日月・帝釈・大梵天王・二乗・菩薩・仏は仏法をなめて身とし、魂とされているのである。

 

第六章 輪陀王の故事を引いて釈す

 例せば乃往過去に輪陀王と申す大王ましましき。一閻浮提の主なり、賢王なり。此の王はなに物をか供御とし給ふと申せば、白馬の鳴く声をきこしめして身も生長し、身心も安穏にしてよをたもち給ふ。れいせば蝦蟆と申す虫の母のなく声を聞きて生長するがごとし。秋のはぎのしかの鳴くに華のさくがごとし。象牙草のいかづちの声にはらみ、柘榴の石にあふてさかうるがごとし。されば此の王、白馬ををほくあつめてかはせ給ふ。又此の白馬は白鳥をみてなく馬なれば、をほくの白鳥をあつめ給ひしかば、我が身の安穏なるのみならず、百官万乗もさかへ、天下も風雨時にしたがひ、他国もかうべをかたぶけて、すねんすごし給ふに、まつり事のさをいにやはむべりけん、又宿業によって果報や尽きにけん、千万の白鳥一時にうせしかば、又無量の白馬もなく事やみぬ。大王は白馬の声をきかざりしゆへに、華のしぼめるがごとく、月のしょくするがごとく、御身の色かはり力よはく、六根もうもうとして、ぼれたるがごとくありしかば、きさきももうもうしくならせ給ひ、百官万乗もいかんがせんとなげき、天もくもり、地もふるひ、大風かんぱちし、けかち・やくびゃうに人の死する事、肉はつか、骨はかはらとみへしかば、他国よりもをそひ来たれり。此の時大王いかんがせんとなげき給ひしほどに、せんずる所は仏神にいのるにはしくべからず。此の国にもとより外道をほく、国々をふさげり。又仏法という物ををほくあがめをきて国の大事とす。いづれにてもあれ、白鳥をいだして白馬をなかせん法をあがむべし。まづ外道の法にをほせつけて数日をこなはせけれども、白鳥一疋もいでこず、白馬もなく事なし。
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此の時外道のいのりをとゞめて仏教にをほせつけられけり。其の時馬鳴菩薩と申す小僧一人あり。めしいだされければ、此の僧の給はく、国中に外道の邪法をとゞめて、仏法を弘通し給ふべくば、馬をなかせん事やすしといふ。勅宣に云はく、をほせのごとくなるべしと。其の時馬鳴菩薩、三世十方の仏にきしゃうし申せしかば、たちまちに白鳥出来せり。白馬は白鳥を見て一こへなきけり。大王馬の声を一こへきこしめして眼を開き給ひ、白鳥二ひき乃至百千いできたりければ、百千の白馬一時に悦びなきけり。大王の御いろなをること、日しょくのほんにふくするがごとし。身の力、心のはかり事、先々には百千万ばいこへたり。きさきもよろこび、大臣公・いさみて、万民もたな心をあはせ、他国もかうべをかたぶけたりとみへて候。
   例えば、過去に輪陀王という一閻浮提を治める賢王がいた。この王は何を食物にされたかといえば、白馬のいななく声を聞いて成長し、身心も安穏で世をおさめることができたのである。ちょうど、かえるが母の鳴き声を聞いて成長し、秋の萩が鹿の鳴く声を聞いて花を咲かすように、象牙草が雷の声で実を付け、柘榴が石に遭って栄えるようなものであった。それで、この王は白馬を数多く集めて飼っていた。また、この白馬は白鳥を見ていななく馬だったので、多くの白鳥を集めて飼っていたから大王自身が安泰であるばかりでなく、百官や諸臣も栄え、天下も風雨は時に従い、他国も頭を下げて従った。こうしたことが数年続いた。
 ところが、王の政治に間違いがあったのか、また宿業により果報が尽きたのか、千万の白鳥が一時に飛び去ってしまったので、無量の白馬もいななくことをやめてしまった。大王は白馬のいななく声をきくことができなくなったので、ちょうど花がしぼんだように月が触してしまったように、身の色つやも変わり、力も弱くなり、六根も鈍り、老いぼれようになられたので、后もまた老妄してしまわれた。百官や諸臣もどうしたものかと嘆き、天も曇り地も震え、大風が吹き旱魃なったり、更に飢饉や疫病で死ぬ人はおびただしく、死人の肉が塚をなし骨は瓦を積んだように見えたので、他国からもせめられるありさまであった
 そのときに、大王はどうしたものかと悲嘆にくれたあげく、所詮は仏神に祈るほかないと考えられた。この国はもともと外道が多く、各地にはびこっていた。また仏法を尊崇して国の大事ともしていた。そこで国王は、どちらであっても、白鳥を呼び出して白馬をいななかせたほうの法を崇めるようにしようと、まず外道の法に仰せつけて数日その修法を行わせたが白鳥は一羽も現れず、白馬もいななくことはなかった。
 このとき、外道の祈りを止めて仏教に祈禱を仰せつけられた。そのとき馬鳴菩薩という一人の小僧がいた。王の前に召し出されたとき言うには「国中の外道の邪法を廃止して仏法を弘通されるならば、白馬をいななかせるのは容易である」と奏上した。大王は「そのとおりにしよう」と勅宣を下された。そして馬鳴菩薩が三世十方の仏に起請申し上げたところ、たちまちに白鳥が飛来した。白馬は白鳥を見て一声いなないた。大王は白馬の声を一声聞いて眼を開かれた。白鳥が二羽・三羽・百羽・千羽出現すると、百千の白馬もよろこんで一時にいななきだした。大王の色つやが元に戻る姿が、日食が元に戻るようであった。そして、身体の力、心の働きも以前にも百千万もすぐれてきたのである。后も喜び、大臣や公卿も勇気が出てきて、人々も掌を合わせて拝み、他国も頭をひくくして従ったということである。

 

第七章 日本の仏教流布の始めを述ぶ

 今のよも又是にたがうべからず。天神七代・地神五代、已上十二代は成劫のごとし。先世のかいりきと福力とによて、今生のはげみなけれども、国もおさまり人の寿命も長し。人王のよとなりて二十九代があひだは、先世のかいりきもすこしよはく、今生のまつり事もはかなかりしかば、国にやうやく三災七難をこりはじめたり。なをかんどより三皇五帝の世ををさむべきふみわたりしかば、其れをもて神をあがめて国の災難をしづむ。人王第三十代欽明天王の世となりて、国には先世のかいふくうすく、悪心がうじゃうの物をほく出で来て、善心はをろかに悪心はかしこし。外典のをしへはあさし、つみもをもきゆへに、外典すてられ内典になりしなり。れいせば、もりやは日本の天神七代・地神五代が間の百八十神をあがめたてまつりて、仏教をひろめずしてもとの外典となさんといのりき。聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経・一切経をもんじょとして、両方のせうぶありしに、ついには神はまけ仏はかたせ給ひて、神国はじめて仏国となりぬ。天竺・漢土の例のごとし。「今此三界皆是我有」の経文あらはれさせ給ふべき序なり。
   今の日本国もまた、これと同じである。天神七代・地神五代・以上の十二代は成劫の時のようなものであった。前世に戒律をたもった功徳や、福徳を積んだ力によって今生にはこれという善行の励みはなかったけれども、国も治まり人の寿命も長かったのである。人王の世となって二十九代の間は、前世の戒律を守った功徳も少し弱くなり、その政治もよくなかったので、国に次第に三災・七難始めたのである。しかし、まだこのときは中国から、三皇五帝の治世の文書が伝わってきたので、それをもって神を崇め、国の災難を鎮めることができた。
 人王第三十代欽明天王の代となると、国には先の世に戒律を持った功徳を積んだ力が一層弱くなり、悪心の強盛な者が多く出来し、善心は衰え悪心がたくましくなった。
 外典の教えは浅く、人々の罪障は重くなってきたので、外典は捨てられ内典が用いられるようになったのである。
 例えば、日本に仏教が渡来したとき、物部の守屋は日本の天神七代・地神五代の間の百八十神を崇めて、仏教の弘教を阻止し、外典の国にしようと祈ったが、聖徳太子は教主釈尊を御本尊として、法華経や一切経を文書として、このも両者で勝負が行われたが、最後は神が負けて仏が勝って、神国が初めて仏国となった。それはちょうどインドや中国の例と同じであった。法華経譬喩品の「今此の三界は、皆是れ我が有なり」の経文が実現していく始まりであった。

 

第八章 伝教大師の法華経流布の功を説く

 欽明より桓武にいたるまで二十余代、二百六十余年が間、仏を大王とし、神を臣として世ををさめ給ひしに、
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仏教はすぐれ神はをとりたりしかども、未だよをさまる事なし。
   欽明天皇から桓武天皇に至るまでの二十余代・二百六十余年の間は、仏を大王とし神を臣として世を収めた。仏教は勝れ神は劣っていたが、未だ世の中が十分おさまらなかった。
 いかなる事にやとうたがはりし程に、桓武の御宇に伝教大師と申す聖人出来して勘へて云はく、神はまけ仏はかたせ給ひぬ。仏は大王、神は臣かなれば、上下あひついで、れいぎたゞしければ、国中をさまるべしとをもふに、国のしづかならざる事ふしんなるゆへに一切経をかんがへて候へば、道理にて候ひけるぞ。仏教にをほきなるとがありけり。一切経の中に法華経と申す大王をはします。ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等はあるいは臣の位、あるいはさぶらいのくらい、あるいはたみの位なりけるを、或は般若経は法華経にはすぐれたり三論宗、或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗、或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗、或は律宗は諸宗の母なりなんど申して、一人として法華経の行者なし。世間に法華経を読誦するは還ってをこづきうしなうなり。之に依って天もいかり、守護の善神も力よはし云云。所謂「法華経をほむといえども還って法華の心をころす」等云云。南都七大寺・十五大寺、日本国中の諸寺諸山の諸僧等、此のことばをきゝてをほきにいかり、天竺の大天・漢土の道士、我が国に出来せり。所謂最澄と申す小法師是なり。せんずる所は行きあはむずる処にて、かしらをわれ、かたをきれをとせ、うて、のれと申せしかども、桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて、六宗はひが事なりけりとて初めてひへい山をこんりうして、天台法華宗とさだめをかせ、円頓の戒を建立し給ふのみならず、七大寺・十五大寺の六宗の上に法華宗をそへをかる。せんずる所、六宗を法華経の方便となされしなり。れいせば神の仏にまけて門まぼりとなりしがごとし。日本国も又々かくのごとし。法華最第一の経文初めて此の国に顕はれ給ひ「能竊為一人、説法華経」の如来の使ひ初めて此の国に入り給ひぬ。桓武・平城・嵯峨の三代二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり。    これはどういうわけかと疑問に思っている時に、桓武天皇の時代に伝教大師という聖人が出て、いわれるのに「神は破れ仏が勝って、仏は大王、神は臣下であり、上下の関係も明らかで、礼儀も正しくなったので、国中が治まる筈であるのに、国が静謐でないのは何ゆえであろうかと不審に思って一切経を調べてみると、治まらないのも道理であった。仏教には大きな誤りがあったのである。それは一切経の中には法華経が大王であり、ついで華厳経・大品経・深密経・阿含経等となっていて、これらはあるいは臣下の位か、侍の位、または民の位であるのに、三論宗では般若経は法華経に勝れているといい、法相宗では深密経は法華経に勝れているといい、華厳宗派は華厳経は法華経に勝れているといい、また律宗は諸宗の母などといって、法華経の行者は一人もいない。世間も法華経を読誦する者を嘲笑したり、亡きものにしようとしたりした。そのために、諸天も怒り、守護の善神も力が弱くなったのである。たまたま法華経を讃嘆するものがあっても、その真意を正しく理解していないから、かえって法華経の精神を殺すような結果になっている」等と。
 奈良の七大寺・十五大寺をはじめ日本国中の諸寺諸山の多くの僧等は、この言葉を聞いて大いに怒り「インドの大天・中国の道士が我が国に出現した。いまの最澄という小僧がそれである。仏教を擾乱するものであるから、行き会ったら頭を破れ、肩を切り落とせ、打ち、ののしれ」と言って迫害を加えようとしたのである。しかし桓武天皇という賢王が双方の主張を尋ね、明らかにされ、六宗が誤りであることを知った、と、初めて比叡山を建立して天台法華宗そして大乗円頓の戒檀を建立されたばかりか、七大寺・十五大寺の六宗の上に立つものとして法華宗を置かれた。
 要するに、六宗を法華経の方便とされたのである。これはちょうど神が仏に負けて、仏法の門番となったのと同じであった。日本国もまたこのようであった。「法華最第一」の経文がこの国に入れられたのである。その結果、桓武・平城・嵯峨の三代・二十余年が間は日本一国が皆、法華経の信仰者になったのである。

 

第九章 弘法の法華誹謗を明かす

  しかれば栴檀には伊蘭、釈尊には提婆のごとく、伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり。漢土にわたりて大日経・真言宗をならい、日本国にわたりてありしかども、伝教大師の御存生の御時は、
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いたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去ぬる弘仁十三年六月四日にかくれさせ給ひてのち、ひまをえたりとやをもひけん、弘法大師去ぬる弘仁十四年正月十九日に、真言第一・華厳第二・法華第三、法華経は戯論の法、無明の辺域、天台宗等は盗人なりなんど申す書どもをつくりて、嵯峨の皇帝を申しかすめたてまつりて、七宗に真言宗を申しくはえて、七宗を方便とし、真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。
   さて栴檀が生ずる所には伊蘭が生じ、釈尊には提婆達多が対峙したように、伝教大師と同時に弘法大師という聖人が出た。中国に渡り、大日経・真言宗を学んで日本にかえってきたが、伝教大師の御存生の間は、大日経が法華経に勝れているとは強くいわなかった。ところが伝教大師が去る弘仁十三年六月四日、御逝去されると、機会がめぐってきたと思ったのであろう。去る弘仁十四年正月十九日に、真言第一・華厳第二・法華第三とする十住心教判を立てて法華経は戯論の法、釈尊は無明の辺域、天台宗等は法盗人であるなどと述べたて書を著し、嵯峨天皇をたぶらかして、七宗の上に真言宗を加え、七宗を方便とし、真言宗こそ真実であると強く主張したのである。

第十章 慈覚・智証の謗法を挙げる

 其の後日本一州の人ごとに真言宗になりし上、其の後、又伝教大師の御弟子慈覚と申す人、漢土にわたりて天台・真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す。此の人金剛頂経・蘇悉地経の二部の疏をつくりて、前唐院と申す寺を叡山に申し立て畢んぬ。此には大日経第一・法華経第二、其の中に弘法のごとくなる過言かずうべからず。せむぜむにせうせう申し畢んぬ。智証大師又此の大師のあとをついで、をんじゃう寺に弘通せり。たうじ、寺とて国のわざはいとみゆる寺是なり。叡山の三千人は慈覚・智証をはせずば、真言すぐれたりと申すをばもちいぬ人もありなん。円仁大師に一切の諸人くちをふさがれ、心をたぼらかされて、ことばをいだす人なし。王臣の御きえも又伝教・弘法にも超過してみへ候へば、えい山・七寺、日本一州一同に法華経は大日経にをとりと云云。法華経の弘通の寺々ごとに真言ひろまりて、法華経のかしらとなれり。かくのごとくしてすでに四百余年になり候ひぬ。やうやく此の邪見ぞうじゃうして八十一乃至五の五王すでにうせぬ。仏法うせしかば王法すでにつき畢んぬ。    弘法が邪義を弘めて以後、日本中の人ことごとくが真言宗に帰依した、のみでなく、更にその後、伝教大師の弟子の慈覚という人が中国に渡って天台・真言の二宗の奥義を学びきわめて帰朝した。この人は金剛頂経・蘇悉地経の二部の註疏をつくり、前唐院という寺を比叡山に建立した。その註疏のなかには大日経を第一と立て、法華経を第二と下すなど、弘法のいうような過言が数え切れないほどある。このことは、前に少々申し上げたとおりである。
 智証大師もまた慈覚大師の後を継いで、三井寺(園城寺)を拠点に弘通した。今日、寺というなかで国の災いともいうべき寺はこの三井寺である。
 比叡山の三千人の大衆のなかには慈覚・智証がいなければ真言宗が法華経に勝れているなどという説を受け付けない人もあったであろうが、慈覚(円仁)大師に皆、口を塞がれ、だまされて反論する人もいなかったのである。
 国主や王臣の御帰依もまた、伝教大師や弘法を越えるほどであったので、比叡山や奈良の七大寺、更には日本国中が一同に法華経は大日経に劣ると思うようになってしまった。かつて法華経の弘通した寺々に真言宗が広まり、法華経より上位になったのである。
 こうして、すでに四百年が過ぎた。この間、次第にこの邪見が増長し、人皇八十一代の高倉天皇から続けて五代の天皇が御位を失った。仏法が滅びたために王法も滅びてしまったのである。

 

第十一章 悪法強盛の故に三災起こるを示す

 あまさへ禅宗と申す大邪法、念仏宗と申す小邪法、真言と申す大悪法、此の悪宗はなをならべて一国にさかんなり。天照太神はたましいをうしなって、うぢこをまぼらず、八幡大菩薩は威力よはくして国を守護せず、けっくは他国の物とならむとす。日蓮此のよしを見るゆへに「仏法中怨、倶堕地獄」等のせめをおそれて、粗国主にしめせども、かれらが邪義にたぼらかされて信じ給ふ事なし。還って大怨敵となり給ひぬ。法華経をうしなふ人国中に充満せりと申せども、人しる事なければ、たゞぐちのとがばかりにて有りしが、今は又法華経の行者出来せり。
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日本国の人々癡かの上にいかりををこす。邪法をあいし、正法をにくむ、三毒がうじゃうなり。日本国いかでか安穏なるべき。壊劫の時は大の三災をこる、いはゆる火災・水災・風災なり。又減劫の時は小の三災をこる、ゆはゆる飢渇・疫病・合戦なり。飢渇は大貪よりをこり、やくびゃうはぐちよりをこり、合戦は瞋恚よりをこる。今日本国の人々四十九億九万四千八百二十八人の男女、人々ことなれども同じく一つの三毒なり。所謂南無妙法蓮華経を境としてをこれる三毒なれば、人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にのり、せめ、流し、うしなうなり。是即ち小の三災の序なり。
   そのうえ、禅宗という大邪法、念仏宗という小邪法、真言宗という大悪法等が鼻を並べて国中に盛んになってきている。天照太神は魂を失って氏子を守らず、八幡大菩薩は威光勢力が弱くなって国を守護することができなくなり、結局、他国に攻め滅ぼされようとしているのである。
 日蓮はこの様子を見て、涅槃経の「仏法の中の怨」「倶に地獄に堕せん」等の経文の責めを恐れ、概略を国主に示したが、彼らの邪法の僧等の邪義にだまされて日蓮の主張を信じないばかりか、かえって法華経の大怨敵となってしまったのである。
 法華経をなきものにしようとする人が国中に充満して忠告しても、人々はそのことを知らないから、ただ愚癡の上に瞋恚の心を起こし邪法を愛し正法を憎んでいる。このように三毒が強盛な国がどうして安穏でいられるはずがあろうか。
 壊劫の時は大の三災が起こる。いわゆる火災・水災・風災である。また減劫の時は小の三災が起こる。すなわち飢渇・疫病・戦争である。飢渇は大貪欲の心から起こり、疫病は愚癡の心から起こり、戦争は瞋恚の心から起こる。
 今、日本国の人々は四百九十九万四千八百二十八人を数え、男女人々はそれぞれ異なった存在であるが皆、同じ一つの原因から三毒が盛んとなっている。いわゆる南無妙法蓮華経を縁として起こした三毒であるから、人ごとに釈迦・多宝・十方の諸仏を一時にののしり、責め、流し、失っていることになるのである。これがすなわち、今、日本国に起きている飢渇・疫病・戦争等、小の三災の始まりなのである。

 

第十二章 妙法受持の者に諸天の守護

 しかるに日蓮が一るい、いかなる過去の宿じうにや、法華経の題目のだんなとなり給ふらん。是をもてをぼしめせ。今梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩、日本国の三千一百三十二社の大小のじんぎは過去の輪陀王のごとし。白馬は日蓮なり。白鳥は我らが一門なり。白馬のなくは我等が南無妙法蓮華経のこえなり。此の声をきかせ給ふ梵天・帝釈・日月・四天等いかでか色をまし、ひかりをさかんになし給はざるべき、いかでか我等を守護し給はざるべきと、つよづよとをぼしめすべし。    こうしたなかで、日蓮の一類はどのような過去の宿習によって法華経の題目の檀那となられたのであろうか。
 このことをもって考えると、今、梵天・帝釈・日月・四天・天照太神・八幡大菩薩・日本国の三千一百三十二社に祀られている大小の神々は、過去の輪陀王のようであり、白馬は日蓮、白鳥は我らが一門である。白馬がいななくのは我等が唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天・帝釈・日月・四天等がどうして我等を守護されないはずがあとうかと強く思われるがよい。

 

第十三章 供養の功徳を明かして結ぶ

 抑貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵞目其の数有りしかば、今年一百余人の人を山中にやしなひて、十二時の法華経をよましめ談義して候ぞ。此らは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候へ。いくそばくか過去の聖霊もうれしくをぼすらん。釈尊は孝養の人を世尊となづけ給へり。貴辺あに世尊にあらずや。故大進阿闍梨の事なげかしく候へども、此又法華経の流布の出来すべきいんえんにてや候らんとをぼしめすべし。事々命ながらへば其の時申すべし。
  八月十一日                     日蓮花押 
 曽谷入道殿御返事
   さて、あなたが去る三月の御仏事に、たくさんの鵞目を供養されたので、今年は百余人をこの山中で養うことができ、昼夜十二時にわたって法華経を読誦したり、講義するほど盛況である。この姿は末代悪世においては世界第一の仏事というべきである。どんなにか、亡くなられた聖霊もうれしく思われていることであろう。釈尊は孝養の人を世尊と名ずけられた。あなたも世尊というべきではないだろうか。
 故大進阿闍梨のことはなげかわしく思うが、これもまた法華経が広まるべき因縁ではないかと思っていきなさい。いろいろ申し上げたいことがあるが、命が長らえたならば、そのとき、また申し上げよう。
  弘安二年己卯八月十七日          日蓮花押
 曾谷道宗御返事