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(★1379㌻) あつきには水を |
鵞目一貫文、塩一俵・里芋一俵・薑(生姜)少々を使者を立てられて送っていただいた。 暑い時には水を財とし、寒い時には火を財とする。飢饉には米を財とし、戦いには武器を財とする。海では船を財とし、山では馬を財とす。武蔵や下総では石を財とする。これらと同じように、この身延の山中では里芋や海の塩を財とするのである。筍や茸は沢山あっても、塩がなければその味は土をかむようなものである。 また金というものは国王も財とし、民も財とする。たとえば米のようなものである。一切衆生の命である。銭もまた同様である。中国に銅山という山がある。この銅山で産出された銭であるならば、一文の銭もすべて三千里の海をわたって日本に来るのである。万人がこれを珠(宝)だと思って大事にしている。あなたはこの銭を法華経に供養されたのである。 |
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(★1380㌻) 釈 八月八日 日蓮 花押 上野殿御返事 |
昔、釈摩男という人は、手にとった石を珠に変え、金栗王は砂を金としたのである。法華経は心のない草木を仏とするのである。まして、心ある人間はなおさらのことである。 また、法華経は仏となる種を焼いたとされている声聞・縁覚の二乗を仏とするのである。まして、生きた種をもつ人はなおさらのことである。法華経は不信の一闡提を仏とするのである。まして法華経を信ずる者はなおさらのことである。そのほか申し上げたいことがあるが、また、後日申し上げよう。恐恐謹言。 八月八日 日蓮 花押 上野殿御返事 |