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(★1373㌻) 麦一箱・いえのいも一 此の身延の沢と申す処は、甲斐国の |
麦一箱・里芋一籠・瓜一籠等いろいろな物、六月三日にちょうだいしたにもかかわらず、今日まで御返事をさしあげなかったのは恐縮のいたりである。 今住んでいるこの身延の沢というところは、甲斐の国の、波木井の領地である飯井野・御牧・波木井の三つの郷のうち、波木井の郷の北西の隅にあたっている。北方には身延の嶽が天に達し、南方には鷹取が嶽が雲続き、東方には天子の嶽が太陽と高さを同じにしており、西方にもまた嶮しく聳え立つ大山が列なっていて、白根の嶽にとつづいている。猿の泣く声は天に響き、蝉のさえずりは大地に満ちている。インドの霊鷲山がこの身延山に現われたようであり、中国の天台山をまのあたりに見るようである。来る日も来る日も、昼夜に釈尊所説の法華経を読み、朝暮に摩訶止観を談ずるのであるから、この身延の沢は法華経説法の霊山浄土にも相似ており、天台修行の地、天台山にも異なることなない法華経の説所である。 |
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| 但し かくの如く候に、いかにして思ひ寄らせ給ひぬらん。 |
しかし、日蓮は凡夫僧の身であるので、衣を着なければ風がどうして命をつぐことができようか。命が続きがたく、しかも続ぐべき力となる食料が絶えていまえば、あるいは一日から五日と続くと、法華経を読誦する声も絶えてしまうであろう。止観修行の窓の前には雑草が繁り放題となるであろう。このように過ごしている状態を、どのようにしてお気づきくだされたのであろうか。あなたの御供養の厚志、まことにありがたい。昔、兎が経行している者に自分の身体を供養したので、天帝天はこれを哀れと思って、月の中に兎をおかれたのである。そのために、今、天を仰ぎ見るとき、月の中に兎を見るというのである。 | |
| されば女人の御身として、かゝる濁世末代に、法華経を供養しましませば、梵王も天眼を以て御覧じ、帝釈は掌を合はせてをがませ給ひ、地神は御足をいたゞきて喜び、釈迦仏は霊山より御手をのべて 六月廿日 日蓮花押 (★1374㌻) 松野殿女房御返事 |
したがって、女性の身でありながら、このような濁悪の末法に法華経を供養されたことは、必ずや大梵天王も天眼をもって御覧にあり、帝釈天は掌を合わせて礼拝し、地神はあなたの御足を敬って喜び、さらに釈迦仏は霊山浄土から御手をさしのべられて、あなたの頂をなでられるであろう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 弘安二年己卯六月二十日 日蓮花押 松野殿女房御返事 |