上野殿御返事  弘安二年四月二〇日  五十八歳

別名『杖木書』

 

第一章 少輔房の逆縁を述べる

(★1358㌻)
 (そもそも)日蓮種々の大難の中には、(たつ)(くち)(くび)の座と東条(とうじょう)の難にはすぎず。其の故は諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。或は()り、()め、或は処をおわれ、無実を云ひつけられ、或は(おもて)()たれしなどは物のかずならず。されば色心の二法よりをこりてそし()られたる者は、日本国の中には日蓮一人なり。ただし、ありとも法華経の故にはあらじ。さてもさてもわすれざる事は、せう(小輔)ぼう()が法華経の第五の巻を取りて日蓮がつら()をうちし事は、三毒よりをこる処のちゃう()ちゃく()なり。
 
 思えば日蓮が受けた種々の大難のなかで、竜の口の頸の座と東条小松原の難ほどの大難はない。そのわけは、諸難の中でも身命を捨てるほどの大難はないからである。あるいは悪口され、あるいは処を追われ、讒言をされ、あるいは面を打ちすえられたことなどは、この二つの大難に比べれば物の数ではない。したがって、色法と心法との二法から謗られた者は、日本国の中では日蓮ただ一人である。たとえ難にあった人がいたとしても法華経の故ではないであろう。それにつけても忘れられないことは、竜の口法難の時、松葉ヶ谷の草庵で少輔房が法華経の第五の巻を取り出して、日蓮の面を打ったことである。これは、貧瞋癡の三毒から起こった打擲なのである。
 天竺(てんじく)嫉妬(しっと)の女人あり。男をにくむ故に、家内(かない)の物をことごとく打ちやぶり、其の上にあまりの腹立(はらだち)にや、すがた(姿)けしき(気色)かわり、眼は日月の光のごとくかがやき、くちは炎をはくがごとし。すがたは青鬼・赤鬼のごとくにて、年来(としごろ)男のよみ奉る法華経の第五の巻をとり、両の足にてさむ()ざむ()にふみける。其の後命つきて地獄に()つ。
(★1359㌻)
  両の足ばかり地獄に()らず。獄卒鉄杖をもってうてどもいらず。是は法華経をふみし逆縁の功徳による。
   昔、インドに嫉妬深い女性がいた。男を憎んで、家の中のものをことごとく打ち毀してしまった。そのうえ、あまりの腹立ちに、顔の姿も変わって、目は日月の光のように輝き、口は炎を吐くようであり、その姿は青鬼・赤鬼のようになってしまった。そして、日ごろ、男の読誦している法華経の第五の巻を取り出して、両足でさんざんに踏みつけたのである。その後、命が尽きて地獄に堕ちた。

 しかしながら、両足だけは地獄に入らなかった。獄卒が鉄杖で打っても入らなかった。これは、法華経を踏んだ逆縁の功徳によるのである。 
 今日蓮をにくむ故に、せうぼうが第五の巻を取りて予がをもて()をうつ、是も逆縁となるべきか。彼は天竺此は日本、かれは女人これはをとこ()、かれは両のあし()これは両の手、彼は嫉妬の故此は法華経の御故なり。されども法華経の第五の巻はをなじ()きなり。彼の女人のあし地獄に入らざらんに、此の両の手無間(むけん)に入るべきや。たゞし彼は男をにくみて法華経をばにくまず。此は法華経と日蓮とをにく()むなれば一身無間に入るべし。経に云はく「其の人命終して阿鼻獄に入らん」云云。手ばかり無間に入るまじとは見へず、不便(ふびん)なり不便なり。ついには日蓮にあひて仏果をうべきか。不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。    今、日蓮を憎む少輔房が、法華経の第五の巻を取って日蓮の面を打ったことも逆縁となるであろうか。かれはインド、これは日本、かれは女人、これは男、かれは両足、これは両手。かれは嫉妬のゆえ、これは法華経の故である。しかし法華経の第五の巻は同じなのである。かの女人は足が地獄に入らなかったのであるから、少輔房の両手は無間地獄へ入ることがあろうか。
 ただし、かの女人は男を憎んでいたが法華経を憎んではいなかった。少輔房は法華経と日蓮とを憎んでのことでるから、全体が無間地獄へ入るであろう。法華経には「其の人命終して阿鼻獄に入らん」とある。この経によれば、手だけは無間地獄に入らないだろうとは見えず、まことに不憫なことである。しかし、少輔房も結局は、日蓮にあって仏果を得るのであろう。ちょうど不軽菩薩を迫害した増上慢の四衆のようなものである。

 

第二章 提婆品の順逆二縁の成仏を明かす

 (それ)第五の巻は一経第一の肝心なり。竜女が即身成仏あき()らかなり。提婆はこゝろの成仏をあらはし、竜女は身の成仏をあらはす。一代に(ぶん)()へたる法門なり。さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給ひたる中に、即身成仏化導勝とは此の事なり。    さて法華経第五の巻は一経第一の肝心である。ここには竜女の即身成仏が明らかに説かれている。提婆達多は心の成仏をあらわし、竜女は身の成仏をあらわしている。このような深遠な法門は、一代経において他にみないものである。だからこそ、伝教大師は法華秀句の中で法華経が一切経に超過して勝れていることを十箇条挙げられたが、そのなかで即身成仏化導勝といわれているのがこのことである。
 此の法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申して文句の義科なり。真言・天台の両宗の相論なり。竜女が成仏も法華経の功力なり。文殊(もんじゅ)師利(しり)菩薩は「唯常宣説妙法華経」とこそかたらせ給へ。唯常の二字は八字の中の肝要なり。菩提(ぼだい)心論(しんろん)の「唯真言法中」の唯の字と、今の唯の字といづれを本とすべきや。彼の唯の字はをそ()らくはあやまりなり。    この法門は天台宗における最も肝要なもので、即身成仏義といって法華文句第八の巻の義科の一つである。これについては、真言・天台の二宗の間に争論があるが、竜女の成仏も法華経の功力であって、文殊師利菩薩が竜女を教化するのに「唯常に妙法華経を宣説す」と語られている。「唯常」の二字はこの八字の中の肝要である。菩提心論の「唯、真言法の中のみ」の「唯」のと法華経の「唯」のいずれを根本とすべきであろうか。菩提心論の「唯」の字は恐らく誤りである。
 無量義経に云はく「四十余年未だ真実を顕はさず」と。法華経に云はく「世尊の法久しくして後(かなら)ず当に真実を説きたまふべし」と。多宝仏は「皆是真実なり」とて、法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり。爾前経にいかやうに成仏ありとも()け、権宗の人々無量に()くる()ふとも、たゞほうろく(焙烙)千につち()一つなるべし。「法華折伏破権門理」とはこれなり。(もっと)もいみじく秘奥なる法門なり。    無量義経には「四十余年には未だ真実を顕さず」、法華経方便品第二には「世尊は法久くして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と説かれ、見宝塔品第十一で多宝仏は「皆是れ真実なり」と、即身成仏は法華経に限ることが定められている。爾前経にどのように成仏があると説かれていようと、また権宗の人々がどのように言い狂ったとしても、要するに千の焙烙も一つの槌に及ばないのと同じである。「法華は折伏にして権門の理を破す」とはこのことである。最も大事な秘奥な法門である。
 又天台の学者、慈覚よりこのかた玄・文・止の三大部の文をとかくれう()けん()し義理をかま()うとも、去年のこよみ()昨日の(じき)のごとし。けう(今日)の用にならず。末法の始めの五百年に、法華経の題目をはなれて成
(★1360㌻)
仏ありといふ人は、仏説なりとも用ゆべからず。何に況んや人師の義をや。
   また天台宗においても、慈覚以降の学者が、玄義・文句・止観の法華三大部の文について、あれこれと解釈したり、勝手な意味づけをしてみたところで、それはちょうど去年の暦や昨日の食べ物のようなもので、きょうの役には立たないのである。末法の始めの五百年に、法華経の題目を離れて成仏があるという人は、それが仏説であったとしても用いてはならない。まして人師の義などなおさらである。 
 (ここ)に日蓮思ふやう、提婆(だいば)品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり。昔の師は今の弟子なり。今の弟子はむかしの師なり。古今(ここん)能所(のうしょ)不二(ふに)にして法華の深意をあらはす。されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来、師となり、愚癡の竜女には智慧の文殊、師となり、文殊・釈迦如来にも日蓮をと()り奉るべからざるか。日本国の男は提婆がごとく、女は竜女にあひ()たり。逆順ともに成仏を()すべきなり。(これ)提婆品の意なり。    そこで日蓮が考えるのに、提婆達多品第十二をみると、提婆達多は釈尊の昔の師である。昔の師は今の弟子であり、今の弟子は昔の師である。これは、昔と今、師と弟子は一体不二であるという法華経の深意をあらわしているのである。それゆえ、悪逆の提婆達多には慈悲の釈迦如来が師となり、愚癡の竜女には智慧の文殊が師となっているのである。この日蓮は文殊・釈迦如来にも劣ることはないであろう。日本国の男は提婆達多のようであり、女は竜女に似ている。法華経の行者に順う者も、背く者も、順逆ともに成仏を期しえるというのが提婆達多品第十二の意なのである。

 

第三章 勧持品二十行の偈の身読を悦ぶ

 次に勧持(かんじ)品に八十万億那由他の菩薩の異口同音の二十行の()は日蓮一人よめり。誰か出でて日本国・唐土・天竺三国にして、仏の滅後によみたる人やある。又我よみたりとなのるべき人なし。又あるべしとも覚へず。「及加(ぎゅうか)刀杖(とうじょう)」の刀杖の二字の中に、もし杖の字にあう人はあるべし。刀の字にあひたる人を()かず。不軽菩薩は「杖木瓦石」と見へたれば杖の字にあひぬ、刀の難はきかず。天台・妙楽・伝教等は「刀杖不加」と見へたれば是又()けたり。    次に、勧持品第十三において、八十万億那由佗の菩薩が異口同音に誓った二十行の偈は、日蓮一人が身で読んだのである。釈尊入滅後、日本国・中国・インドの三国に、二十行の偈を身で読んだ人があるだろうか。また「私が読んだ」と名乗り出られる人はいない。また、あろうとも思われない。二十行の偈のうち「及加・刀杖」とある「刀杖」の二字のうち、杖をもって打たれた人はあるだろう。しかし、刀をもって切られた人のことは聞かない。不軽菩薩は「杖木・瓦石」と経文にあるから杖の難にはあっているが、刀の難にはあったとは聞いていない。天台大師・妙楽大師・伝教大師等は、安楽行品に「刀杖不加」とあるのだから、これもまた欠けている。
 日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ。(あまつさ)へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜の口となり。一度もあう人なきなり。日蓮は二度あひぬ。杖の難には、すでにせうばうにつらをうたれしかども、第五の巻をもてうつ。うつ杖も第五の巻、うたるべしと云ふ経文も五の巻、不思議なる未来記の経文なり。さればせう(小輔)ばう()に、日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には、法華経の故とはをもへども、いまだ凡夫なればうたて(無常)かりける間、つえをもうば()ひ、ちからあるならば、()()()つべきことぞかし。然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。    日蓮は刀杖の二字ともに身で読んだのである。ことに刀の難は前にもいったように、東条の松原と竜の口の法難である。刀の難には、一度もあった人もなかったものを日蓮は二度もあったのである。杖の難は少輔房に面を打たれたことであるが、それも法華経の第五の巻で打たれたのである。打つ杖も第五の巻、「打たれるであろう」と説かれた経文も第五の巻、不思議な未来予言の経である。したがって、日蓮が数十人の中で少輔房に打たれた時の心境は、これも法華経のためとは思ったけれども、まだ凡夫の身であるゆえに、打たれている間、少輔房から杖を奪い、力があるなら踏み折って捨ててやりたいほどであった。しかし、その杖は法華経の五の巻であったのである。 
 いまをも()()でたる事あり。子を思ふ故にや、をや()つきの木の弓をもて、学文せざりし子にをしへたり。然る間此の子うたてかりしは父、にくかりしはつきの木の弓。されども終には修学増進して自身得脱をきわめ、又人を利益する身となり、立ち還って見れば、つきの木をもて我をうちし故なり。此の子そとばに此の木をつくり、父の供養のためにたて、てむけりと見へたり。日蓮も又かくの如くあるべきか。日蓮仏果をえむに争でかせうばう
(★1361㌻)
が恩をすつべきや。何に況んや法華経の御恩の杖をや。かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。
   それにつけても、いま思い出したことがある。昔、ある親が子供のことを思って、学問に励まない子を槻の木の弓で打って訓誡した。この時、その子は父を恨み、槻の木の弓を憎んだ。しかしながら、終には修学も進み、自分自身も悟りを得て、人を利益するような身となったのである。振り返ってみれば、これは親が槻の木の弓で自分を打ってくれたからである。この子は、亡き父のために槻の木で率搭婆を作り、供養のために建てたというのである。
 日蓮もまた、このようにあるべきであろうか。日蓮が仏果を得ることができた時には、どうして少輔房の恩を棄てることができようか。まして、法華経の第五の巻の御恩の杖を忘れられようか。このように思いつづけていると、感涙をおさえることができないのである。

 

第四章 地涌の上首・上行の再誕なるを述べる

 又涌出品は日蓮がためにはすこ()しよしみある品なり。其の故は上行菩薩等の末法に出現して、南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり。しかるに先づ日蓮一人出来す。六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほ()るべしと思へばたのもしき事なり。    また従地涌出品第十五は日蓮にとって、少し縁のある品である。それは、上行菩薩等が末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘めるであろう、ということが説かれているからである。しかるに、まず日蓮一人出現していることは、六万恒沙の地涌の菩薩から、まちがいなくほめていただけることだろうと思えば、頼もしいことである。
 とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ。殿一人にかぎるべからず。信心をすすめ給ひて、過去の父母等をすく()わせ給へ。日蓮生まれし時よりいまに一日片時もこころやすき事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思ふばかりなり。    ともかくも法華経に身をまかせて信じていきなさい。あなた一人だけが信ずるだけでなく、信心をすすめて、過去の父母等を救っていきなさい。日蓮は生まれたときから今にいたるまで、一日片時も心のやすまることはなかった。ただこの法華経の題目を弘めようと思うばかりであった。
 相かまへて相かまへて、自他の生死はしらねども、御臨終のきざみ、生死の中間に、日蓮かならずむか()いにまいり候べし。三世の諸仏の成道は、()うし()()はりとら()きざ()みの成道なり。仏法の住処は鬼門の方に三国ともにたつなり。此等は相承の法門なるべし。委しくは又々申すべく候。恐々謹言。    自他の生死はわからないけれども、あなたの御臨終のさいに、生死の中間には必ず日蓮が迎えに参るであろう。三世の諸仏の成道は子丑の終わり、寅の時刻の成道である。仏法の住処は・王城の鬼門(東北)の方に、インド・中国・日本の三国ともに立つのである。これらは相承の法門である。くわしくは、またの時に申し上げよう。恐恐謹言。

 

第五章 重ねて信心の基本姿勢を示す

 かつ()へて食をねがひ、(かっ)して水をしたうがごとく、恋て人を見たきがごとく、病にくすりをたのむがごとく、みめ()かたち()よき人、べに()しろいものをつくるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。さなくしては後悔あるべし云云
  ()(つき)二十日    日蓮 花押
 上野殿御返事
   飢えた時に食べ物を求め、のどが渇いた時に水を欲しがるように、恋しい人を見たいように、病気になって薬を頼りにするように、美しい人が紅や白粉をつけるのと同じように、法華経に信心をしていきなさい。そうでなければ後悔するであろう。
 四月二十日     日蓮花押
上野殿御返事