松野殿後家尼御前御返事 弘安二年三月二六日 五八歳

 

第一章 盲亀浮木の譬えを示す 

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 法華経第五の巻安楽行品に云はく「文殊師利、此の法華経は無量の国の中に於て、乃至名字をも聞くことを得べからず」云云。此の文の心は、我等衆生の三界六道に輪回せし事は、或は天に生まれ、或は人に生まれ、或は地獄に生まれ、或は餓鬼に生まれ、畜生に生まれ、無量の国に生をうけて、無辺の苦しみをうけてたのしみにあひしかども、一度も法華経の国には生ぜず。たまたま生まれたりといへども南無妙法蓮華経と唱へず。となふる事はゆめにもなし。人の申すをも聞かず。
 
法華経第五の巻・安楽行品第十四に「文殊師利よ、この法華経は無量の国の中において、その名さえも聞くことができなかったのである」と説かれている。この経文の意味は、次のようである。われら衆生は、三界六道に輪回してきた。あるときは天上界に生まれ、あるときには人界に生まれ、あるときには地獄界に生まれ、あるときはは餓鬼界に生まれ、あるときは畜生界に生まれる等、無量の国々に生まれて、かぞえられないほど多くの苦しみを受け、また楽しみにあったけれども、まだ一度も法華経の国には生まれなかった。たまたま法華経の国に生れたとはいっても、南無妙法蓮華経と唱えることもない。自分自身が題目を唱えることなど夢にもなく、人が唱えるのを聞くことさえない。
 仏のたとへを説かせ給ふに、一眼の亀の浮木の穴に値ひがたきにたとへ給ふなり。心は大海の中に八万由旬の底に亀と申す大魚あり、手足もなくひれもなし。腹のあつき事はくろがねのやけるがごとし。せなかのこうのさむき事は雪山ににたり。此の魚の昼夜朝暮のねがひ、時々刻々の口ずさみには、腹をひやし、こうをあたゝめんと思ふ。赤栴檀と申す木をば聖木と名づく。人の中の聖人なり。余の一切の木をば凡木と申す。愚人の如し。此の栴檀の木は此の魚の腹をひやす木なり。あはれ此の木にのぼりて腹をば穴に入れてひやし、
(★1355㌻)
こうをば天の日にあてゝあたゝめばやと申すなり。自然のことはりとして千年に一度出づる亀なり。しかれども此の木に値ふ事かたし。大海は広し、亀はちいさし、浮木はまれなり。たとひ、よのうきゞにはあへども栴檀にはあはず。あへども、亀の腹をえりはめたる様に、がい分に相応したる浮木の穴にあひがたし。我が身をち入りなばこうをもあたゝめがたし。誰か又とりあぐべき。又穴せばくして腹を穴に入れえずんば、波にあらひをとされて大海にしづみなむ。たとひ不思議として栴檀の浮木の穴にたまたま行きあへども、我一眼のひがめる故に、浮木西にながるれば東と見る故に、いそいでのらんと思ひておよげば弥々とをざかる。東に流るを西と見る。南北も又此くの如し云云。浮木にはとをざかれども近づく事はなし。是くの如く無量無辺劫にも一眼の亀の浮木の穴にあひがたき事を仏説き給へり。
   釈迦は、このように衆生が、法華経に値い難いことを、一眼の亀が、赤栴檀の浮木の穴に値うのがむずかしいことに譬えられている。
 その意味は大海の中に八万由旬という底に亀という大魚がいた。その亀は手足もなく、鰭もなく、腹の熱いことは鉄を焼いたようで、背中の甲羅の寒いことは雪山にも似ている。この亀が昼夜朝暮願い、時々刻々口ぐせのようにいっていることは、この熱い腹を冷やし、寒い甲羅を暖めたいということであった。
 赤栴檀という木は聖木と名づける。人間の中の聖人のようなものである。これに対して他の一切の木を凡木といい、愚人のようなものである。この赤栴檀の木は、この亀の腹を冷やす木であり、亀はなんとかしてこの赤栴檀の木にのぼって腹をその穴に入れて冷やし、甲羅を天の日にあてて暖めたいと願っていた。しかし、自然の法理として、千年に一度、八万由旬の海底から出る亀なのである。しかしながら、現われたとしても、この木に値うことはむずかしい。大海ははてしなく広く、亀は小さい。しかも浮木は稀である。たとえ他の浮木に値うこたはあっても、栴檀の浮木には値わない。値ったとしても、亀の腹の大きさに合わせて彫ったような適当な大きさの穴がある浮木に値うことは困難である。大きすぎて穴に身体が落ち込んでしまっらならば背中の甲羅を暖めることはできず、まただれが拾い上げてくれるであろうか。また逆に、穴が狭くて腹を穴に入れることができなければ、波に洗い落されて大海に沈んでしまうであろう。
 たとえ不思議にも、栴檀の浮木の穴にたまたまめぐり値ったとしても、亀は一眼のひが目であるために、浮木が西に流れるのを東と見誤り、急いで乗ろうと思って泳げば、ますます遠ざかってしまう。同じように東に流れるのを西と見る。南北もまた同じである。浮木から遠ざかるけれども、近づくことはできない。このように無量無辺劫の長い間かかっても、一眼の亀が栴檀の浮木に値いがたいことを釈迦は説かれている。
 此の喩へをとりて法華経にあひがたきに譬ふ。設ひあへども、となへがたき題目の妙法の穴にあひがたき事を、心うべきなり。大海をば生死の苦海なり、亀をば我等衆生にたとへたり。手足のなきをば善根の我等が身にそなはらざるにたとへ、腹のあつきをば我等が瞋恚の八熱地獄にたとへ、背のこうのさむきをば貪欲の八寒地獄にたとへ、千年大海の底にあるをば我等が三悪道に墜ちて浮かびがたきにたとへ、千年に一度浮かぶをば三悪道より無量劫に一度人間に生まれて釈迦仏の出世にあひがたきにたとう。余の松の木ひの木の浮木にはあひやすく栴檀にはあひがたし。一切経には値ひやすく、法華経にはあひがたきに譬へたり。たとひ栴檀には値ふとも相応したる穴にあひがたきに喩ふるなり。設ひ法華経には値ふとも肝心たる南無妙法蓮華経の五字をとなへがたきに、あひたてまつる事のかたきにたとう。東を西と見、北を南と見る事をば、我等衆生かしこがほに智慧有る由をして、勝を劣と思ひ劣を勝と思ふ。得益なき法をば得益あると見る、機にかなはざる法をば機にかなう法と云ふ。真言は勝れ法華経は劣り、真言は機にかなひ法華経は機に叶はずと見る是なり。    釈迦はこの喩えをもって、法華経に値いがたいことに譬えている。たとえ法華経に値っても、唱えることのむずかしい題目の妙法の穴にあ値いがたいことを心得なければならない。ここでは大海を生死の苦しみの大海に譬え、亀を我等衆生に譬えたのである。亀の手足のないのは、善根がわれらの身に備わっていないことに譬え、腹の熱いのはわれらの瞋恚の八熱地獄に譬え、背中の甲羅が寒いのは、われらの貧欲の八寒地獄に譬えたのである。亀が千年の間大海の底にいるとは、われらが三悪道に堕ちて長く浮かび上がることができない姿に譬え、千年に一度面上に浮かぶとは、三悪道から無量劫に一度人間に生まれても、釈迦仏の出世に値いがたいことに譬えている。
 栴檀以外の松や檜の浮木には値しやすいが、栴檀の浮木には値いがたいとは、法華経以外の一切経には値いやすく、法華経には値いがたいことに譬えたのである。たとえ栴檀には値っても、適当な大きさの穴に値いがたいことは、たとえ法華経には値っても、法華経の肝心である南無妙法蓮華経の五字を唱えることのむずかしいことに譬えたのである。
 一眼の亀が東を西と見・北を南と見るということは、われら衆生が賢明そうな顔をし、智慧ある者のように振舞っても、勝を劣と思い、劣を勝と思うようなものである。成仏の利益のない法を利益ある法と見、衆生の機根に適していない法を適している法であるという。真言は勝れ、法華経は劣るといい、真言は衆生の機根に適し、法華経は機根に適していないと見るのはこれである。

 

第二章 南無妙法蓮華経は三国末弘の大法

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 されば思ひよらせ給へ。仏、月氏国に出でさせ給ひて一代聖教を説かせ給ひしに、四十三年と申せしに始めて法華経を説かせ給ふ。八箇年が程、一切の御弟子皆如意宝珠のごとくなる法華経を持ち候ひき。然れども日本国と天竺とは二十万里の山海をへだてゝ候ひしかば、法華経の名字をだに聞くことなかりき。釈尊御入滅ならせ給ひて、一千二百余年と申せしに漢土へ渡し給ふ。いまだ日本国へは渡らず。仏滅後一千五百余年と申すに、日本国の第三十代欽明天皇と申せし御門の御時、百済国より始めて仏法渡る。又上宮太子と申せし人、唐土より始めて仏法渡させ給ひて、其より以来今に七百余年の間、一切経並びに法華経はひろまらせ給ひて、上一人より下万人に至るまで、心あらむ人は法華経を一部、或は一巻、或は一品持ちて或は父母の孝養とす。されば我等も法華経を持つと思ふ。しかれども未だ口に南無妙法蓮華経とは唱へず。信じたるに似て信ぜざるが如し。譬へば一眼の亀のあひがたき栴檀の聖木にはあいたれども、いまだ亀の腹を穴に入れざるが如し。入れざればよしなし、須臾に大海にしづみなん。我が朝七百余年の間、此の法華経弘まらせ給ひて、或は読む人、或は説く人、或は供養せる人、或は持つ人、稻麻竹葦よりも多し。然れどもいまだ阿弥陀の名号を唱ふるが如く南無妙法蓮華経とすゝむる人もなく唱ふる人もなし。一切の経、一切の仏の名号を唱ふるは凡木にあうがごとし。未だ栴檀ならざれば腹をひやさず、日天ならざれば甲をもあたゝめず。但目をこやし、心を悦ばしめて実なし。華さいて菓なく、言のみ有りてしわざなし。
 
 以上、述べてきたことを考え合わせなさい。釈尊はインドに出現されて一代聖教を説かてたが、四十三年にして初めて法華経を説かれた。その後八年の間、いっさいの弟子はみな如意宝珠のような法華経を信受したのである。しかしながら、日本国とインドとは二十万里もの山や海をへだてているのである。法華経の名さえも聞くことがなかった。
 釈迦が入滅されてから一千二百余年に、法華経は中国へ渡ったが、まだ日本国には渡らなかった。仏滅後一千五百余年を経て、日本国の第三十代欽明天皇の時代に、百済国から初めてわが国に仏法が渡来した。
 また聖徳太子が中国から初めて仏法をとりいれられて以来、今日まで七百余年の間、一切経ならびに法華経は弘まっていき、上は天皇から下は庶民にいたるまで、心ある人は法華経を一部八巻、あるいは一巻、あるいは一品を持って父母の孝養としている。それ故に、人々は、われわれも法華経を信じていると思っている。しかしながら、いまだかって誰も口に南無妙法蓮華経と唱えない。それは、法華経を信じているようでいて実は信じていないようなものである。
 それはあたかも一眼の亀が、値いがたい栴檀の聖木に値ったけれども、まだ、その腹を穴に入れないようなものである。腹を浮木の穴に入れなければ意味がなく、たちまち大海に沈むであろう。わが国に仏法が伝来してから七百余年の間、この法華経は弘まり、あるいは法華経を読む人、あるいは説く人、あるいは供養する人、あるいは持つ人は、稲麻竹葦よりも多い。しかしながら、いまだ阿弥陀の名号を称えるように、南無妙法蓮華経と勧めるひともなく、唱える人もいない。法華経を除くいっさいの経文、一切の諸仏の名を称えるのは、凡木に値うようなものである。栴檀でないから亀の腹を冷やさない。太陽でないから甲羅もあたためない。ただ、目をたのしませ、心を喜ばせるだけで、実証はない。それはあたかも、花が咲いても果実がみのらず、言葉のみあって現実の働きがないようなものである。

 

第三章 二十余年の師子王の戦いを示す

 但日蓮一人ばかり日本国に始めて是を唱へまいらする事、去ぬる建長五年の夏のころより今に二十余年の間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と是を唱ふる事は一人なり。念仏申す人は千万なり。予は無縁の者なり。念仏の方人は有縁なり、高貴なり。然れども師子の声には一切の獣声を失ふ。虎の影には犬恐る。日天東に出でぬれば、万星の光は跡形もなし。法華経のなき所にこそ弥陀念仏はいみじかりしかども、南無妙法蓮華経の声出来しては、
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師子と犬と、日輪と星との光くらべのごとし。譬へば鷹と雉とのひとしからざるがごとし。故に四衆とりどりにそねみ、上下同じくにくむ。讒人国に充満して奸人土に多し。故に劣を取りて勝をにくむ。譬へば犬は勝れたり師子をば劣れり、星をば勝れ日輪をば劣るとそしるが如し。然る間邪見の悪名世上に流布し、やゝもすれば讒訴し、或は罵詈せられ、或は刀杖の難をかふる。或は度々流罪にあたる。五の巻の経文にすこしもたがはず。さればなむだ左右の眼にうかび、悦び一身にあまれり。
   ただ日蓮ひとりのみ、日本国で始めて、南無妙法蓮華経の題目を唱え出した。去る建長五年の夏のころから今に至る二十余年の間、昼夜朝暮に南無妙法蓮華経と唱えたのは、日蓮一人である。これにたいして、念仏を称える人は千万人の多数である。日蓮には、後楯になるような縁者はいない。念仏の味方をする人は、後楯があり、高貴な人々である。しかしながら、師子のほえる声には他のいっさいの獣が声をひそめてしまい、虎の影を見ただけで犬は恐れる。太陽が東天に昇れば、万星の光は、跡形もなく消えてしまう。そのように、法華経のないところでこそ、念仏は勢威を誇っていたけれども南無妙法蓮華経が唱え出されると、それはまさに、師子と犬とを比べ、日輪と星の光を比べるようなものである。
 譬えば、鷹と雉とは等しくないようなものである。故に、四衆がそれぞれ日蓮をねたみ、上下こぞってにくむのである。讒言する者は国に充満し、また、奸人もその地に多い。故に劣った念仏を取り、勝れた南無妙法蓮華経の題目をにくむのである。譬えば犬は勝れて師子が劣り、星が勝れて太陽が劣ると誹るようなものである。それゆえ、日蓮は邪見のものであるとの悪名は世間に流布し、ややもすれば讒訴され、あるいは罵詈され、あるいは刀杖の難を蒙り、あるいは度々流罪に処された。法華経第五の巻・勧持品の経文に説かれた法華経の行者の姿と、少しも違うことがない。それゆえ、感涙は左右の眼にうかび、悦びが全身にあふれるのである。

 

第四章 御供養への謝意を表す

 こゝに衣は身をかくしがたく、食は命をさゝへがたし。例せば蘇武が胡国にありしに、雪を食として命をたもつ。伯夷は首陽山にすみし、蕨ををりて身をたすく。父母にあらざれば誰か問ふべき。三宝の御助けにあらずんばいかでか一日片時も持つべき。未だ見参にも入らず候人の、かやうに度々御をとづれのはんべるはいかなる事にや、あやしくこそ候へ。法華経の第四の巻には、釈迦仏凡夫の身にいりかはらせ給ひて、法華経の行者をば供養すべきよしを説かれて候。釈迦仏の御身に入らせ給ひ候か、又過去の善根のもよをしか。竜女と申す女人は法華経にて仏に成りて候へば、末代に此の経を持ちまいらせん女人をまぼらせ給ふべきよし誓はせ給ひし其の御ゆかりにて候か、貴し貴し。
  三月二十六日    日蓮花押
 松野殿後家尼御前御返事
   ここ身延での生活は、衣服は身を包むに足りず、食料も乏しくて命を支えることが困難な状態である。例えば蘇武が胡国に捕えられた時に、雪を食べて命を保ち、伯夷が首陽山に隠棲していた時に蕨を採ってやっと身を保つたのと同じ有り様である。この身延の山中に父母でなければ、誰が訪ねる人があろうか。三宝の加護ででもなければ、どうして一日方時も我が命を持つことができようか。末だお会いしたこともないのに、このように、度度使いをもってお訪ね下さるのは、いかなることかと不思議に思えてなれない。法華経の第四の巻法師品には、釈迦仏が凡夫の身に入り替わられて、法華経の行者を供養することが説かれている。釈迦仏があなたの御身に入られたのか、また、尼御前の過去に積まれた善根がらわれてのことであろうか。 
 竜女という女人は、法華経で成仏されたのであるから、末法にこの法華経を持つ女性を守護することを誓われた。あなたは、そのゆかりの人であろうか。まことに貴いことである、貴いことである。
  弘安二年己卯三月二十六日    日蓮花押
 松野殿後家尼御前御返事