食物三徳御書   弘安元年  五七歳

 

(★1321㌻)
たからとす。山の中には塩をたからとす。魚は水ををやとし鳥は木を家とす。人は食をたからとす。かるがゆへに大□□王は民ををやとし、民は食を天とすとかゝれたり。食には三つの徳あり。一には命をつぎ、二にはいろをまし、三には力をそう。
 
宝とする。山の中には塩をたからとする、魚は水ををやとし鳥は木を家とする。人は食を宝とする。
 ゆえに、大国の王(大荘厳王)は民を親のように思って大切にし、国の民は食物を天の如く尊重する、と書かれている。食物には三つの徳がある。一には生命を継ぎ、二には色を増し、三には力を強くする徳である。
 人に物をほどこせば我が身のたすけとなる。譬へば人のために火をともせば我がまへあきらかなるがごとし。悪をつくるものをやしなへば命をますゆへに気ながし。色をますゆへに眼にひかりあり。力をますゆへに、あしはやくてきく。かるがゆへに食をあたへたる人、かへりていろもなく、気もゆわく、力もなきほうをうるなり。     人に物を施せば我が身を助けることになる。例えば人のために灯をともしてやれば、自分の前も明るくなるようなものである。悪を為すものに物を施すならば、その悪人は生命力を増すゆえに、生気が長くなり、色を増すゆえに目に光が宿り、悪の力が強くなるために足が早く、手がよくきくようになる。そのために食を施した人はかえって色を失い、生気も弱くなり、力もなくなるという報いを受けるのである。
 一切経と申すは紙の上に文字をのせたり。譬へば虚空に星月のつらなり、大地に草木の生ぜるがごとし。この文字は釈迦如来の気にも候なり。気と申すは生気なり。この生気に二あり。一には九界    一切経というのは紙の上に文字を載せたものである。譬えば大空に星月が連なり、大地に草木が生えているようなものである。この文字は釈迦如来の気でもある。気というものは生気のことである。この生気に二つある。一には九界。