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(★1294㌻) 銭六貫文の内一貫次郎よりの分、白厚綿の小袖一領、四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし。但し時に随ひて勝劣浅深わかれて候。うへたる人には衣をあたへたるよりも、食をあたへて候はいますこし功徳まさる。こごへたる人には食をあたへて候よりも、衣は又まさる。春夏に小袖をあたえて候よりも、秋冬にあたへぬれば又功徳一倍なり。これをもって一切はしりぬべし。たゞし此の事にをいては四季を論ぜず、日月をたゞさず、ぜに・こめ・かたびら・きぬこそで、日々月々にひまなし。例せばびんばしらわうの教主釈尊に日々日々に五百輌の車ををくり、阿育大王の十億の沙金を鶏頭摩寺にせゝしがごとし。大小ことなれども志はかれにもすぐれたり。 |
銭六貫文、そのうち一貫文は次郎殿のぶんとして、また白厚綿小袖一揃いをいただきました。 四季を通じて、種々の品を御本尊に供養されるこたは、全てが全て功徳にならないものはありあせん。ただし、時によって、その功徳に勝劣浅深があります。飢えている人には、衣服を与えるよりも食物を与える方がすこし功徳は勝り、寒さに凍えている人には、食物を与えるよりも衣服を与える方がもっと功徳は勝れております。また、春・夏に厚綿の小袖を与えるよりも、秋・冬に与えた方が功徳は倍増します。これによって一切が分かるでしょう。 しかし、供養についたは、あなたからは四季の別なく、日月も問わず、銭・米・帷子・衣小袖を月々日々ひまなくいただいております。たとえば頻婆娑羅王が教主釈尊に対して、毎日、五百輌の車に供養の品を積んで送り、阿育大王が十億の沙金を鷄頭摩寺に布施したごとくです。これらの人とあなたの供養とは、大小の相異はありますが、信心の志においては、彼の頻婆娑羅王や阿育大王にも勝れて尊い。 |
| 其の上今年は子細候。ふゆと申すふゆ、いづれのふゆかさむからざる。なつと申すなつ、又いづれのなつかあつからざる。たゞし今年は余国はいかんが候らめ、このはきゐは法にすぎてかんじ候。ふるきをきなどもにとひ候へば、八十・九十・一百になる者の物語り候は、すべていにしへこれほどさむき事候はず。此のあんじちより四方の外十丁・二十丁は人かよう事候はねばしり候はず。きんぺん一丁二丁のほどは、ゆき一丈・二丈・五尺等なり。このうるう十月卅日ゆきすこしふりて候ひしが、やがてきへ候ひぬ。この月の十一日たつの時より十四日まで大雪下りて候ひしに、両三日へだてゝすこし雨ふりて、ゆきかたくなる事金剛のごとし。いまにきゆる事なし。ひるもよるもさむくつめたく候事、法にすぎて候。さけはこをりて石のごとし。あぶらは金ににたり。なべ・かまに小水あればこをりてわれ、かんいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくして、さしいづるものもなし。 |
そのうえ、今年はいつもの年と異なる事情があります。冬はいつの冬も寒く、夏はいつの夏も暑いことは決まっています。しかし、今年は、他国はどうかは知りませんが、この身延の波木井の地方は異常なほど寒いのです。この地に古くから住んでいる老人たちに聞いてみますと、八十、九十、百歳になる人たちも、みなこれほど寒いことは、かってなかったといっております。 この身延の庵室から四方の山の外、一キロ、二キロ先は人も通うことはないかも知りませんが、近辺100mくらいは、雪が三m六m少ない所でも1・2mは積もっています。 去る閏十月三十日に雪が少し降りましたが、すぐに消えてしまいました。今月に入って十一日の辰の時から十四日まで大雪が降りましたが、それから二・三日して少し雨が降って、雪が凍って金剛石のように堅くなり、今もって消えません。昼も夜も寒く冷たいことはなみはずれています。酒は凍って石のようです。油は凍って金のようです。鍋・釜に少し水が入っていると凍ってそれが凍って割れてしまいます。寒さはますます激しくなってきて、衣服は薄く、食物も乏しいので外に出る者もありません。 |
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(★1295㌻) 坊ははんさくにて、かぜゆきたまらず、しきものはなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。ふるきあかづきなんどして候こそで一つなんどきたるものは、其の身のいろ紅蓮・大紅蓮のごとし。こへははゝ大ばゞ地獄にことならず。手足かんじてきれさけ人死ぬことかぎりなし。俗のひげをみればやうらくをかけたり、僧のはなをみればすゞをつらぬきかけて候。かゝるふしぎ候はず候に、去年の十二月の卅日よりはらのけの候ひしが、春夏やむことなし。あきすぎて十月のころ大事になりて候ひしが、すこしく平癒つかまつりて候へども、やゝもすればをこり候に、兄弟二人のふたつの小袖わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞ。ましてわたうすく、たゞぬのものばかりのものをもひやらせ給へ。此の二つのこそでなくば今年はこゞへじに候ひなん。 |
庵室はまだ半分作りかけの状態で、風雪を防ぐこともせきず、敷物もあありません。水をとりに表に出る者もいないから、火も焚きません。古い垢のついた小袖一枚くらい着た者は、その肌の色が、厳寒のために紅蓮・大紅蓮のようです。 その声は阿波波地獄、阿婆婆地獄から発する異様な声そのままです。手や足は凍えて切れ裂け、人が死ぬことが絶えません。在家の人の髭を見ると凍って瓔珞をかけたようであり、また、僧の鼻を見ますと鈴が貫きかけたようになっております。 このように不思議なことはかってなかったことです。そのうえさらに日蓮は去年の十二月三十日から下痢をしましたが、今年の春・夏になっても治らない、秋を過ぎて十月のころ、重くなり、その後、少し癒りましたが、ややもすればまた起きることがあります。そんなときに、あなた方兄弟お二人から送られた二つの小袖は、綿が四十両(約1.6㎏)も入っているのに、夏の帷子のように軽い。まして、今までは綿の薄いただ布ばかりの衣服でした。どれほどつらかったか推量してみてください。この二つの小袖がなかったならば、今年、大聖人は死んだでありましょう。 |
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其の上兄弟と申し、右近の尉の事と申し、食もあいついで候。人はなき時は四十人、ある時は六十人、いかにせき候へども、これにある人々のあにとて出来し、舎弟とてさしいで、しきゐ候ひぬれば、かゝはやさにいかにとも申しへず。心にはしづかにあじちむすびて、小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じ候に、かゝるわづらわしき事候はず。又としあけ候わばいづくへもにげんと存じ候ぞ。かゝるわづらわしき事候はず。又々申すべく候。なによりもゑもんの大夫志ととのとの御事、ちゝの御中と申し、上のをぼへと申し、面にあらずば申しつくしがたし。恐々謹言。 十一月廿九日 日 蓮 花押 兵衛志殿御返事 |
そのうえ、衣服のみならず、あなたがた兄弟といい、右近尉からのことといい、食料も相ついで到着しました。この庵室は、人が少ないときでも四十人、多いときには六十人にもなる。いくら断っても、ここにいる人の兄といってきたり、舎弟といって尋ねてきては腰をおちつけるので、気がねして何ともいえずにおります。 私の気持ちとしては心静かに、庵室で、小法師と二人だけで、法華経を読誦したいと願っていましたのに、こんなに煩わしいことはありません。また、年が明けたならば、どこかへ逃げてしまいたいと思っています。こんな煩わしいことはありません。また、申し上げることにしましょう。 なにはともあれ、右衛門大夫志とのこと、また御父との間のことといい、主君の信任といい、お会いした上でなえればいい尽くすことはできません。恐恐謹言。 十一月廿九日 日 蓮 花 押 兵衛志殿御返事 |