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(★1246㌻) むぎのしろきこめ一駄、はじかみ送り給び了んぬ。 こくぼんわうの太子あなりちと申す人は、家にましましゝ時は俗性は月氏国の本主、てんりん聖王のすゑ、師子けう王のまご、浄飯王のおひ、こくぼん王には太子なり。天下にいやしからざる上、家中には一日の間、一万二千人の人出入す。六千人はたからをかりき。六千人はかへりなす。かゝる富人にておはする上、天眼第一の人、法華経にては普明如来となるべきよし仏記し給ふ。これは過去の行はいかなる大善とたづぬるに、むかしれうしあり。山のけだものをとりてすぎけるが、又、ひえをつくり食とするほどに、飢えたる世なればものもなし。 |
白くついた麦一駄、薑(生姜)を送りいただいた。 斛飯王の王子である阿那律という人は、出家する以前の俗性は月氏国の本土・転輪聖王の後裔で、獅子頬王の孫、浄飯王の甥、斛飯王の太子であった。高貴な身分であるうえ、家の中には一日に一万二千人の人が出入りし、六千人は金を借りにくる人で、六千人は金を返しにくる人であった。このような裕福な人であったうえに、釈尊の弟子になってからは、天眼第一の人となり、法華経では普明如来となるであろうと仏は記されたのである。こういう阿那律は、過去世にどのような大善を行じたのかと尋ねると、昔、猟師がおり、山の獣を獲って生活しており、また稗を作って食料としていたが、飢饉の世で、何もなかった。 |
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ただひえのはん一つありけるをくひければ、 (★1247㌻) りだと申す辟支仏の聖人来たりて云はく、我七日が間食ふことなし。汝が食者えさせよとこわせ給ひしかば、きたなき俗のごきに入れてけがしはじめて候と申しければ、たゞえさせよ、今食せずば死ぬべしと云ふ。おそれながらまいらせつ。此の聖人まいり給ひしが、たゞひえ一つびをとりのこしてれうしにかへし給ひき。ひえへんじていのことなる。いのこ変じて金となる。金変じて死人となる。死人変じて又金人となる。指をぬいて売れば本のごとし。かくのごとく九十一劫長者と生まれ、今はあなりちと申して仏の御弟子なり。わづかのひえなれども、飢えたる国に智者の御いのちをつぐゆへに、めでたきほうをう。 |
ただ稗の飯が一杯あったのを食べていると、利吒という辟支仏の聖人が来ていうには「私は七日の間、何も食べていない。あなたの食物を施してくれないか」と言われた。猟師は「汚い俗人の食器に入れて、食べかけになっていますが」と答えると、聖者は「それでよい。いま食べなければ死んでしまう」といったので、猟師は恐縮しながら差し上げた。この聖人は、食したあと、ただ一粒の稗を残して猟師に返された。この時、稗は変わって猪となった。猪は変わって金となった。金は変わって死人となった。死人は変わってまた金人になった。指を抜いて売るとまた指が生えて元のようになった。こうして九十一劫の間長者に生まれ、今は阿那律となって仏の弟子となった。わすかの稗であったけれども、飢えた国で智者の御命を助けたために、すばらしい果報を得られたのである。 |
| 迦葉尊者と申せし人は、仏の御弟子の中には第一にたとき人なり。此の人の家をたづぬれば摩かだい国の尼くりだ長者の子なり。宅にたゝみ千でうあり。一でうはあつさ七尺、下品のたゝみは金千両なり。からすき九百九十九、一つのからすきは金千両。金三百四十石入れたるくら六十。かゝる大長者なり。めは又身は金色にして十六里をてらす。日本国の衣通姫にもすぎ、漢土のりふじんにもこえたり。此の夫婦道心を発こして仏の御弟子となれり。法華経にては光明如来といはれさせ給ふ。此の二人の人々の過去をたづぬれば、麦飯を辟支仏に供養せしゆへに迦葉尊者と生まる。金のぜに一枚を仏師にあつらへて毘婆尸仏の像の御はくにひきし貧人は、此の人のめとなれり。 | 迦葉尊者という人は、仏の御弟子の中では第一に尊い人である。この人の家を尋ねると、摩訶陀国の尼拘律陀長者の子であった。家には畳が千畳もあり、一畳の厚さは七尺もあり、下等の畳さえ金千両もした。また唐鋤が九百九十九もあり、一つの唐鋤金千両であった。金三百四十石の金が入った倉が六十もあるという大長者であった。その夫人は、身は金色に輝き、十六里を照らしたという。その美しさは、日本国の衣通姫よりも優れ、中国の李夫人よりも超えていた。この夫婦は道心を発こして仏の弟子となり、法華経では光明如来になるであろうと記されたのである。この二人の人々の過去を尋ねるならば、麦飯を辟支仏に供養したために迦葉尊者と生まれ、金貨一枚を仏師にたのんで、金箔として毘婆尸仏の像を塗った貧者は、この人の夫人となったのである。 |
| 今、日蓮は聖人にはあらざれども、法華経に名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子かよう人をも、或はのり、或はうち、或は所領をとり、或はところをおふ。かゝる国主の内にある人々なれば、たとひ心ざしあるらん人々もとふ事なし。此の事事ふりぬ。なかにも今年は疫病と申し、飢渇と申し、とひくる人々もすくなし。たとひやまひなくとも飢えて死なん事うたがひなかるべきに、麦の御とぶらひ金にもすぎ、珠にもこえたり。彼のりだがひえは変じて金人となる。此の時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。 | 今、日蓮は、聖人ではないけれども、法華経の御名を立てたために、国主に憎まれ、自分が責められばかりでなく、弟子や行き来する人までも、或は罵られ、或は打たれ、或は領地をとられ、或は住所を追われたりした。このような国主の領内に居る人々であるので、たとえ志があるであろう人々も訪れることはない。このことは事新しいことではないが、それにしても、今年は疫病や飢饉などで、訪れてくる人々が少ない。たとえ病にかからなくても、飢えて死ぬことは疑いないと思っていたところに、あなたが送ってくださった麦は、金よりも勝れ、宝珠よりも有難いものである。あの利吒の稗は変わって金人となった。今、時光から送られた麦が、どうして法華経の文字にならないことがあろうか。 | |
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(★1248㌻) 此の法華経の文字は釈迦仏となり給ひ、時光が故親父の左右の御羽となりて霊山浄土へとび給へ。かけり給へ。かへりて時光が身をおほひはぐくみ給へ。恐々謹言 七月八日 日 蓮 花押 上野殿御返事 |
この法華経の文字は釈迦仏となられて、時光のなき父上の左右の羽となって、霊山浄土へ飛んで行かれ、更に帰って来て、時光の身を覆い育まれることであろう。恐々謹言。 七月八日 日 蓮 花押 上野殿御返事 |