米穀御書 弘安元年六月 五七歳
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米穀も又々かくの如し、同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは仏種をたつ、命をついで弥々強盛の敵人となる。又命をたすけて終に法華経を引き入るべき故か。又法華の行者をやしなうは、慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。故に仏舎利変じて米と成るとは是なるべし。かゝる今時分人をこれまでつかはし給ふ事うれしさ申すばかりなし。釈迦仏・地涌の菩薩、御身に入りかはらせ給ふか。
其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。仏種は縁に従って起こる、是の故に一乗を説くなるべし。又治部房・下野房等来たり候はゞいそぎいそぎつかはすべく候。松野殿にも見参候はゞくはしくかたらせ給へ。