治病大小権実違目  弘安元年六月二六日  五七歳

 

第一章 身の病と心の病を示す

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 御消息に云はく、凡そ疫病(やくびょう)(いよいよ)興盛(こうじょう)等云云。(それ)、人に二の病あり。一には身の病、所謂地大百一・水大百一・火大百一・風大百一、已上四百四病なり。此の病は(たと)ひ仏に有らざれども之を治す。所謂()水・()(すい)耆婆(ぎば)扁鵲(へんじゃく)等が方薬此を治するに()ゆて愈えずという事なし。
 
 御手紙には「疫病がいよいよ盛んに流行している」等とあった。
 いったい、人には二つの病がある。一つには身の病、これは地大百一・水大百一・火大百一・風大百一の以上四百四病である。この病は、たとい仏ではなくともこれを治すことができる。治水・流水・耆婆・扁鵲等の名医が薬で治療することによって(かい)()しないということはない。
 二には心の病、所謂三毒乃至八万四千の病なり。
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 此の病は二天・三仙・六師等も治し難し。何に況んや神農(しんのう)黄帝(こうてい)等の方薬及ぶべしや。
   二には心の病、これはいわゆる貧瞋癡の三毒から八万四千の病がある。この病は二天・三仙・六師等も治すことが難しい。まして神農・黄帝等の薬ではとうてい及ばない。
 又心の病重々に浅深勝劣分かれたり。六道の凡夫の三毒・八万四千の心の病は小仏・小乗・()(ごん)経・()(しゃ)成実(じょうじつ)(りつ)宗の論師人師、此を治するに()いて愈へぬべし。但し此の小乗の者等、小乗を本として或は大乗を背き、或は心には背かざれども大乗の国に肩を並べなんどする、其の国・其の人に諸病起こる。小乗等をもって此を治すれば、諸病は増すとも治せらるゝ事なし。諸大乗経の行者をもって此を治すれば則ち(へい)()す。    また、心の病は重々に浅深・勝劣が分かれている。六道の凡夫の三毒から八万四千の心病は、小乗の仏・小乗の阿含経・倶舎・成実・律宗の論師・人師が、これを治せば愈る。ただし、この小乗の者等が、小乗に執着し、あるいは大乗を背き、あるいは背かないが大乗の国に肩を並べようとすると、その国や国民に諸病が起こる。それを小乗等をもって治療にあたれば、諸病は増大するばかりで治ることはない。諸大乗経の行者がこれを治せば、病は平愈することができる。
 又()(ごん)経・深密(じんみつ)経・般若(はんにゃ)経・大日(だいにち)経等の権大乗の人々、各々(れつ)()勝見(しょうけん)を起こして、我が宗は或は法華経と斉等、或は勝れたりなんど申す人多く出来し、或は国主等此を用ひぬれば、此によて三毒・八万四千の病起こる。返って自らの依経をもって治すれどもいよいよ倍増す。(たと)ひ法華経をもって行なふとも(しるし)なし。経は勝れてをはしませども、行者僻見(びゃっけん)の者なる故なり。    また華厳経・深密経・般若経・大日経等の権大乗の人々でも、それぞれに劣謂勝見を起こして、我が宗は法華経と斉しいとか、あるいは法華経より勝れているなどという人が多く出てきて、国主等がこの誤りを用いれば、これによって三毒・八万四千の病が起こるのである。権大乗の人々が、自らの依経をもって治そうとしても、かえって病はますます倍増する。彼らが法華経で治療にあたっても功力はあらわれない、それは経は勝れてはいるが、行者が誤った者だからである。

 

第二章 迹門・本門と文底を明かす

 法華経に又二経あり。所謂迹門と本門となり。本迹の相違は水火・天地の()(もく)なり。例せば爾前と法華経との違目よりも猶(そう)()あり。爾前と迹門とは相違ありといへども(そう)()の辺も有りぬべし。    法華経にまた二経がある。いわゆる迹門と本門である。この本迹の相違は水と火、天と地のほどの違いなのである。たとえば爾前経と法華経との違いよりもさらに相違がある。爾前経と迹門は相違があるといっても似ているところもあるのである。 
 所説に八教あり。爾前の円と迹門の円とは相似せり。爾前の仏と迹門の仏は劣応(れっとう)・勝応・報身・法身(ほっしん)異なれども()(じょう)の辺は同じぞかし。今本門と迹門とは教主すでに久始(くし)のかわりめ、百歳のをきな()と一歳の(おさな)()のごとし。弟子又水火なり。土の先後いうばかりなし。而るを本迹を混合すれば水火を(わきま)へざる者なり。    釈尊が説かれた教えに八教がある。そのなかで爾前の円教と迹門の円教は似ている。爾前の仏と迹門の仏は劣応身・勝応身・報身・法身というように異なってはいても、始成正覚の立場であることは同じなのである。いま本門と迹門とは、教主に久遠身成と始成正覚の違いがある。たとえば百歳の翁と一歳の幼子のようなものである。仏の弟子もまた水と火ほどの違いがある。住所の国土の先後もいうまでもない。これほどの相違があるのに本門と迹門を混合するのは、水と火との区別を弁えないようなものである。 
 而るを仏は分明に説き分け給ひたれども仏の御入滅より今に二千余年が間、三国並びに一閻(いちえん)()(だい)の内に分明に分けたる人なし。但漢土の天台、日本の伝教、此の二人計りこそ(ほぼ)分け給ひて候へども、本門と迹門との大事に円戒いまだ分明ならず。詮ずる処は天台と伝教とは内には(かんが)み給ふといへども、一には時来たらず、二には機なし、三には譲られ給はざる故なり。    ゆえに釈尊はこれを明確に説き分けられたのであるけれども、御入滅から今にいたる二千余年の間、インド・中国・日本の三国並びに一閻浮提のなかで、明らかに分けた人はいないのである。ただ中国の天台大師、日本の伝教大師の二人だけが、あらあら分けられたが、本門と迹門との大事な法門があるなかで、法華円頓の戒法いまだ明らかにされなかった。これは結局、天台大師と伝教大師の二人は、内心ではご存知だったが、一つには時が来ていないのと、二つには機根がないのと、三つには釈尊からの付嘱がなかったことから明らかにされなかったのである。
 今末法に入りぬ。地涌出現して弘通有るべき事なり。今末法に入って本門のひろまらせ給ふべきには、小乗・権大乗・迹門の人々、(たと)(とが)なくとも彼々の法にては(しるし)有るべからず。譬へば春の薬は秋の薬とならず。設ひなれども春夏のごとくならず。
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 何に況んや彼の小乗・権大乗・法華経の迹門の人々、或は大小・権実に迷へる上、上代の国主彼々の経々に付きて寺を立て田畠を寄進せる故に、彼の法を下せば申し延べがたき上、依怙(えこ)すでに()せるかの故に、(だい)(しん)()を起こして、或は実経を謗じ、或は行者をあだむ。
   今は末法に入った。地涌の菩薩が出現して本門の法華経が弘通されるはずである。今末法に入って本門が弘まるのであるから、小乗・権大乗・迹門の人々は、たとい法に背いていなくてもそれぞれの爾前・迹門の法では功力のあるはずがない。
 たとえば春の薬は秋の薬にならないようなものである。たとえ薬となっても春や夏のように効果がない。
 ましてや彼の小乗・権大乗・法華経の迹門の人々は、あるいは大乗と小乗、権教と実教に迷っている上、昔の国主がそれらの経々を信じて寺院を建立し、田畠を寄進していることから、それらの法を真実ではないと下せば、何とも言い開きがつかなくなるうえ、自分が怙む国主を失ってしまうために大瞋恚を起こして、あるいは実経の法華経を誹謗し、あるいは法華経の行者を怨むのである。 
 国主も又一には多人につき、或は上代の国主の祟重の法をあらため難き故、或は自身の愚癡(ぐち)の故、或は実教の行者を(いや)しむゆへ等の故、彼の()(にん)等の語ををさめて実教の行者をあだめば、実教の守護神の梵・釈・日月・四天等其の国を罰する故に、先代未聞の三災七難起こるべし。所謂(いわゆる)(こぞ)・今年、去ぬる正嘉等の疫病(やくびょう)等なり。    国主もまた、ひとつには多人数の方につき、あるいは昔の国主が崇重してきた教えをあきらめることが難しいため、あるいはまた自らの愚癡のゆえに、あるいは法華経の行者を賎しむ心から、彼の讒訴人の言葉を受け入れて法華経の行者を迫害している。このために法華経の守護神である梵天・帝釈・日月・四天等がその国を罰するゆえに先代未聞の三災七難が起きているのである。去年や今年、または正嘉等の疫病等がそれである。

 

第三章 性善政悪の法門を明かす

 疑って云はく、汝が申すがごとくならば、此の国法華経の行者をあだむ故に、善神此の国を治罰する等ならば、諸人の疫病而るべし。何ぞ汝が弟子等又やみ死ぬるや。    疑つて云う。汝がいうように、この日本国の人が法華経の行者をあだむ故に善天善神がこの国を治罰する等というのなら、謗法の人々だけが病気になるはずである。どうして汝の弟子たちも病にかかり死んだりするのか。 
 答へて云はく、汝が不審最も其の(いわ)れ有るか。但し一方を知って一方を知らざるか。善と悪とは無始よりの左右の法なり。権教並びに諸宗の心は善悪(ぜんなく)は等覚に限る。若し(しか)らば等覚までは互ひに失有るべし。法華宗の心は一念三千、性悪(しょうあく)性善(しょうぜん)は妙覚の位に猶備はれり。元品(がんぽん)法性(ほっしょう)は梵天・帝釈等と顕はれ、元品の無明(むみょう)は第六天の魔王と顕はれたり。善神は悪人をあだむ、悪鬼は善人をあだむ。末法に入りぬれば自然に悪鬼は国中に充満せり。瓦石(がしゃく)草木(そうもく)の並び(しげ)きがごとし。善鬼は天下に少なし。聖賢まれなる故なり。此の疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも、日蓮が方にこそ多く()み死ぬべきにて候か。いかにとして候やらむ。彼等よりもすくなくやみ、すくなく死に候は不思議にをぼへ()候。人のすくなき故か。又御信心の強盛なるか。    答えて云う。汝の疑いはもっともである。だが一方を知って一方を知らないのである。善と悪とは無始以来の左右の法である。権教や、それによる諸宗の教えでは、善と悪とは等覚の菩薩までに限るといわれている。そうであるなら等覚までは互いに失があるはずである。それに対し法華宗の意は一念三千の法門であって、本性に具わった善悪は妙覚の位にまで備わっているのである。その元品の法性が梵天・帝釈等の諸天善神と顕れ、元品の無明は第六天の魔王と顕れているのである。善神は悪人をあだみ、悪鬼は善人をあだむ。今は末法に入っているから、おのずから悪鬼が国中に充満している。ちょうど無用の瓦石や草木がはびこっているようなものである。それは悪世であるから善鬼が天下に少なく、聖人や賢人がまれだからである。この疫病は念仏者・真言師・禅宗・律僧等よりも、日蓮が一門に方にこそ多く病にかかり死ぬ人が出るはずである。ところがどういうわけであろうか、権宗の彼らよりも病むものも少ない。このことを不思議に思っている。これは日蓮が一門の人数が少ないせいか、それともを信心の強盛のためであろうか。

 

第四章 日本国の疫病の先例を示す

 問うて云はく、日本国に此の疫病先代に有りや。答へて云はく、日本国は神武天皇よりは十代にあたらせ給ひし()(じん)天皇の御代(みよ)に疫病起こりて日本国やみ死ぬる事(なか)ばに()ぐ。王始めて天照太神等の神を国々に崇めしかば疫病()みぬ。故に崇神天皇と申す。此は仏法のいまだわたらざりし時の事なり。    問うて云う。日本国で前の代にこのような疫病があったことがあるのか。答えて云う。日本国では、神武天皇から十代目にあたる崇神天皇の治世に疫病が起こって日本国中が死み、死者は半分以上であった。天皇が始めて天照太神等の神を諸国で崇めたてまつったところ疫病がやんだ。ゆえに崇神天皇といわれているのである。これは仏法がまだ渡来する以前のことである。
 人王第三十代並びに一・
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二の三代の国主並びに臣下等、疱瘡(ほうそう)と疫病に()崩去(ほうぎょ)なりき。其の時は神にいのれども叶はざりき。去ぬる人王第三十代欽明(きんめい)天皇の(ぎょ)()に、()(だら)国より経論・僧等をわたすのみならず、金銅の教主釈尊を渡し奉る。()(がの)宿(すく)()等崇むべしと申す。(もの)(のべ)大連(おおむらじ)等の諸臣並びに万民等は一同に此の仏は崇むべからず、若し崇むるならば必ず我が国の神(いか)りをなして国やぶれなんと申す。王は両方弁へがたくおはせしに、三災七難先代に超えて起こりて、万民皆疫死す。大連等便りをえて奏問せしかば、僧尼等をばち()に及ぼすのみならず、金銅(こんどう)の釈迦仏をすみ()ををこして焼き奉る。寺又同じ。(その)の時に大連()み死ぬ。王も(かく)れさせ給ひ、仏をあがめし蘇我宿禰もやみぬ。
   人王第三十代(欽明天皇)と三十一代(敏達天応)、三十二代(用明天皇)の三代の天皇と臣下等は天然痘と疫病で御崩されたり亡くなられたりした。その時は神に祈ったけれども叶わなかったのである。人王三十代の欽明天皇の治世に百済国から経・論・僧が伝えられていただけでなく金銅の教主釈尊が伝えられていた。蘇我稲目等は、これを崇めるべきであると言い、物部尾興等の諸臣をはじめ万民等は、一同に、この仏は崇めてはならない、もし崇めたら、必ず我が国の神が瞋って国が亡びてしまうであろう、と言った。天皇はどちらとも定めかねているうちに三災・七難・先代に超えて起こり、万民は皆疫病によって死んだ。物部尾興等はこの機会をとらえて天皇に排仏を奏上したので、僧尼等をはずかしめたうえ、金銅の釈迦仏を炭をおこして焼いたのである。その時に物部尾興も疫病で死に、欽明天皇も亡くなられ、仏法を崇めた蘇我稲目も病んだ。 
 大連が子、守屋(もりやの)大臣(おとど)云はく、此の仏をあがむる故に三代の国主すでにやみかくれさせ給ふ。我が父もやみ死しぬ。まさに知るべし、仏をあがむる聖徳太子・馬子等はをや()のかたき、(きみ)の御かたき()なりと申せしかば、穴部(あなべの)(おう)()宅部(やかべの)(おう)()等、並びに諸臣已下数千人一同に()りき()して、仏と堂等をやきはらうのみならず、合戦すでに起こりぬ。結句は守屋討たれ了んぬ。    物部尾興の子の大臣の守屋が言うには、この仏を崇めたために欽明・敏達・用明の三代の国主もすでに疫病で亡くなられ、我が父も病で死んだ。まさに仏を崇める聖徳太子・蘇我馬子等こそは親の仇、天皇の敵である、と。そこで、穴穂部皇子・安部皇子等、また諸臣以下数千人が一団となって釈迦仏と寺院等を焼き払っただけでなく、合戦までが起こった。その結果、守屋は討たれてしまったのである。
 仏法渡りて三十五年が間、年々に三災七難疫病起こりしが、守屋が馬子に討たるのみならず、神もすでに仏にまけしかば、災難(たちま)ちに止み了んぬ。其の後の代々の三災七難等は大体は仏法の内の乱れより起こるなり。而れども或は一人二人、或は一国二国、或は一類二類、或は一処二処の事なれば、神のたゝ()りも有り、謗法の故もあり、民のなげきよりも起こる。    仏法が渡来して三十五年の間、年々に三災・七難、疫病が起こったが、守屋が馬子に討たれただけでなく、神も仏に負けてしまったので災難はたちまちにやんでしまった。その後の代々の三災・七難等は、大体は仏法の内部の乱れから起こったものである。しかし、あるいは一人・二人、あるいは一国・二国、あるいは一族・二族、あるいは一処・二処のことであり、その原因は神の祟りもあり、謗法のためのこともあり、民の嘆きから起こったものである。

 

第五章 一念三千を説く

 而るに此の三十余年の三災七難等は一向に他事を(まじ)へず。日本一同に日蓮をあだみて、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こせり。(けん)()()(だん)の凡夫の元品(がんぽん)の無明を起こす事此始めなり。神と仏と法華経にいのり奉らばいよいよ増長すべし。但し法華経の本門をば法華経の行者につけて除き奉る。結句は勝負を決せざらむ外は此の災難止み難かるべし。止観の十境十乗の観法は天台大師説き給ひて後、行ずる人無し。妙楽・伝教の御時少し行ずといへども敵人ゆわ()きゆへにさてすぎぬ。
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   しかるに、この三十余年の三災・七難等の原因は、全くほかのことではなく、日本国一同が日蓮を怨(あだ)んで、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに、上一人から下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こしているからである。 見思惑を断じていない凡夫が、一切の迷いの根本である無明の煩悩を起こしたことは、これがはじめてである。このような凡夫が神と仏と法華経に祈り奉るならば(三災七難は)いよいよ増長するのである。ただし、法華経の本門を法華経の行者につけて除く。結局は、勝負を決する以外には、この災難を止めることは難しい。 摩訶止観に明かされる十境・十乗の観法の修行は、天台大師が説かれて後は行ずる人はいない。妙楽大師・伝教大師の時には少し行じられたが、反対者が弱かったので、とりたてるほどのことはなかった。
 止観に三障四魔と申すは権経を行ずる行人の(さわ)りにはあらず。今日蓮が時(つぶさ)に起これり。又天台・伝教等の時の三障四魔よりも、いまひとしをまさ()りたり。一念三千の観法に二あり。一には理、二には事なり。天台・伝教等の御時には理なり。今は事なり。観念すでに勝る故に、大難又色まさる。彼は迹門の一念三千、此は本門の一念三千なり。天地はるかに(こと)なりことなりと、()臨終(りんじゅう)の御時は御心()有るべく候。恐々謹言    摩訶止観に三障四魔が起こるというのは、権経を行ずる人に起こる障りではなく、いま実教の法華経の行者である日蓮の時に盛んに起こるのである。天台大師・伝教大師等の三障四魔よりもいまひとしおまさっている。一念三千の観法に二つある。一には理であり、二には事である。天台大師・伝教大師等の時は理であり、いま日蓮の時は事である。一念三千の観法においてすでに日蓮のほうが勝っているので、大難もまた盛んなのである。天台大師・伝教大師は迹門の一念三千であり、日蓮は本門の一念三千である。この相違は天と地ほどのはるかな違いであると、御臨終の時は心得られるべきでる。恐恐謹言。

 

第六章 御供養の御礼を述べる

富木入道殿御返事        日蓮
 さへもん殿の便宜の御かたびら()給び候ひ了んぬ。今度の人々のかたがたの御さい()ども、左衛門尉殿の御日記のごとく給び了んぬと申させ給ひ候へ。太田入道殿のかたがたのもの、とき(富木)どの(殿)の日記のごとく給び候ひ了んぬ。此の法門のかたつら(片面)は左衛門尉殿にかきて候。こわ()せ給ひて御らむ()有るべく候。
   富木入道殿御返事        日蓮
 左衛門殿(四条金吾殿)にことづけられた帷子、たしかに頂戴した。
 今度の人々のそれぞれの御供養も左衛門殿(四条金吾殿)の書き付けにあったようにいただきましたとお伝えいただきたい。
 太田入道殿の方々の品、富木殿の書き付けのようにいただいた。この書に認めた法門の一端は、左衛門殿(四条金吾殿)に書いて送ってあるので、借用して拝見されたい。