兵衛志殿御返事 弘安元年五月 五七歳

 

 

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 御ふみにかゝれて候上、大にのあざりのかたり候は、ぜに十余れん並びにやうやうの物ども候ひしかども、たうじはのうどきにて□□□□人もひきたらぬよし□□□も及び候はざりけ□□□□兵衛志殿の御との□□□□御夫馬にても□□□□て候よし申候。
 夫百済国より日本国に仏法のわたり候ひしは、大船にのせて此をわたす。今のよど河よりあをみの水海につけて候ものは、車にて洛陽へははこび候。それがごとく、たといかまくらにいかなる物を人にたびて候とも、夫と馬となくばいかでか□□が命はたすかり候べき。□□□童子は土の餅を仏に□□□□□阿育大王と□□□□□□□□□くやうしまいらせ候ひしゆへに、阿育大王の第一の大臣羅提吉となりて一閻浮提の御うしろめ、所謂ををい殿の御時の権大天殿のごとし。
 此は彼等にはにるべくもなき大功徳。此の歩馬はこんでいこまとなり、此の御との人はしゃのくとねりとなりて、仏になり給ふべしとをぼしめすべし。抑すぎし事なれども、あまりにたうとくうれしき事なれば申す。
昔、波羅奈国に摩訶羅王と申す大王をはしき。彼の大王に二の太子あり。所謂善友太子・悪友太子なり。善友太子の如意宝珠を持ちてをはせしかば、此をとらむがために、をとの悪友太子は兄の善友太子の眼をひき給ひき。昔の大王は今の浄飯王、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の提婆達多此なり。兄弟なれども、たからをあらそいて。世々生々にかたきとなりて、一人は仏となり、一人は無間地獄にあり。此は過去の事、他国の事なり。我が朝には一院・さぬきの院の兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世めにあたりて、此の代のあやをきも兄弟のあらそいよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎判官等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。
 とのばら二人は上下こそありとも、とのだにもよくふかく、心まがり、道理をだにもしらせ給はずば、ゑもんの大夫志殿はいかなる事ありとも、をやのかんだうゆるべからず。ゑもんのたいうは法華経を信じて仏になるとも、をやは法華経の行者なる子をかんだうして地獄に堕つべし。とのはあにとをやをそんずる人になりて、提婆達多がやうにをはすべかりしが、末代なれども、かしこき上、欲なき身と生まれて三人ともに仏になり給ひ、ちゝかた、はゝかたのるいをもすくい給ふ人となり候ぬ。又とのゝ御子息等もすへの代はさかうべしとをぼしめせ。此の事は一代聖教をも引きて百千まいにかくとも、つくべしとはをもわねども、やせやまいと申し、身もくるしく候へば、事々申さず。あわれあわれ、いつかげざんに入て申し候はん。又むかいまいらせ候ひぬれば、あまりのうれしさに、かたられ候はず候へばあらあら申す。よろずは心にすいしはからせ給へ。女房の御事同じくよろこぶと申させ給へ。恐々謹言。