兵衛志殿御返事  弘安元年五月  五七歳

 

(1228㌻)
 御ふみにかゝれて候上、大()あざり(阿闍梨)のかたり候は、ぜに十余れん()並びにやうやうの物ども候ひしかども、たうじはのう()どき()にて□□□□人もひきたらぬよし□□□も及び候はざりけ□□□□兵衛志殿の御との□□□□御夫馬(ふま)にても□□□□て候よし申候。
 (それ)百済国より日本国に仏法のわたり候ひしは、大船にのせて此をわたす。今のよど()河よりあをみ(近江)の水海につけて候ものは、車にて洛陽へははこ()び候。それがごとく、たといかまくら(鎌倉)にいかなる物を人にたびて候とも、()と馬となくばいかでか□□(日蓮)が命はたすかり候べき。()□□(徳勝)童子は土の餅を仏に□□□□□阿育大王と□□□□□□□□□くやう(供養)しまいらせ候ひしゆへに、阿育大王の第一の大臣()提吉(だいきち)となりて一閻浮提の御うしろ()め、所謂ををい殿の御時の(ごんの)(たい)()殿のごとし。
 

 農繁期で忙しい時に、身延まで人を遣わし銭十余連等の御供養を届けていただきありがたく思います。


 百済国から日本に仏法が渡った時、大船に乗せて海を渡り、車で都まで運んだが、御供養の品も運ぶ人や馬がいなければ、運ばれてくることもなく、日蓮の命が助かることはない
 徳勝童子・無勝童子は、土の餠を仏様に御供養したことにより、阿育大王とその大臣羅堤吉として生を受けた。
 此は彼等にはにるべくもなき大功徳。此の歩馬はこんでいこま(金泥駒)となり、此の御との(殿)人はしゃのく(車匿)とねり(舎人)となりて、仏になり給ふべしとをぼ()しめす()べし。(そもそも)すぎし事なれども、あまりにたうと()くうれしき事なれば申す。    宗長の御供養は彼らとは比べものにならないほど功徳が大きい。御供養の品々を運んできた馬は釈尊出家の時に乗られた金泥駒となり、この馬を引いてきた人は釈尊の出家に従った御者である車匿舎人となって成仏することであろう。あまりに貴くうれしいことなので申し上げた。
 昔、波羅奈(はらな)(こく)摩訶羅(まから)(おう)と申す大王をはしき。彼の大王に(ふたり)の太子あり。所謂(ぜん)()太子・(あく)()太子なり。善友太子の如意宝珠を持ちてをはせしかば、此をとら()むがために、をと()の悪友太子は兄の善友太子の眼をひき給ひき。昔の大王は今の(じょう)(ぼん)(のう)、善友太子は今の釈迦仏、悪友太子は今の(だい)()(だっ)()此なり。兄弟なれども、たからをあらそいて。世々生々にかたきとなりて、一人は仏となり、一人は無間地獄にあり。此は過去の事、他国の事なり。     昔、波羅奈国に摩訶羅王という大王がいた。彼には二人の太子、すなわち、善友太子・悪友太子がいた。兄の善友太子は如意宝珠を持っていたが、これを奪うために、弟の悪友太子が兄の眼を抜き取ってしまう。
 この時の王は今の浄飯王、善友太子は釈尊、悪友太子は提婆達多である。兄弟であるにもかかわらず、宝を争って世々生々に敵となり、一人は仏となり一人は無間地獄に堕ちたのである。これは過去のことであり他国のことである。
 我が朝には一院・さぬきの院の兄弟なりしかども位をあらそいて、ついにかたきとなり給ひて、今に地獄にやをはすらむ。当世()あた()りて、此の代のあや()をきも兄弟のあらそ()いよりをこる。大将殿と申せし賢人も、九郎判官等の舎弟等をほろぼし給ひて、かへりて我が子ども皆所従等に失はれ給ふは眼前の事ぞかし。    我が国の日本においても、一院(後白可天皇)と讃岐の院(崇徳天皇)は兄弟でありながら天皇の位を争い、ついには敵となって今は地獄にいるであろう。さらに当世において大将殿(源頼朝)が弟の九郎判官(源義経)らを亡ぼしたため、かえって我が子が所従らに亡ぼされたことは眼前の出来事である。
 とのばら二人は上下こそありとも、との(殿)だにもよく()ふか()く、心まが()り、道理をだにもしらせ給はずば、(右衛)もん()大夫(たいふの)(さかん)殿(どの)はいかなる事ありとも、をや()かんだう(勘当)ゆる()べからず。(右衛)もん()たいう(大夫)は法華経を信じて仏になるとも、をや()は法華経の行者なる子をかんだう(勘当)して地獄に堕つべし。との(殿)あに()をや()そん()ずる人になりて、提婆達多がやう()にをはすべかりしが、末代なれども、かしこ()き上、欲なき身と生まれて三人ともに仏になり給ひ、ちゝ()かた()はゝかた(母方)るい()をもすく()い給ふ人となり候ぬ。又との(殿)ゝ御子息等もすへ()の代はさか()うべしとをぼしめせ。此の事は一代聖教をも引きて百千まい()()くとも、()くべしとはをもわねども、やせ()やまい()と申し、身もくる()しく候へば、事々申さず。あわれあわれ、いつかげざん(見参)に入て申し候はん。又むかいまいらせ候ひぬれば、あまりのうれ()しさに、()られ候はず候へばあらあら申す。よろずは心にすい()はか()らせ給へ。女房の御事同じくよろこぶと申させ給へ。恐々謹言。    宗仲・宗長の二人は兄弟として上下はあるが、弟であるあなた(宗長)が欲深く心が曲がり、道理を弁えていなかったならば、どのようなことがあっても、兄の勘当は解かれなかったであろう。
 そうであれば、兄の宗仲は法華経を信じて成仏しても、親は法華経の行者である子を勘当したことにより地獄に堕ち、弟のあなたは兄と親を損する人となり、提婆達多のようになるところであった。
 末代ではあるがあなたが賢く欲がなかったので、三人とも成仏し、父方・母方の親族も救う人となった。子息らも末代まで栄えるであろう。
 このことは一代聖教を引用して百千枚書いても書き尽くせないが、今は病のため詳しくは述べない。いつかお目にかかって申し上げたいが、嬉しさのあまり語ることもできないので、たいたい申し上げた次第である。万事は推量されたい。女房殿のことについても、同じく喜んでいると伝えてもらいたい。