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(★1225㌻) 其の後なに事もうちたへ申し承らず候。さては建治の比、故道善房聖人のために二札かきつかはし奉り候を、山高き森にてよませ給ひて候よし悦び入って候。たとへば根ふかきときんば枝葉かれず、源に水あれば流れかはかず。火はたきゞかくればたへぬ。草木は大地なくして生長する事あるべからず。日蓮法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房日蓮房とうたはるゝ此の御恩、さながら故師匠道善房の故にあらずや。日蓮は草木の如く、師匠は大地の如し。 彼の地涌の菩薩の上首四人にてまします。一名上行乃至四名安立行菩薩云云。末法には上行出世し給はゞ、安立行菩薩も出現せさせ給ふべきか。さればいねは華果成就すれども、必ず米の精大地にをさまる。故にひつぢおひいでて二度華果成就するなり。日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべし。あらたうとたうと。よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり。師弟相違せばなに事も成すべからず。委しくは又々申すべく候。常にかたりあわせて、出離生死して同心に霊山浄土にてうなづきかたり給へ。経に云はく「衆に三毒あることを示し、又邪見の相を現ず。 (★1226㌻) 我が弟子是くの如く方便して衆生を度す」云云。前々申せし如く御心得あるべく候。穴賢穴賢。 弘安元年卯月 日 日 蓮 花押 浄顕房 義浄房 |
その後は一向にご様子も伺がわないが、お変わりありませんか。 去る建治のころ、故道善房聖人のために報恩抄二巻を書いて送って差し上げたのを、嵩が森で読まれたことを、悦んでいる。 たとえば根が深ければ枝葉は枯れず、源に水があれば流れは涸れることはない。火は薪がなくなれば消える。草木は大地がなければ生長することができない。日蓮が法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房と呼ばれるようになったことは、此の御恩さながら故師匠道善房のおかげである。たとえば日蓮は草木のようであり、師匠の道善房は大地のようなものである。 法華経従地涌出品で出現された地涌の菩薩に四人の上首がいる。経には「第一を上行菩薩と名づけ(乃至)第四を安立行菩薩と名づく」と説かれている。末法の世に上行菩薩が出られるならば安立行菩薩も出現されるはずであろう。 稲は花を咲かせて果を実らせても、米の精は必ず大地に還る。故に一度刈り取った後に芽が出てふたたび花や果を結ぶのである。日蓮が南無妙法蓮華経を弘める功徳は必ず道善房の身に帰るであろう。まことに貴いことである。 よい弟子をもてば師弟はともに成仏をし、悪い弟子を養えば師弟ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできない。委しくはそのうちに申し上げる。 つねに語り合って生死を離れ、同心に霊山浄土に行ってうなずき合って話されるがよい。法華経の五百弟子受記品第八には「衆生に貧・瞋・癡の三毒があることを見せ、また邪見の相を現ずる。我が弟子はこのように方便をもって衆生を救済する」と説かれている。前々に申し上げたとおり、よく心得ていきなさい。穴賢穴賢。 弘安元年戊寅卯 月 日日蓮花押 浄顕房 義浄房 |
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