檀越某御返事 弘安元年四月一一日 五七歳

別名『四条金吾殿御返事』

第一章 値難への不退の決意を述ぶ

(★1219㌻)
 御文(おんふみ)うけ給はり候ひ(おわ)んぬ。
 日蓮流罪して先々(さきざき)にわざわいども重なりて候に、又なにと申す事か候べきとはをも()へども、
(★1220㌻)
人のそん()ぜんとし候には不可思議の事の候へば、さが(前兆)候はんずらむ。もしその義候わば用ひて候はんには百千万億倍のさいわ()いなり。今度ぞ三度になり候。法華経もよも日蓮をばゆるき行者とわをぼせじ。釈迦・多宝・十方の諸仏、地涌千界の御利生、今度みは(見果)て候はん。あわれあわれさる事の候へかし。雪山(せっせん)童子の跡ををひ、不軽(ふきょう)菩薩の身になり候はん。いたずらにやく()びゃう()にやをか()され候はんずらむ。()()にゝや死に候はんずらむ。あらあさましあさまし。願くは法華経のゆへに国主にあだまれて、今度生死をはなれ候はゞや。天照太神・正八幡・日月・帝釈・梵天等の仏前の御ちかひ、今度心み候ばや。
 
 お便りの件、承りました。
 日蓮を流罪してその報いで先々これまで種々の災難が重なっているのに、また何かと言われているようなことがあるとは思えないが、しかし、人の運が尽きて滅びるような時には、考えられないようなことをするもので、そのようなことがないとはかぎるまい。しかし、もしそれがあれば、日蓮の主張を用いてもらうよりも百千万億倍も幸いである。

 今度で三度の流罪になる。法華経もよもや日蓮を怠慢な行者とは思わないであろう。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の諸菩薩の御加護があるはずであるからそれを今度こそ見極めたいものである。ぜひとも、言われているようなことが起こることを願っている。そして雪山童子の跡を継ぎ不軽菩薩のような身になりたいものである。このまま生き長らえてもいたづらに疫病にかかって倒れるか、または年老いて死んでしまうからである。嘆かわしいことである、嘆かわしいことである。願わくば法華経のために国主に憎まれて、今度・生死を離れたいものである。天照太神・正八幡大菩薩・日月天・帝釈・梵天大王の等の仏前の誓約を今度こそ試しみたいものである。

 

第二章 宮仕えは法華経なるを教示

 事々さてをき候ぬ。各々の御身の事は此より申しはからうべし。さでをはするこそ法華経を十二時に行ぜさせ給ふにては候らめ。あなかしこあなかしこ。
 御みや()づかい()を法華経とをぼしめせ。「一切世間の治生産業は皆実相と相()(はい)せず」は此なり。かへすがへす御文の心こそをもいやられ候へ。恐々謹言。
 四月十一日        日 蓮 花押
   以上述べたことはさておいて、各々の御身のことはこれより諸天に守護をお願い申し上げる。だからそのまま出仕されておられることこそ、法華経を十二時に修行されていることになるのである。あなかしこ、あなかしこ。
 宮仕えを法華経の修行とおもいなさい。経に「一切世間の治生の産業は皆、実相と相違背しない」と説かれているのはこのことである。くれぐれもお便りのご配慮のこと、承知しております。恐恐謹言。
 四月十一日        日蓮花押