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(★1206㌻) |
いものかしら・串柿・焼米・栗・たけのこ・酢筒を頂戴した。 月氏国に阿育大王という王がおられた。一閻浮提の四分の一を掌中におさめ、竜王を従えて雨を意のままに降らせたり、鬼神を召し使われていた。 初めは悪王であったが、後に仏法に帰依し六万人の僧を日々供養し、八万四千の石塔を立てられた。この大王の過去をたずねれば、仏の在世に徳勝童子と無勝童子という二人の幼子がいたが、(この二人の童子が)土の餅を仏に供養して、その功徳によって百年の後、阿育大王として生まれたのである。 |
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| 仏はいみじしといゑども、法華経に |
仏は尊いというものの、法華経に比べれば螢火と日月ほどの勝劣がある。天と地ほどの高下がある。仏を供養してさえこのような功徳があるのだから、ましてや法華経を供養するにおいておやである。土の餅を供養してさえこのような功徳があった。ましてや(あなたは)種々の果物を供養された。徳勝童子と無勝童子が土の餅を供養した時、国は飢えていなかった。いまは国中が飢えている。このことによって思うと、釈迦仏・多宝仏・十羅刹女がどうして(あなたを)守護しないことがあろうか。 |
| (★1207㌻) |
さて今の時、法華経を信ずる人がいる。あるいは火のように信ずる人もあり、あるいは水の流れるように信ずる人もいる。(火のように信ずる人というのは)、法門を聴聞する時は燃え立つように思うけれども、時がたつにつれてそれを捨ててしまう。水のように信ずる人というのは、常に退する心をもたずに信ずる人をいう。 | |
| なり。此はいかなる時も |
あなたはいかなる時も常に退することなく訪ねられるのであるから、水の流れるように信じておられるのであろう。貴いことである。貴いことである。 |
| 二月二十五日 日蓮 花押 御返事 |
あなたの家の内に病人がいるというのはまことであろうか。もし、それがほんとうであっても、よもや鬼神の所為ではないでしょう。十羅刹女が信心のほどをためされているのであろう。まことの鬼神であるならば法華経の行者を悩まして、自らの頭を破ろうとする鬼神がいるだろうか。また、釈迦仏・法華経に虚妄はあるはずがないと、深く信じていきなさい。恐恐謹言。 二月二十五日 日蓮 花押 御返事 |