四条金吾殿御書 建治四年一月二五日  五七歳

別名『九思一言事』『四条金吾御書』

第一章 信仰の実証を賞讃される

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 鷹取(たかとり)たけ()・身延のたけ・なゝ()いた()がれのたけ・いゝだにと申し、木のもと、かや()のね、いわの上、土の上、いかにたづね候へども()ひて候ところなし。されば海にあらざればわかめ(海藻)なし、山にあらざればくさびら()なし。法華経にあらざれば仏になる道なかりけるか。これはさてをき候ひぬ。なによりも(うけたまわ)りてすゞ()()く候事は、いくばくの御にく()まれの人の御出仕に、人かずに()()せられさせ給ひて、一日二日ならず、御ひまもなきよし、うれしさ申すばかりなし。えもん(右衛門)たい()()をや()に立ちあひて、上の御一言にてかへりて()りたると、殿の()ねん()が間のにくまれ、去年(こぞ)ふゆ()はかうと()ゝしに、かへりて日々の御出仕の御とも()、いかなる事ぞ。ひとへに天の御(はか)らひ、法華経の御力にあらずや。其の上円教房の来たりて候ひしが申し候は、えま(江間)の四郎殿の御出仕に、御とものさぶら()ひ二十四五、其の中にしう()はさてをきたてまつりぬ。ぬし()せい(身長)といひ、かを()たましひ()むま()・下人までも、中務のさえ(左衛)もん()じゃう()第一なり。()はれ()をとこ()やをとこやと、かま()くら()わらはべはつじ()()にて申しあひて候ひしとかたり候。

第二章 細心の注意を促される

 これにつけてもあまりにあやしく候。孔子は九思一言、(しゅう)公旦(こうたん)(よく)する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給ふ。(いにしえ)賢人(けんじん)なり、今の人のかゞみなり。されば今度はことに身をつゝしませ給ふべし。よる()はいかなる事ありとも、一人そと()へ出でさせ給ふべからず。たとひ(かみ)の御めし有りとも、まづ下人をごそ(御所)へつかわして、なひ()なひ()一定(いちじょう)をきゝさだめて、はら()まき()をきて、はち()まき()し、先後左右に人をたてゝ出仕し、御所のかたわらに心よせのやかたか、又我がやかたかに、ぬぎをきてまいらせ給ふべし。家へかへらんには、さき()に人を入れて、
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()のわき・はし()のした・むまやのしり・たかどの一切くらきところをみせて入るべし。せう()まう()には、我が家よりも人の家よりもあれ、たから()ををしみて、あわてゝ火をけすところへ、つっとよるべからず。まして走り出づる事なかれ。出仕より主の御ともして御かへりの時は、みかどより馬よりをりて、いとまのさしあうよし、はうぐわんに申していそぎかへるべし。上のをゝせなりとも、よに入りて御ともして御所にひさしかるべからず。かへらむには、第一心にふかきえう()じん()あるべし。こゝをばかならずかたきのうかゞうところなり。人のさけ()たば()んと申すとも、あやしみて、あるひは言をいだし、あるひは用ひることなかれ。

第三章 兄弟等への心遣いを説く

また御をと()()どもには常は()びん(便)のよしあるべし。つねに()ぜに()ざう()()のあたいなんど心あるべし。もしやの事のあらむには、かたきはゆるさじ。我がためにいのち()をうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とが()ありとも、せうせうの(とが)をばしらぬやうにてあるべし。又女るひはいかなる失ありとも、一向に御けう()くん()までもあるべからず。ましていさか()うことなかれ。涅槃経に云はく「罪極めて重しと雖も女人に及ぼさず」等云云、文の心はいかなる失ありとも女のとがををこなはざれ。此賢人なり、此仏弟子なりと申す文なり。此の文は()(じゃ)()王の父を殺すのみならず、母をあやまたむとせし時、耆婆(ぎば)月光(がっこう)の両臣がいさめたる経文なり。我が母心ぐるしくをもひて、臨終までも心にかけしいも()うと()どもなれば、失をめん()じて()便(びん)というならば、母の心やすみて孝養となるべしとふか()くをぼすべし。他人をも不便というぞかし。いわうや、をと()をと()どもをや。もしやの事の有るには一所にていかにもなるべし。此等こそとゞまりゐてなげ()かんずれば、をも()ひで()にとふかくをぼすべし。かやう申すは他事はさてをきぬ。双六(すごろく)は二つある石はかけられず、鳥は一つの羽にてとぶことなし。将門さだ()たふ()がやうなりしいふ()しやう()も一人にては叶はず。されば舎弟等を子とも郎等(ろうとう)とも()たの()みてをは()せば、もしや法華経もひろまらせ給ひて世にもあらせ給わば、一方のかたうど(方人)たるべし。

第四章 災禍の本因を説く

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 すでにきゃう()だい()()・院のごそ(御所)・かまくらの御所並びに御うしろ()()の御所、一年が内に二度正月と十二月とにやけ(焼失)候ひぬ。これ只事にはあらず。謗法の真言師等を御師とたのませ給ふ上、かれら法華経をあだみ候ゆへに、天のせめ、法華経・(じゅう)()(せつ)の御いさめあるなり。かへりて大さん()()あるならばたす()かるへんもあらんずらん。いたう天の此の国ををしませ給ふゆへに、大いなる御いさめあるか。すでに他国が此の国をうちまきて国主国民を失はん上、仏神の寺社百千万がほろびんずるを天眼をもって見下(みお)ろしてなげかせ給ふなり。又法華経の御名をいう()いう()たるものどもの唱ふるを、誹謗正法の者どもがをどし候を、天のにくませ給ふ故なり。あなかしこあなかしこ。今年かし()こくして物を御らんぜよ。山海(くう)()まぬかるゝところあらばゆきて今年はすぎぬべし。阿私陀(あしだ)仙人が仏の生まれ給ひしを見て、いのちををしみしがごとし、をしみしがごとし。恐々謹言。

  正月二十五日    日蓮 花押
 中務左衛門尉殿