庵室修復書  建治三年冬  五六歳

 

(★1189㌻)
 去ぬる文永十一年六月十七日に、この山のなかに、()をうちきりて、かりそめにあじち(庵室)をつくりて候ひしが、やうやく四年がほど、はしら()()ち、かき()かべ()をち候へども、なを()す事なくて、よる()()をとぼさねども、月のひかり()にて聖教をよみまいらせ、われ()と御経をまき()まいらせ候はねども、風をのづ()から()かへ()しまいらせ候ひしが、今年は十二のはしら()四方にかうべ()()げ、四方のかべは一()たう()れぬ。
 
 去る文永十一年六月十七日に、この身延の山の中に、木を伐って、かりそめの庵室(あじち)を造った。四年ほどが経つ間に次第に、柱は朽ち、(かき)(垣)や壁は倒れ落ちたが、修復もしないから、夜は火を灯けなくても、月の光で聖教が読め、自分で御経を巻かなくとも、風が自然と吹き返してくれた。ところが、今年は十二の柱が四方に傾き、四方の壁は一度に倒れてしまった。
 ()だい()たも()ちがたければ、月はすめ、雨はとゞ()まれとはげみ候ひつるほどに、人()なくして、がくしゃう(学生)ども()をせめ、食なくしてゆき()をもちて命をたすけて候ところに、さき()うへのどの(上野殿)よりいも()二駄、これ一だはたま()にもすぎ、    こうなっては、凡夫の身は保ち難いので、月はすめ、雨は止まれと祈りながら、人夫がいないから弟子達を督励し、励んでいたが、食物がなくなって雪をもって命を支えてきたところに前には上野殿から芋を二駄、今また一駄をお送りいただき、珠よりもありがたく思っている。