大白牛車書  建治三年一二月一七日  五六歳

 

第一章 法華最勝を述べ他宗の謗法を示す

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 (それ)法華経第二の巻に云はく「此の宝乗に乗じて(ただ)ちに道場に至る」云云。日蓮は建長五年三月二十八日、初めて此の大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕はせり。(しか)るに諸宗の人師等雲霞(うんか)の如くよせ来たり候。中にも真言・浄土・禅宗等、蜂の如く起こりせめたゝかふ。日蓮大白牛車の牛の(つの)最第一なりと申してたゝかふ。両の角は本迹二門の如く、二乗作仏・久遠実成是なり。すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となをし、一念三千・久遠
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実成・即身成仏は法華に限れり、是をも真言の経にありとなをせり。かゝる謗法の(やから)を責めんとするに、返って(いよいよ)(あだ)をなし候。譬へば(つの)をなをさんとて、牛をころしたるが如くなりぬべく候ひしかども、いかでさは候べき。。

第二章 大白牛車の意義を明かす

 (そもそも)此の車と申すは本迹二門の輪を妙法蓮華経の牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるりぐるりとまは()り候ところの車なり。ただ信心のくさび()に志のあぶら()をさゝせ給ひて、霊山(りょうぜん)浄土へまいり給ふべし。又心王は牛の如し、生死は両の輪の如し。伝教大師云はく「生死の二法は一心の妙用、有無の二道は本覚の真徳」云云。天台云はく「十如は只是乃至(ないし)今境は是体」云云。此の文釈能く能く案じ給ふべし。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。
  十二月十七日    日蓮 花押