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(★1188㌻) |
法華経第二の巻に「此の宝乗に乗り直ちに道場に至る」と説かれている。日蓮は建長五年四月二十八日に初めてこの ところが諸宗の人師等が、雲霞のように押し寄せてきた。 なかでも如く真言宗・浄土宗・禅宗等は蜂が群がり起るように攻めてきて戦う。日蓮は大白牛車の牛の角が最第一であるといって戦う。両の角とは法華経の本門と迹門であって、二乗作仏と久遠実成のことである。(ところが)すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となおし、 |
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(★1189㌻) 一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり、是をも真言の経にありとなをせり。かゝる謗法の |
一念三千・久遠実成・即身成仏の法門は法華に限るのに、これを真言の経にあるとなおしている。このような謗法の人達の誤りを正そうとしたのに、かえって強く日蓮に怨をなしている。このことはちょうど牛の角を |
| 十二月十七日 日蓮 花押 |
そもそもこの車というのは、本門と迹門の二門の輪を妙法蓮華経という牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるりぐるりと回るところの車である。だから、信心というくさびをさし、志という油をさされて、霊山浄土へまいられるがよい。また心王は牛であり、生死は両の輪のようなものである。伝教大師は「生死の二法は一心の妙用であり、有無の二道は本覚の真徳である」といい、天台大師は「十如は只是れ(乃至)今境は是れ体である」といっている。この文釈をよくよく思案されるがよい。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。 十二月十七日 日蓮 花押 |