大白法・令和5年3月1日刊(第1096号より転載)御書解説(261)―背景と大意

太田殿女房御返事(1181頁)

別名『八寒地獄事』

 一、御述作の由来

 本抄は、建治三(1277)年十一月十八日、大聖人様が御年五十六歳の時、身延において(したた)められ、太田(大田)乗明の夫人に与えられた御消息です。御真蹟は現存しません。
 同年冬に御述作の『庵室(あじち)修復書(しゅうふくしょ)』(御書1189頁)によれば、文水十一(1274)年六月十七日、身延入山(にゅうざん)に際して建てられた庵室は、急造であったため風雪に耐えられず、四方の柱は朽ちて倒れ、壁も崩れ落ちるなど(はなは)だしく破損して修復が急務の状態でした。太田段の夫人は、庵室の修復もままならない身延の冬の寒さを(おもんばか)り、綿(わた)の入った小袖(こそで)を大聖人様に御供養されたのです。
 本抄はそれに対する御返事で、小袖の御供養の功徳により、後生には商那和修(しょうなわしゅ)鮮白比丘尼(せんびゃくびくに)のように衣服に恵まれ、極寒に責められる地獄の苦しみから(まぬか)れることを教示されています。
 なお、本抄に八寒地獄(はっかんじごく)のおおよその様相が示されていることから、別名を『八寒地獄事』といいます。

 

 二、本抄の大意

 初めに、青柳(あおやぎ)色(濃い黄緑色)の裏地で、中綿の量が十両(約370グラム)にも及ぶ綿入れの小袖を太田殿夫人が御供養されたことに、感謝の意を表されます。
 次いで、この大地の下に二つの地獄があることを示されます。一つは熱地獄で、それはまるで、炭でおこした火や野に放った火がすべてを焼き尽くす火炎、()かした鉄(溶鉄(ようてつ))のような熱さに責められる地獄であり、その地獄で罪人が焼かれる(さま)は、あたかも大火の中に紙や木屑(きくず)を投げ入れるようなものであると述べられます。
 この熱地獄には、建物に火をつけて盗みを働く者や敵を火攻めにした者、嫉妬(しっと)により胸を焦がす者が()ちると、その業因(ごういん)を明かされます。
 二つ目は寒地獄で、この寒地獄には八種類あるとして『涅槃(ねはん)経』の文を引いて示されます。すなわち、八種の寒氷(かんぴょう)地獄とは、阿波波(あはは)地獄・阿吒吒(あたた)地獄・阿羅羅(あらら)地獄・阿婆婆(あばば)地獄・優鉢羅(うはら)地獄・波頭摩(はずま)地獄・拘物頭(くもず)地獄・芬陀利(ふんだり)地獄を言い、この八寒地獄は寒さに責められてあげる声や、あるいは寒さによる身体の色や形状などから名付けられたものであると述べられます。
 そして、その寒さは湖面が氷結して()ける諏訪湖や越中(えっちゅう)立山(たてやま)の北風、加賀(かが)白山(はくさん)の山頂の島の羽を(こお)らせる寒風、また夫と死別した老女の独り凍える寒さ、雉子(きじ)が雪に責められて鳴く様子[*1]をもって知ることができると示され、その寒さに責められて下顎(したあご)がわなわなと震えて声を発する様子を、そのまま阿波波、阿吒吒、阿羅羅などと言い、さらに寒さに責められて裂けた皮膚の形が(くれない)の蓮華に似ていることから 大紅蓮などと言うことを込べられます。
 続いて、どのような人がそれらの地獄に()ちるのかと言えば、この世において人の衣服を盗み取り、父母や師匠などが寒そうにしているのを見ながら、自分は厚い着物を着て、温かくして昼夜を過ごす人が堕ちる地獄であることを明かされます。
 次いで、六道の中て天上界というのは、生まれる時から衣服が(そな)わって生まれる境界であることを説かれ、人間界の中でも商那和修や鮮白比丘尼等は、母の胎内にいる時から衣服が身に具わって生まれてきたことを示されます。
 そして、これらの人は貴い方々に衣服を与えただけでなく、父母や主君、仏法僧の三宝に清らかで厚く暖かい衣服を差し上げた人たちであると説示されます。中でも商那和修は、裸であった辟支仏(びゃくしぶつ)に衣を差し上げたことから、世々生々(せぜしょうじょう)にわたり衣服を(まと)って生まれる果報を得、憍曇弥(きょうどんみ)という女性は釈尊に欽婆羅衣(きんばらえ)(毛織の衣)を供養申し上げて一切衆生喜見如来(いっさいしゅじょうきけんにょらい)となったことを()げられます。そして今、法華経 (御本尊=日蓮大聖人)に衣服を御供養申し上げる女性は、後生に八寒地獄の苦を免れるだけでなく、今生には大難を払い()け、その功徳の余りは男女の子供たちにまで及び、皆衣服に不自由なく、心身共に健康に過ごされるであろうと、太田殿夫人の真心の御供養を讃歎して、本抄を結ばれています。

 

 三、拝読のポイント

 妙法受持の功徳により罪障を消滅

 本抄に存在を挙げられている二つの地獄のうち、ハ熱地獄については略述されるのみで詳しい説明がなされていません。この八熱地獄について『倶舎論(くしゃろん)』等には、等活(とうかつ)地獄・黒縄(こくじょう)地獄・衆合(しゅごう)地獄・叫喚(きょうかん)地獄・大叫喚地獄・焦熱(しょうねつ)地獄・大焦熱地獄・無間(阿鼻(あび))地獄と説かれています。
 熱火の苦痛を受けるこの八熱地獄には、本抄にもあるように、放火泥棒や火を使って敵を殺した者、嫉妬(しっと)に狂う者など、過去に火をもって相手を苦しめた者が堕ちると説かれます、
 八寒地獄は、反対に寒さをもって相手を苦しめた者が堕ちる地獄とされています。
 しかし、大聖人様が『本尊供養御書』に、
 「法華経を(たも)ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず」(御書1054頁)
と仰せのように、たとえ過去にいかなる地獄の業因を積んだとしても、今世で妙法を受持し、至心に仏道修行に励むことによって、それらすべての罪障を消滅し、成仏の境界を得ることができるのです。
 ですから 私たちは過去の罪障を消滅するため、本門の本尊を信じて、いよいよ自行化他の信行に精進することが肝要です。

 末法の法華経の行者への御供養こそ大事

 本抄において大聖人様は、商那和修や鮮白比丘尼等の事例を挙げて、御供養の功徳の大なることを仰せです。
 商那和修は、付法蔵(ふほうぞう)(釈尊滅後、法の付嘱(ふぞく)を愛けて法燈(ほうとう)を継承した人々)の第三に当たり、中インドの王舎城(おうしゃじょう)の長者で、阿難(あなん)から教えを受け法を付嘱された人師です。この人が商那衣(麻の衣)を着て生まれてきた因縁は、『妙法比丘尼御返事』(御書1256頁)に詳しく述べられています。
 すなわち、商那和修は過去世において商人であったとき、重病辟支仏を看病し商那衣を供養して助けた功徳により、生まれる度ごとに商那衣を(まと)って生まれ、しかもその(ころも)は身体の成長に伴って大きくなり、一生肌身から離れず、出家したときには袈裟(けさ)となったといっことです。
 鮮白比丘尼は、釈尊の弟子で白浄(びゃくじょう)比丘尼とも称されます。迦毘羅衛国(かびらえこく)の長者・瞿沙(くしゃ)の娘で、生まれた時に白浄の衣を着けていたことからその名があります。この女児が成長するにつれ衣も大きくなり、出家するとその衣が袈裟になったと言われています。
 憍曇弥は、釈尊の生母である摩耶夫人(まやぶじん)の妹・摩訶波闍波提比丘尼(まかはじゃはだいびくに)のことです。摩耶夫人が釈尊を出産して七日後に亡くなったため、浄飯王(じょうぼんのう)(きさき)となり釈尊を養い育てた方です。浄飯王の死後、出家を(こころざ)し、釈尊に願い出て女性として最初の弟子となりました、この摩訶波闍波提比丘尼は、釈尊に欽婆羅衣を供養し、その功徳で法華経『勧持品』において一切衆生喜見如来の記別を受けています。
 大聖人様は、これらの故事を通して、衣を御供養した太田殿の夫人を称賛され、その功徳が子々孫々に及ぶことを仰せられているのです。
 『国府(こう)尼御前御書』に、
 「釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととか()れて候」(同739頁)
と、末法の法華経の行者である大聖人様に御供養する功徳は、釈尊に身ロ意の三業をもって、一中劫という極めて長い年月にわたり常に供養する功徳よりも、はるかに(すぐ)れていることを御教示です。
 つまり、末法の今日においては、御本仏日蓮大聖人はもちろん仏法僧僧の三宝に対し奉り、財施(ざいせ)法施(ほうせ)にわたって真心から御供養申し上げていくことが肝要です。

 

 四、結  び

 本年はいよいよ宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年慶祝記念総登山が実施されます。
 御法主日如上人猊下は、
 「各講中共に、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心の団結をもって果取に折伏を行じ、一天広布へ向けて大きく躍進し、御奉公の誠を尽くしていかなければならない極めて大事な年であります」(大白法1092号)
と御指南されています。
 未だコロナ()は収束しませんが、私たちは、太田殿の夫人が小袖を御供養されるなど常に大聖人様の御身を気遣(きづか)われ、仏法守護のために尽力されたことを忘れず、御本仏日蓮大聖人様への御報恩のため登山参詣申し上げ、その功徳をもって折伏弘通に邁進(まいしん)いたしましよう。

 *1 寒さ厳しい一月十五~十九日頃を七十ニ候では「雉始雊(きじはじめてなく)」という。この時期に雉子の雄が甲高(かんだか)い声で鳴くため。