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(★1167㌻) 妙法蓮華経の第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗し、経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤憎嫉して結恨を懐かん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。乃至是くの如く展転して無数劫に至らん」と。第七に云はく「千劫阿鼻地獄に於てす」と。第三に云はく「三千塵点」と。第六に云はく「五百塵点劫」等云云。涅槃経に云はく「悪象の為に殺されては三悪に至らず、悪友の為に殺されては必ず三趣に至る」等云云。 |
妙法蓮華経の第二の巻に「もし人が信じないで法華経をそしり、この経を読誦し書持するものを見て、軽んじ賎(いや)しめ憎み嫉(ねた)んで恨みを懐くならば、その人は死んで阿鼻地獄に入るであろう。(中略)そのように阿鼻地獄に生まれることを繰り返して無数劫にいたるであろう」とある。また、第七の巻に「千劫の間、阿鼻地獄において大苦悩を受けた」とあり、第三の巻には「三千塵点劫の間、成仏できずにいた」とあり、第六の巻には「五百塵点劫の間、六道に堕してきた」等とある。涅槃経には「悪象のために殺されたときには三悪道に堕ちない、悪友のために殺されたときには必ず三悪道に堕ちる」等とある。 |
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| 堅慧菩薩の宝性論に云はく「愚にして正法を信ぜず、邪見及び・慢なるは過去の謗法の障りなり。不了義に執着し、供養恭敬に著し、唯邪法を見て善知識に遠離し、謗法の者に親近し、小乗の法に楽著す。是くの如き等の衆生大乗を信ぜず、故に諸仏の法を謗ず。知者は応に怨家・蛇火毒・因陀羅・霹靂・刀杖・諸の悪獣・虎・狼・師子等を畏るべからず。彼は但能く命を断じて人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむること能はず。応に畏るべきは深法を謗ずると及び謗法の知識なり。決定して人をして畏るべき阿鼻獄に入らしむ。悪知識に近づきて悪心にして仏の血を出だし、及び父母を殺害し、諸の聖人の命を断じ、和合僧を破壊し、及び諸の善根を断ずと雖も、念を正法に繋くるを以て能く彼の処を解脱せん。 |
賢慧菩薩の法性論には「愚かで正法を信ぜず邪見および憍慢なのは過去の謗法の罪障である。不了義に執着して供養恭敬されることに著し、ただ邪法に眼を向けて善知識から遠ざかり離れて、謗法の者で小乗の法に執着するような衆生に親しみ近づいて大乗を信じない。ゆえに諸仏の法を誹謗するのである。智者は、怨をなす敵人や、蛇・火の毒・雷神・雷・刀や杖・諸の悪獣・虎・狼・師子等を畏れるべきではない。それらはただ命を断つのみで、人を畏るべき阿鼻地獄に入れることはできない。本当に畏るべきは、深遠な妙法を謗ることと謗法の友人である。かならず人を畏るべき阿鼻地獄に入れる。仏道修行を妨げる者に近づき、悪心をいだいて、仏の血を出だし、父母を殺害し、諸の聖人の命を断ち、和合僧の教団を破壊し、諸の善根を断つとしても、一念を正法につなげ置くことによって、よくあの阿鼻地獄を脱れ悟りを得るであろう。 |
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若し復余人有って甚深の法を誹謗せば、彼の人無量劫にも解脱を得べからず。 (★1168㌻) 若し人、衆生をして是くの如き法を覚信せしめば、彼は是我が父母、亦是善知識、彼の人は是智者なり。如来の滅後に邪見顛倒を廻らして正道に入らしむるを以ての故に、三宝清浄の信、菩提功徳の業なり」等云云。竜樹菩薩の菩提資糧論に云はく「五無間の業を説きたまふ。乃至若し未解の深法に於て執著を起こせば○彼の前の五無間等の罪を聚めて之に比するに百分にしても及ばず」云云。 |
またもし、他の人がいて甚深の正法を誹謗するならば、その人は量り知れないほどの長遠時を経ても苦を脱れ悟りを得ることができない。もし人が衆生にそのような正法を覚知させ信じさせたならば、彼は父母であり、また善知識である。その人は智者であり、如来の滅後に邪見・顛倒を正して正道に入れるがゆえに、三宝に対する清浄の信をもち、悟りを得させる功徳の所作をなす者である」等とある。竜樹菩薩の菩提資糧論には「五逆罪による無間地獄の業を説かれている。(中略)もし未だ理解していない深遠の法に対して、執着を起こして仏説でないというのは……前の五逆による無間地獄等の罪を集めて、この罪に比べると百分の一にも及ばない」とある。 |
| 夫賢人は安きに居て危ふきを欲ひ、佞人は危ふきに居て安きを欲ふ。大火は小水を畏怖し、大樹は小鳥に値って枝を折らる。智人は恐怖すべし、大乗を謗ずる故に。天親菩薩は舌を切らんと云ひ、馬鳴菩薩は頭を刎ねんと願ひ、吉蔵大師は身を肉橋と為し、玄奘三蔵は此を霊地に占ひ、不空三藏は疑ひを天竺に決し、伝教大師は此を異域に求む。皆上に挙ぐる所は経論を守護する故か。 | さて賢人は安全な所に居ても危険にそなえ、よこしまで愚かな人は危険な状態であっても安穏を願う。大火は少しの水をも畏れ、大樹は小鳥にあっても枝を折られる。智人は大乗を誹謗することを恐れるのである。そこで天親菩薩は舌を切ろうといい、馬鳴菩薩は頭を刎ねようと願い、吉蔵大師は身を橋となし、玄奘三蔵は何が正法かをインドの霊地において占い、不空三蔵はその疑いをインドに行って解決し、伝教大師はこれを求めて中国に行った。みな以上にあげた事柄は経論の正義を守護するためであった。 |
| 今日本国の八宗並びに浄土・禅宗等の四衆、上は主上・上皇より、下は臣下・万民に至るまで、皆一人も無く弘法・慈覚・智証の三大師の末孫の檀越なり。円仁慈覚大師云はく「故に彼と異なり」と。円珍智証大師云はく「華厳・法華を大日経に望むれば戯論と為作す」と。空海弘法大師云はく「後に望むれば戯論と作す」等云云。此の三大師の意は法華経は已今当の諸経の中の第一なり。然りと雖も大日経に相対すれば戯論の法なり等云云。此の義、心有らん人信を取るべきや不や。 | いま日本国の俱舎・成実・律・法相・三論・華厳・天台・真言の八宗と浄土宗・禅宗等の在家・出家の男女は、上は天皇・上皇から下は臣下・万民にいたるまで一人も漏れなく弘法・慈覚・智証の三大師の末孫であり、檀家である。慈覚大師円仁は「法華経を含めて華厳宗の経は如来の秘密の教えを説き尽くしていないがゆえに真言教とことなるのである」といっている。智証大師円珍は「華厳経や法華経を大日経に対すれば、それは無益な経論となるのである」といっている。弘法大師空海は「法華や華厳等は後の真言に対すれば無益な経論である」等といっている。この三大師の意は、法華経は已説・今説・当説の諸経の中の第一であるけれども、大日経に相対すれば無益な経論である、ということである。この義を心ある人は信ずべきであろうか。 | |
| 今日本国の諸人、悪象・悪馬・悪牛・悪狗・毒蛇・悪刺・懸岸・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舍・悪妻・悪子・悪所従等よりも此等に超過し、恐怖すべきこと百千万億倍なるは持戒邪見の高僧等なり。 | いま日本国の諸人が悪象・悪馬・悪牛・悪犬・毒蛇・悪刺・懸岸・険崖・暴水・悪人・悪国・悪城・悪舎・悪妻・悪子・悪所従等よりも百千万億倍超えて恐るべきものは、戒を持つ邪見の高僧等である。 | |
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問うて云はく、上に挙ぐる所の三大師を謗法と疑ふか。叡山第二円澄寂光大師・別当光定大師・安慧大楽大師・慧亮和尚・安然和上・浄観僧都・檀那僧上・慧心先徳、此等の数百人、弘法の御弟子実慧・真済・真雅等の数百人、並びに八宗・十宗等の大師先徳、日と日と、月と月と、星と星と並び出でたるが如く既に四百余年を経歴す。此等の人々、一人として此の義を疑はず。汝何なる智を以て之を難ずるや云云。 (★1169㌻) |
質問していう。上に挙げた三大師の義を謗法と疑うのか。比叡山第二代座主の寂光大師円澄・別当の光定大師・大楽大師安慧・慧亮和尚・安然和上・浄観僧都・檀那僧正・慧心先徳等の数百人、弘法の弟子の実慧・真済・真雅等の数百人、ならびに八宗・十宗等の大師や先徳は、日と日と、月と月と・星と星とが並んで出でたような方々である。すでに四百余年を経過しているのに、これらの人々は一人としてこの義を疑っていない。あなたはどのような智慧をもって、これを疑難するのか、と。 | |
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此等の意を以て之を案ずるに、我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆること勿れ。恐々謹言。 八月廿三日 日 蓮 花押 富木殿 鵞目一結給び候ひ了んぬ。志有らん諸人は一処に聚集して御聴聞有るべきか。 |
これらの主旨からこれを考えるに、わが一門の者は夜は眠りを断ち、昼は暇なくこのことを思案しなさい。一生を空しく過ごして、万歳に悔いることがあってはならない。恐恐謹言。 八月二十三日 日蓮花押 富木殿 銭を一結受け取りました。志ある人々は一所に集まってお聞きなさい。 |