大白法・平成19年2月1日刊(第710号より転載)御書解説(141)―背景と大意

兵衛志殿御返事(御書1166頁)

 

 一、御述作の由来

 本抄は、建治三(一二七七)年八月二十一日、大聖人様が五十六歳の御時、身延において認められ、武蔵国池上(東京都大田区池上)の兵衛志宗長に与えられた御消息です。
 本抄を賜った宗長は、鎌倉幕府の作事奉行であった池上左衛門大夫康光の子で、右衛門大夫宗仲の弟です。
 父・康光は、律宗の極楽寺良観の熱烈な信者でした。大聖人様は常々、律宗は国賊であると破折し、似非聖者であり僣聖増上慢であると断言されていました。それゆえ、康光の大聖人様に対する思いは憎悪の念に満ちていたことでしょう。このような父のもとで、宗長と兄・宗仲は大聖人様に帰依したのですから、父の反対が激烈であったことは想像にかたくありません。
 兄・宗仲は、信心強盛な信徒でしたが、弟の宗長は情に流されて退転する心配もあったようです。大聖人様は、こうした兄弟に対し、父の反対が厳しくとも、兄弟・夫婦が異体同心し、一歩も退いてはならないと、たびたび叱咤激励されたのです。
 建治二(一二七六)年のはじめ、康光は良観の影響によって宗仲を勘当し、弟の宗長に家督を継がせようとしました。大聖人様は、情に流されやすい宗長の信仰を心配され、直ちに『兄弟抄』を認めて送られ、障魔に負けず兄弟心を一つにして難局を乗り切るよう激励されています。
 その後、宗仲の勘当も一時は許されましたが、建治三年十一月に至って再び勘当されます。本抄は、建治三年八月の御消息ですから、宗仲が再び勘当される少し前に賜った御消息であると拝せられます。
 宗仲に比べて信仰が脆弱であった宗長も、大聖人様の気迫あふれる慈愛に満ちた御指南をたびたび賜ることによって堅固な信仰へと変わっていき、そして、兄や妻たちとも力を合わせて、父・康光を折伏していきました。その結果、弘安元(一二七八)年には、宗仲の勘当は解け、康光も大聖人様に帰依することができたのです。

 

 二、本抄の大意

 まず、鵞目二貫文の御供養に対し謝意が述べられます。
 次に、人王三十六代皇極天皇と蘇我入鹿について述べられます。皇極天皇は女性の天皇であり、蘇我入鹿という臣下がいました。臣下として天皇に忠義を尽くすべき蘇我入鹿は、次第に驕傲さを現し、終には王位を奪おうとしました。皇極天皇や大兄王子、軽王子は大いに歎きましたが、蘇我入鹿を討つ力がありませんでした。そこで、中臣の鎌子という臣に相談したところ、鎌子は、それは人力では叶わないことで、教主釈尊の御力でなければ蘇我入鹿を討つことはできないと言上しました。皇極天皇は、その助言を聞き入れて釈尊像を造立し、祈念したところ、蘇我入鹿はほどなく討たれたということです。
 続いて、国王が国を治めるにしても、臣下が忠誠を尽くすにしても、釈迦仏に祈らなければそれを全うできないこと、仏教が日本に伝来し、神の国から仏の国となったのも、そうした意味があることを述べられます。そして今の世が、他の国に奪われようとしているのも、釈尊を蔑ろにしているからであり、それによって神の力も及ばないと教示されます。
 さらには、宗仲・宗長の兄弟が法華経を捨てずに立派に耐え忍ぶことができたのも、ひとえに釈迦仏や法華経の御力であること、また、後生の成仏は疑いないと述べ、兄弟二人の信仰を称えられます。
 最後に、今後いかなることがあっても少しも弛まず、いよいよ強盛に謗法を責め、たとえ命に及ぶことがあっても怯んではならないと教誡され、本抄を結ばれます。

 

 三、拝読のポイント

 信力・行力・仏力・法力

 一つ目は、仏力・法力と信力・行力についてです。
 蘇我入鹿が皇極天皇の王位を奪おうとしたとき、それを討つには人力では叶わず、藤原鎌足(中臣の鎌子)の助言によって教主釈尊の像を造り、祈念したことによって蘇我入鹿を討つことができたのです(大化の改新)。私たちにも現在の医学では治癒できない病気や、仕事の問題、家庭の問題、人間関係等々、人力では乗り越えられない問題に直面することがあります。業病のように問題の原因が過去世よりの謗法であるならば、なおさら人力では解決できません。
 では、どのようにそれらの問題を解決し、乗り越えていけばよいのでしょうか。それは、仏の力、法の力によって問題を解決する以外にないのです。すなわち、仏力・法力によらなければ、真の幸福を築くことも一生成仏を成ずることもできないのです。
 さて、末法今時において仏力・法力を具える本尊とは、いかなる本尊でしょうか。それは、言うまでもなく総本山大石寺にまします本門戒壇の大御本尊です。
 総本山第二十六世日寛上人が、
「信力・行力を励む則は仏力・法力に由り即ち観行成就するなり」(御書文段 二〇〇頁)
とお示しのように、仏力・法力と信力・行力が相俟って観行成就、すなわち菩提を成ずることができるのです。
 さらに日寛上人は、信力・行力について次のように仰せです。
「所謂『信力』とは一向に唯此の本尊を信じ、此の本尊の外には全く仏に成る道無しと強盛に信ずるを即ち『信力』と名づくるなり。(乃至)今末法に入りぬれば余経も法華経も詮無し。故に余事を雑えず、但南無妙法蓮華経と唱うるは即ち是れ『行力』なり」(同 二二八頁)
 信力とは、戒壇の大御本尊を信じ、この本尊以外に成仏の道はないと信じることです。また、行力とは、末法においては釈尊の法華経も力を失っているのですから、余事を雑えずに唱題することです。
 この御教示は、日蓮正宗の信仰の基本を示すもので、この基本を遵守し、自行・化他の信心に励むことが肝要です。それによって、いかなる困難も乗り越え、成仏の境界に住することができるのです。

 災難の原因

 二つ目は、災難の原因についてです。
「今の代は他国にうばわれんとする事、釈尊をいるがせにする故なり。神の力も及ぶべからず」
とあるように、蒙古の襲来によって日本が奪われようとしている原因は、釈尊の教えに違背しているからであると仰せです。
 法然をはじめとする他宗の開祖たちは、釈尊の教えの前後次第を弁えず、爾前権教に執着し、それらを依経として宗旨を建立しました。大聖人様は本抄で、そうした誤りを指摘されているのです。
 また『立正安国論』に、邪法を信じ正法を持たない故に他国侵逼の難などの災難が興起すると仰せであり、本抄においてもこの道理を示され、謗法を捨てて正法を受持すべきことを教示されています。

 不自惜身命の覚悟

 三つ目は、正法を受持し弘通する覚悟についてです。
 宗仲・宗長兄弟は、父・康光が反対する中にあって、力を合わせて信仰を貫きました。兄の宗仲は二度勘当され、その際、父は弟の宗長に家督を譲ろうとします。情に流されやすい宗長は、父の言葉に従って家督を継ぎ、法華経の信仰を捨てるべきか迷ったに違いありません。しかし、兄弟力を合わせて乗り越えることができたのです。そうした兄弟に対して大聖人様は、今日まで信仰を貫くことができたのは、ひとえに釈迦仏・法華経の御力であると仰せです。
 さらに、
「此より後もいかなる事ありとも、すこしもたゆむ事なかれ。いよいよはりあげてせむべし。たとい命に及ぶとも、すこしもひるむ事なかれ」
と仰せになり、この後、どのようなことがあっても退いてはならないこと。いよいよ父・康光の信仰を破折していくこと。そして、たとえ命に及ぶことがあっても決して怯んではならないことを教え、不自惜身命の覚悟を促されたのです。
 私たち法華講員は、一人ひとりがこの御教示を心肝に染めて、いよいよ勇気をもって折伏を実践してまいりましょう。

 

 四、結  び

 大聖人様は、池上兄弟に宛てられた『兄弟抄』に、
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし。魔競はずば正法と知るべからず」(御書 九八六頁)
と御教示のように、折伏を実践していくときには必ず魔が出来するのです。
 私たちは、御法主日如上人猊下より、平成二十一年に向かって一人ひとりが折伏に立ち上がるよう御指南を賜っています。折伏を実践するところには、必ず障魔が競います。そのとき愚者として退いてしまうのか、それとも賢者として喜びとするのか、それぞれの信心が問われるのです。
 大聖人様から賢者であるとお褒めいただける信行に徹し、何としても地涌倍増と大結集を完遂し、もって平成二十一年を晴れやかに迎えましょう。