大白法・平成5年7月1日刊(第389号より転載)御書解説(004)―背景と大意
本書は「不可惜所領の事」とも称され、建治三(1277)年七月、大聖人様が五十六歳の時、身延から、鎌倉の四条中務三郎左衛門尉頼基に与えられた御書です。御真筆は断片が現存しています。
四条金吾殿については、四月一日号でも述べましたが、江馬家に仕えた武士であり、武術に優れ、医術にも通達していたといわれています。文永八年の竜の口法難に際しては、決死の覚悟で大聖人様のお供を申し上げたことが、同年の『四条金吾殿御消息』に、
「日蓮にともなひて、法華経の行者として腹を切らんとの給ふ」(御書479頁)
との仰せにより明らかです。
文永十一年に佐渡配流から御赦免になられた大聖人様を、無事鎌倉に御迎えすることができた四条金吾の喜びはいかばかりだったでしょう。
この、再び師に巡り合えた大歓喜の確信と、また持ち前の純真な信心により、同年九月にはついに主君の江馬氏を折伏したのです。しかし、念仏の信者で、かつ極楽寺良観に傾倒する江馬氏は、この折伏を聞き入れることなく、かえって不快に思い、次第に金吾を疎うと んずるようになりました。また邪宗の信者である同僚たちは、すかさず主君に対し種々に讒言ざんげん し、陥おとしい れんとしたのです。
このときの江馬氏主従の迫害は、あの竜の口法難において不惜身命の信心を貫いたさすがの剛直なる四条金吾でさえ、翌年には
「持たもたん者は「現世安穏後生善処げんぜあんのんごしょうぜんしょ
」と承って、すでに去年より今日まで、かたの如く信心をいたし申し候処に、さにては無くして大難雨の如く来たり候」(四条金吾殿御返事 御書 775頁)
と述懐していることにより、相当に厳しいものであったことが知られます。この苦境に際し大聖人様からは 「受くるはやす易 く、持つはかた難
し。さる間成仏は持つにあり。此の経を持たん人は難に値あ ふべしと心得て持つなり」(同)
と、そのつど懇切な激励を賜わり、勇気を奮い起こして逆境の中を信行に精進したのです。
背 景
建治三年(一二七七年)六月九日、大聖人様の弟子三位房日行は、鎌倉桑ヶ谷において法座を開いていた天台僧の竜象房と問答を行い、これを徹底的に打ち負かしました。竜象房は三位房の堂々たる破折の論旨に圧倒され、ついには閉口してしまったのです。
この竜象房とは、京都にいるとき、朝夕死体を食したことが露見し、逐電ちくでん して鎌倉に下ったという悪鬼のごとき邪僧ですが、良観等と結んで鎌倉の人々を誑たぶら
かし、法門に不審のある者とはいつでも問答するなどと大言壮語していたのです。
しかるに良観・竜象房側は、自らの敗北を逆恨みし、このとき三位房に同行して問答の成り行きを見守っていた四条金吾に対して、「徒党を組み武装して乱入し、暴力で法座を乱した」などと、無実の言いがかりを四条金吾の主君である江馬氏に申し立てました。これを真に受けた江馬氏は、「下し文」を以て、四条金吾に法華経の信仰を捨てる起請文を書くように命じてきたのです。
金吾は、事の経緯いきさつ
を大聖人様に御報告し、指導を仰ぐと共に、「たとえ所領を没収されようとも、法華経の信仰を捨てるような起請文は書きません」との決意を申し上げました。
事件の報告を受けられた大聖人様は、金吾の身を案じられ、江馬氏の誤解を解くため、まったくの無実であることを訴えた陳状をしたためられました。これがあの『頼基陳状』です。
本抄は『頼基陳状』に添えられた御手紙で、どのような状況になっても信心を捨てないと誓う健気な信心を称賛され、また陳状の提出の時期や、更には四条金吾にとって、今後の信仰を持続する上での最大の難に当たっての心構え、更にはとるべき態度など、懇切丁寧に御指導をなされています。
はじめに、主君からの「下し文」と、これに対する「起請文」は決して書かないと述べた四条金吾の誓状をご覧になったことを述べられ、その不退転の信心を
次に、末法に法華経を弘通することの難しさを挙げられ、四条金吾が家臣の身でありながら主君の勘気にもひるまず、たとえ領地を没収されても、法華経の信仰を貫き通そうとされていることはただごとではないと大いに讃歎あそばされています。
もし信徒の中心的立場にある四条金吾が、この良観一派の策謀による主君の責めに負けて退転することにでもなれば、鎌倉中の大聖人様の信徒が浮き足立ち、ことごとくが信仰を捨てることにもなったでありましょう。
よって、さだめし大聖人様の御化導を助けられるために上行菩薩が四条金吾の身に入れ替わられたのであろうと称えられたのです。
続いて、人間の一生は夢のごとく
更に、「陳状」の提出についての細やかな注意を記され、この「陳状」を主君に提出し、多くの人の目に触れれば、結局は良観・竜象房等の恥が顕われることになり、それは結局このたびの大難を転じて福となすことであると述べられています。
そして最後に、奉行人に対しても諂わず、自らの所領は法華経の功徳で主君の病が治ったことにより賜わった所領であるから、もし所領を召し上げるならば、また病になっても知らないと強く言い切るようにと口上の述べ方を教えられ、更に、寄り合いなどには出席せず、また夜は厳重に用心をして、同僚等による謀殺を避けるようにと、日常生活における注意をうながされて本抄を
本抄においては難に立ち向かう四条金吾の強盛なる信心を最大に称賛されていますが、更に以後に予想される一段と厳しい事態に対しては、先にも述べたごとく、「いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うばからず」と、どのような境遇になっても、不動の信仰貫くよう厳しく御指南されています。
「法華経にきずをつけ給うべからず」との仰せは、まさしく僧俗共々に大聖人様の仏法にきずをつけるような振る舞いがあってはならないということです。
では「法華経にきずをつける」とはいかなることでしょうか。『開目抄』には、
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然じねんに仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つた拙なき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし」(御書572頁)
と、諸難を忍ぶ不惜身命の信心こそが大切であることを御教示されています。
すなわち臆病な凡夫は、難が重なると、とかく仏法を疑い、信心を捨ててしまいますが、それこそが「法華経にきずをつける」ことになるのです。まさに今日の宗門の大難に当たり、死身の勇気を奮い起こして立ち向かうべきでありましょう。
すなわち成仏への道は、身命に及ぶほどの難があることを覚悟すべきなのです。私たちは、地位や財産にとらわれず、更には身命をも惜しまずに、法のために捧げる信心を忘れてはならないのであります。
正法を行ずる私たち正宗僧俗の上には、非難・中傷・迫害などが競い起こることはむしろ当然のことなのです。『如説修行抄』の、
「真実の法華経の如説修行の行者の師弟檀那とならんには三類の敵人決定せり」(御書670頁)
との仰せを拝するとき、まさしく今日の池田創価学会は、御金言の「三類の敵人」の姿そのものであります。私たちは決して、あの竜の口の法難の折に疑いを起こして退転した者たちの轍てつを踏んではならないのです。
四条金吾殿の不惜身命の信心の姿勢をお手本とし、日蓮大聖人様の大白法を厳護奉るため、いかなる苦難をも忍び、正法弘通に向かって勇猛精進してまいりましょう。