本尊供養御書  建治二年一二月  五五歳

 

 

(★1054㌻)
 法華経御本尊御供養の御僧膳(そうぜん)(りょう)の米一駄・蹲鴟(いものかしら)()送り給び候ひ(おわ)んぬ。法華経の(もん)()は六万九千三百八十四字、一々の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一々に皆御仏なり。譬へば金粟(こんぞく)王と申せし国王は(いさご)(こがね)となし、(しゃく)()(なん)と申せし人は石を珠と成し給ふ。玉泉に入りぬる木は瑠璃(るり)と成る。大海に入りぬる水は皆(しおから)し。(しゅ)()(せん)に近づく鳥は金色となるなり。阿伽陀(あかだ)(やく)は毒を薬となす。法華経の不思議も又是くの如し。凡夫を仏に成し給ふ。(かぶら)(うずら)となり山の芋はうなぎとなる。世間の不思議以て是くの如し。何に況んや法華経の御力をや。
 
 法華経の御本尊への御供養の御僧膳料として米一駄と里芋一駄、たしかに送っていただいた。
 法華経の文字は六万九千三百八十四字で、一つ一つの文字は私達の目には黒い文字と見えるけれども、仏の御眼には一つ一つがみな御仏と映るのである。譬えば、金粟王という国王は砂を金となし、釈摩男という人は石を宝珠となされた。玉泉に入った木は瑠璃となり、大海に入った水はみな塩からく、須弥山に近づく鳥は金色となり、阿伽陀薬は毒を薬とする。法華経の不思議な功力もまた同様である。凡夫を仏になされる。蕪は鶉となり、山芋はうなぎとなる。世間の不思議さえ、このようである。ましてや法華経の不思議さは、なおさらである。
 (さい)の角を身に帯すれば大海に入るに水()を去る事五尺、栴檀と申す香を身にぬれば大火に入るに焼けることなし。法華経を持ちまいらせぬれば八寒地獄の水にもぬれず八熱地獄の大火にも焼けず。法華経の第七に云はく「火も焼くこと(あた)はず水も(ただよ)はすこと能はず」等云云。事多しと申せども年せま()り御使ひ急ぎ候へば筆を(とど)め候ひ(おわ)んぬ。
    日蓮 花押
 南条平七郎殿御返事
   犀の角を身につけていると、大海に入っても水は身から五尺はなれ、栴檀という香を身に塗ると、大火に入っても焼けることがない。法華経を持つならば、八寒地獄の水にも濡れることなく、八熱地獄の大火にも焼けないのである。法華経第七の薬王菩薩本事品第二十三にはに「火も焼くことができず、水も漂わすことができない」等と説いている。書きたいことは多くあるけれども、年の瀬も迫り、御使いの者も急いでいるので、筆を留めおくことにした。
  日蓮 花押
 南条平七郎殿御返事