道場神守護事  建治二年一二月一三日  五五歳

 

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 鵞目五貫文慥かに送り給び候ひ了んぬ。且つ知ろし食すが如く、此の所は里中を離れたる深山なり。衣食乏少の間読経の声続き難く、談義の勤め廃るべし。此の託宣は十羅刹の御計らひにて檀那の功を致さしむるか。
 
 銭五貫文、たしかにお送りいただいた。すでに御承知のように、この身延の場所は里中を離れた深山である。あなたの供養がなかったら衣食が乏しいために読経の声は続きがたく、談義の勤めはやめてしまわなければならないころである。この託宣は十羅刹の御計いで、あなたに檀那としての功徳を積ませようとしたものであろうか。
 止観第八に云はく「帝釈堂の小鬼、敬ひ避くるが如し。道場の神大なれば妄りに侵嬈すること無し。又城主剛ければ守る者強し。城主恇ければ守る者忙る。心は是身の主なり。同名同生天は是能く人を守護す。心固ければ則ち強し。身の神尚爾なり。況んや道場の神をや」と。弘決第八に云はく「常に人を護ると雖も、必ず心固きに仮りて神の守り則ち強し」と。又云はく「身の両肩の神尚常に人を護る。況んや道場の神をや」云云。    摩訶止観の第八巻に「帝釈の小鬼が敬って避けるようなものである。道場の神が偉大であれば、むやみに病が侵すことはない。また城の主が剛いときは守る者も強い。城の主が怖れるときは守る者も怖れる。心は身の主である。同名・同生の天はよく人を守護する。心は堅固なときは、天の守りも強い。身の神でさえそうである。ましてや道場の神はなおさらである」とある。止観輔行伝弘決の第八巻には「常に人を守護するといっても、必ず心の堅固さによって神の守りは強いのである」とあり、また「身の両肩にいる神でさえ常に人を守護するのである。まして道場の神はなおさらである」とある。
 人所生の時より二神守護す。所謂同生天・同名天、是を倶生神と云ふ。華厳経の文なり。文句の四に云はく「賊南無仏と称して尚天頭を得たり。況んや賢者称せば十方の尊神敢へて当たらざらんや。但精進せよ懈怠すること勿れ」等云云。釈の意は月氏に天を崇めて仏を用ひざる国あり。而るに寺を造り第六天の魔王を主とし、頭には金を以てす。大賊年来之を盗まんとして得ず。有る時仏前に詣で物を盗んで法を聴く。仏説いて云はく、南無とは驚覚の義なり。
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盗人之を聞いて南無仏と称して天頭を得たり。之を糺明せし処盗人上の如く之を申す。一国皆天を捨てゝ仏に帰せり云云。
   人は生まれた時から二神が守護しているのである。いわゆる同生天と同名天である。これを倶生神という。華厳経の文にある。 法華文句の第四巻には「盗賊が南無仏と唱えてさえ天人の像の頭を得たのである。ましてや賢者が唱えたならば十方のあらゆる尊神が守護の任にあたらないことは絶対にない。ただひたすら仏道修行に励みなさい。おこたることがあってはならない」等とある。 この法華文句の意は、インドにおいて天を崇めて仏を用いない国があった。寺を造っても第六天の魔王の像を本尊としていた。その像の頭は金でできていた。大盗賊が数年来これを盗もうとしても、得ることができないでいた。あるとき仏前に詣で、物を盗んで法を聞いた。仏が説いていうには「南無とは驚覚の意義である」と。
盗人はこれを聞いて「南無仏」と称えることによって第六天の魔王の像の頭を得ることができたのである。 のちにこれを糾明したところ、盗人は前述のように述べた。そこで一国の人々は皆、天を捨てて仏に帰依したという。 
 彼を以て之を推するに設ひ科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか。而るに今示し給へる託宣の状は兼ねて之を知る。之を案ずるに難却って福来たる先兆なるのみ。妙法蓮華経の妙の一字は竜樹菩薩の大論に釈して云はく「能く毒を変じて薬と為す」云云。天台大師云はく「今経に記を得る即ち是毒を変じて薬と為すなり」云云。災ひ来たるも変じて幸ひと為らん。何に況んや十羅刹之を兼ねるをや。薪の火を熾んにし風の求羅を益すとは是なり。言は紙上に尽くし難し、心を以て之を量れ。恐々謹言。
  十二月十三日        日蓮 花押
御返事
   このことからあなたのことを推測すると、たとえ科がある者でも仏・法・僧三宝を信ずるならば大難を脱れることであろう。しかるに今、示された託宣の書状は、かねてから承知していることである。このことを思案するに、これは難を去って福が来る先兆であろう。妙法蓮華経の妙の一字については、竜樹菩薩の大智度論に「よく毒を変じて薬とする」と釈しており、天台大師は「(二乗は)法華経において記別を得た。すなわちこれは毒を変じて薬とするようなものである」といっている。災が来たとしても、それは変じて幸いとなるであろう。ましてや十羅刹女がこのことを前もって知らせてるのであるからなおさらである。薪が火の勢いを熾んにし、風が伽羅求羅虫を大きくするというのはこのことである。言葉は紙面に尽くし難い。心でこれを推し量りなさい。恐恐謹言。
 十二月十三日        日蓮花押
御返事