松野殿御返事  建治二年一二月九日 五五歳

別名『十四誹謗抄』

 

第一章 身延の様子と音信への感謝

(★1045㌻)
 ()(もく)一結(ひとゆい)・白米一()・白()(そで)一つ送り給び(おわ)んぬ。
 (そもそも)此の山と申すは、南は野山漫々として百余里に及べり。北は身延山高く(そばだ)ちて(しら)()(たけ)につゞき、西には七面(なないた)と申す山峨々(がが)として白雪絶えず。人の(すみ)()一宇もなし。(たまたま)問ひくる物とては(こずえ)を伝ふ(まし)()なれば、(しばら)くも留まる事なく還るさへ急ぐ恨みなるかな。東は富士河(みなぎ)りて(りゅう)()の浪に異ならず。かゝる所なれば、(とぶら)ふ人も(まれ)なる
(★1046㌻)
に加様に度々音信(おとずれ)せさせ給ふ事、不思議の中の不思議なり。
 
 銭一結・白米一駄・白小袖一枚、以上の品々を送っていただきました。
 そもそも身延山のこの地は南には野山が遠くはてしなく続いて百余里に及んでおり、北には身延山が高くそびえたって、白根が嶽に続いている。西には七面という山が嶮しくそびえ立ち、白雪が消えることがない。人の住む家は一軒もない。たまたま訪ねるものといえば、梢を伝わってくる猿なので、少しの間もとどまることがなく、帰りを急いでいくのは、うらめしい事ではある。
 東は富士河がみなぎって、流沙のように波立っている。このような所であるから、訪れる人など滅多にいないのに、このように、たびたび御供養の品々を送られたり手紙を書き送られるということは、不思議のなかの不思議である。

 

第二章 実相寺の学徒日源について

 実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て、弟子檀那に放され御坐(おわ)して、我が身だにも置き処なき由承り候に、日蓮を(とぶら)ひ衆僧を哀れみさせ給ふ事、誠の道心なり、聖人なり。(すで)に彼の人は無双の学生(がくしょう)ぞかし。然るに名聞名利を捨てゝ(それがし)が弟子と成りて、我が身には我不愛身命の修行を致し、仏の御恩を報ぜんと面々までも教化申し、此くの如く供養等まで捧げしめ給ふ事不思議なり。
   岩本実相寺の学徒日源は、日蓮に帰伏したことによて所領を奪われ自分の弟子檀那に追放されて、自分の身さえも置く場所がない境遇であると聞いていたが、それにもかかわらず、日蓮を訪ね、日蓮の弟子たちにたいしても、いろいろと心をくだいて下さっているということは、誠の信心であり、聖人である。すでに、日源は、並ぶものがないほどの学者である。にもかかわらず名聞名利を捨てて、日蓮の弟子となり、わが身には「我不愛身命」の修行をして、仏の御恩を報じようと、あなたがたまでも教化し、このように、御本尊へ御供養まで捧げるように導いたことは、まことに不思議という以外にない。
 末世には、()(けん)の僧尼は恒沙(ごうじゃ)の如しと仏は説かせ給ひて候なり。文の意は、末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣を著たれば、形は僧・比丘尼に似たれども、内心には邪見の(つるぎ)(ひっさ)げて、我が出入りする檀那の(もと)(ほか)の僧尼をよせじと無量の讒言(ざんげん)を致し、余の僧尼を寄せずして檀那を惜しまん事、譬へば犬が(さき)に人の家に至りて物を得て食らふが、後に犬の来たるを見て、いがみ()へ食ひ合ふが如くなるべしと云ふ心なり。是くの如きの僧尼は皆々悪道に堕すべきなり。此の学徒日源は学生なれば此の文をや見させ給ひけん。殊の外に僧衆を(とぶら)(かえり)み給ふ事、誠に有り難く覚え候。    末世においては、犬のような僧や尼は、恒河の沙ほどたくさん出現する、と仏は説かれている。この文の意味は、末世の、僧や尼は名聞名利に執着し、外には袈裟・衣を着ているので、姿かたちは僧や尼に似ているけれども、内心には、邪見の剣を携え、自分の出入する檀那のところへは、他の僧尼をよせつけまいとして、檀那を独占しようとするさまは、譬えていえば犬が人の家で餌にありついて食べているところへ、あとから他の犬が来るのを見て、いがみ吠え、噛み合いのけんかをするようなものだ、という意味である。このような僧尼は、当然全て悪道に堕ちるのである。この学徒日源は、学者なので、この涅槃経の文を、おそらく読んだであろう。ことのほか、日蓮や、また、弟子達を訪れ、いろいろと心を使われつということは、まことに有りがたいことと思う。

 

第三章 法華経の修行と十四謗法

 御(ふみ)に云はく、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り、題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱へさせ給ふ題目の功徳と、我等が唱へ申す題目の功徳と、何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其の故は、愚者の持ちたる(こがね)も智者の持ちたる金も、愚者の(とも)せる火も智者の燃せる火も、其の差別なきなり。但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり。    松野殿からのお手紙に「法華経を受持して、退転することなく、方便品の十如是と寿量品の自我偈を読誦し、題目を唱えています。しかし、その題目も、聖人が唱えられる題目の功徳と、われわれが唱える題目の功徳とでは、どれほどの相違があるのでしょうか」との御質問があった。そこで、その質問にお答えするのだが、題目の功徳には、まったく勝劣はない。その理由は、愚者が持ってい金も、智者の持っている金も、また愚者がともす火も、智者がともす火も、何等差別、相違がないのと同じ道理である。但しこの法華経の心にそむいて題目を唱えた場合には、差別はあるのである。 
 此の経の修行に重々のしな()あり。其の大概(おおむね)を申せば、記の五に云はく「悪の数を明かすをば今の文には説不説と云ふのみ」と。有る人此を分かって云はく「先に悪因を(つら)ね、次に悪果を列ぬ。悪の因に十四あり。一に憍慢(きょうまん)・二に()(たい)・三に(けい)()・四に浅識(せんしき)・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんじゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善(きょうぜん)・十二に憎善(ぞうぜん)・十三に嫉善(しつぜん)・十四に恨善(こんぜん)なり」と。此の十四の誹謗は在家出家に(わた)るべし。恐るべし恐るべし。    法華経の修行にも重々の段階がある。その概略を述べるならば、妙楽大師の法華文句記の五の巻には「謗法の数を明らかにすることについて、法華経の譬喩品第三には『説・不説』とだけ説かれている。慈恩は、この謗法の数を分えて、次のように説いている。『さきに謗法の悪因を列挙し、次に悪果を述べてみる。まず悪因に十四の謗法がある。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲・六に不解・七に不信・八に顰蹙・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善である』とある。この十四誹謗は、在家出家の両方にわたるのであるから、謗法の罪を恐れなければならない。
過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり、法華経
(★1047㌻)
を持たば必ず成仏すべし、彼を軽んじては仏を軽んずるになるべしとて、礼拝の行をば立てさせ給ひしなり。法華経を持たざる者をさへ若し持ちやせんずらん、仏性ありとてかくの如く礼拝し給ふ。(いか)(いわ)んや持てる在家出家の者をや。此の経の四の巻には「()しは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を(たも)ち説く者を一言にても(そし)る事あらば其の罪多き事、(しゃ)()仏を一劫の間(ただ)ちに(そし)り奉る罪には勝れたり」と見へたり。(あるい)は「(にゃく)(じつ)(にゃく)()(じつ)」とも説かれたり。(これ)を以て之を思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其の故は法華経を持つ者は必ず(みな)仏なり。仏を毀りては罪を得るなり。

   過去の不軽菩薩は、いっさいの衆生には、みな仏性がある。法華経を持つならば、必ず成仏する。その一切衆生を軽蔑することは、仏を軽んずることになる、といって一切衆生に向かって礼拝の行をば立てたのである。不軽菩薩は法華経を持っていない者さえも、もしかしたら持っているかもしれない。本来仏性があるとして、このように敬い、礼拝したのである。まして、法華経を持っている在家出家の者においては、当然尊敬しなければならない。
 法華経第四の巻の宝塔品第十には「もし在家の身であれ、あるいは出家であれ、法華経を持ち、説く者に対して、一言でもそしるならば、その罪報の多いことは、釈迦仏を一劫の間、面と向かってそしった罪よりも重い罪を受ける」と、説かれている。あるいは普賢菩薩勧発品第二十八に「もし事実にしても、あるいは事実でないにしても、法華経を持つ者の悪口をいえばその罪は重い」とも説かれている。これらの経文に照らして考え合わせるならば、かりにも法華経を持つ者を、互いに、そしってはならないのである。その理由は、法華経を持つ者は、必ず、みな仏であって、仏をそしれば罪をうけるのは、当然だからである。
 ()(よう)に心得て唱ふる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云はく「阿鼻(あび)()(しょう)は全く極聖(ごくしょう)の自身に処し、毘盧(びる)(しん)()(ぼん)()の一念を()えず」云云。十四の誹謗の心は文に任せて推量あるべし。    このように心得て唱える題目の功徳は、仏の唱える功徳と等しいのである。妙楽大師の金錍論に「阿鼻地獄の依報であるその地獄の国土も、正報であるその地獄の衆生もともに尊極の聖人である仏の生命の中にあり、また毘盧遮那仏の身も、その仏国土も、凡夫であるわれら衆生の一念を越えて存在するものではない。すべて一念の心、生命の中にある」と釈している。十四誹謗の本意は、この文によって、推量していきなさい。

 

第四章 法門の聞き難きを示す

 加様に法門を御尋ね候事、誠に後世を願はせ給ふ人か。「能く是の法を聴く者は斯の人亦復難し」とて、此の経は正しき仏の御使ひ世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き上、此の経のいはれを問ひ尋ねて不審を明らめ、能く信ずる者難かるべしと見えて候。何に賤しき者なりとも、少し我より勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問ひ尋ね給ふべし。然るに悪世の衆生は、我慢偏執・名聞名利に著して、彼が弟子と成るべきか、彼に物を習はゞ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。    このように、あなたが法門を尋ねることは、誠に後世を願うからであろう。仏は方便品に「よくこの仏法を聴く、すなわち信受する人は、またごく少数である」といわれている。この法華経は、正しい仏が世に出現しなかったならば、仏の御本意のままに説くことは難しいうえ、さらにこの経のいわれを問い尋ね、疑問を晴らし、心から信ずる者は、非常に稀であるといわれているのである。それゆえ、いかに社会的に身分の賤しい者であっても、仏のことについて、すこしでも自分より勝れて智慧のある人に対しては、この経のいわれを問い尋ねていきなさい。しかし、悪世の衆生は、我慢・偏執で名聞・名利に執着して、あのような人の弟子となるべきであろうか。もし、あのような人に仏法の教えを習うならば、人から軽蔑されるのではないだろうか、などと思って、常に悪念を断ずうことができず、悪道に堕ちるであろうと、経文には説かれている。
 法師品には「人有って八十億劫の間、無量の宝を尽くして仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して、後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり。無智の者は此の経を説く者に使はれて功徳をうべし。何なる鬼畜なりとも、法華経の一偈一句をも説かん者をば「当起遠迎当如敬仏」の道理なれば仏の如く互ひに敬ふべし。例へば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし。
   法師品第十には「ある人がいて、八十億劫の間、無量の宝物を尽して、仏に御供養申し上げる功徳よりも、法華経を説く僧侶に供養し、さらに、しばらくの間でもこの経の法門を聴聞することがあれば、その人は、自ら、大きな利益、功徳を得ることができると、心から悦びなさい」と説かれている。仏法に無智な者は、この経を説く者に仕えることによって功徳を受けていくことができるのである。どのような悪鬼。畜生であっても、法華経の一偈一句を説く者に対しては「まさに、心から礼を尽くして遠くより出迎え、まさに仏を敬うようにしなさい」との、経の道理であるゆえに、仏法を持った者は、仏に仕えるごとく、互いに尊敬しあうべきである。たとえば、法華経宝塔品の儀式のとき、釈迦多宝が半座を分けて釈迦仏を迎え、二仏が並座したように、たがいに尊敬しあわなければならない。
 此の三位房は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば、仏の如く敬ひて法門を御尋ねあるべし。
(★1048㌻)
依法不依人此を思ふべし。
   このの三位房は、身分は低い者であるが、少しでも法華経の法門について説く者であるから、仏のように敬って、法門を尋ねなさい。「法に依って人に依ってはいけない」という涅槃経の文の意味を考えるべきである。

 

第五章 雪山童子の思いを示す

 されば昔独りの人有って雪山と申す山に住み給ひき。其の名を雪山童子と云ふ。蕨ををり菓を拾ひて命をつぎ、鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし、閑かに道を行じ給ひき。此の雪山童子をもはれけるは、倩世間を観ずるに、生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す。されば憂き世の中のあだにはかなき事、譬へば電光の如く、朝露の日に向かひて消ゆるに似たり。風の前の灯の消へやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れず、終に一度は黄泉の旅に趣くべし。然れば冥途の旅を思ふに、闇々としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし。かゝる闇き道に又ともなふ人もなし。娑婆にある時は、親類・兄弟・妻子・眷属集まりて父は慈れみの志高く、母は悲しみの情深く、夫妻は偕老同穴の契りとて、大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細やかに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如し。鴛鴦の衾の下に枕を並べて遊び戯る仲なれども、彼の冥途の旅には伴ふ事なし。冥々として独り行く。誰か来たりて是非を訪はんや。或は老少不定の境なれば、老いたるは先立ち若きは留まる。是は順次の道理なり。歎きの中にもせめて思ひなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり、若きは先立つ。されば恨みの至って恨めしきは幼くして親に先立つ子、歎きの至って歎かしきは老いて子を先立つる親なり。是くの如く生死無常、老少不定の境、あだにはかなき世の中に、但昼夜に今生の貯へをのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず、法をも信ぜず。無行無智にして徒に明かし暮らして、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は、何を以てか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて、実報・寂光の仏土に至らんやと思ひ、迷へば夢、覚れば寤。しかじ、夢の憂き世を捨てゝ寤の覚りを求めんにはと思惟し、彼の山に篭りて観念の床の上に妄想顛倒の塵を払ひ、偏に仏法を求め給ふ所に、帝釈遥かに天より見下ろし給ひて思し食さるゝ様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。
   さて、昔、一人の人がいて、雪山という山に住んでおり、その名を雪山童子といった。童子は、蕨を採り、木の実を拾って命をつなぎ、鹿の皮をこしらえて着物とし、肌を隠し、静かに仏道を行じていた。この雪山童子が、思っていたことは、よくよく世間を見ると、生死無常の道理であるから、生まれる者は必ず死ぬ。それ故、憂世のなかの空しくはかないことは、譬えば、稲妻のように、また朝露が太陽に照らされて消えるのに似ている。また、風の前の灯が消えやすく・芭蕉の葉が破やすいのに異ならない。
 人は皆、この無常を遁れることはできず、ついに一度は死出の旅におもむくのである。そこで、冥途の旅を思えば道は闇々として暗く、太陽も月や星の光もない。せめて灯燭と思っても、ともす火すらない。このような暗闇の道に、また伴う人もないのである。
 娑婆世界にいる時は、親類・兄弟・妻子・眷属が集まって、父は慈みの志が高く、母は悲しみの情が深い。夫妻は海老同穴の契りといって、ちょうど大海にそびえているが、同じ畜生でありながら、夫婦のちぎり細かで、一生、同じ処に伴って、離れ去るこたがないように、鴛鴦の衾の下に枕を並べて睦じい生活を営んでいたとしても、冥途の旅には一緒に行くことはできない。冥い冥い途を一人で行くのである。だれが来て安否を問うであろうか。
 あるいは老少不定の娑婆であるから、老人が先に死に、若い人が留まるのであれば、それは順次の道理である。悲歎の中でも、いくらか思いなぐさめられることもあるだろう。しかし、老人の方が留まり、若者が先立つこともある。恨みの極みである恨みは、幼くして親に先立つ子であり、軟きの極みの歎きは、老いて子を先立たれた親の心である。
 このように生死・無常・老少不定の所、むなしくはかない世の中に住んでいながら、ただひたすら昼も夜も今生の貯産をためることのみ思い、朝夕、現世の利益だけを求めて、仏も敬わず、法も信じないで、修行もせず、智慧もなく、いたずらに暮らしていては、死んで閻魔の庁庭に引き迎えられるときに、何をもって資糧として三界の長途を行き、何をもって船・筏として苦しみの大海を渡って、実報寂光の仏土にいたることができようか、と雪山童子は考えた。そして、迷へば夢、覚れば寤なのであるから、夢の憂世を捨てて寤の覚りを求るしかないと考え、雪山にこもって、観念の牀の上に妄想顛倒の塵を払い、いたすら成仏の法を求めたところが、帝釈が、雪山童子をはるかに天界より見おろして思うには、魚の子は多いけれども、そのなかで成魚となるものは少なく、菴羅樹の花は多く咲くけれども実を結ぶものは少ない。人もまた同じである。

 

第六章 雪山童子と不惜身命の求法

(★1049㌻)
 菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさゞるは少なきが如し。此の人の意を行きて試みばやと思ひて、帝釈鬼神の形を現じ童子の側に立ち給ふ。
 
 成仏を願って仏法を求める人は多いけれども、退転しないで、仏道修行を全うして仏になる人は少ない。全てわれら凡夫の菩提心というものは、多くは悪縁にたぼらかされて何か事あるたびに紛動されやすいものである。りっぱな鎧を着た武士は多いけれども、戦さにのぞんで恐れないで戦う武士は少ないようなものである。そこで帝釈は、この雪山童子の本心を試しみようと思い、鬼神に身をかえて童子のそばに現われたのである。
 其の時仏世にましまさざれば、雪山童子普く大乗経を求むるに聞くことあたはず。時に「諸行無常、是生滅法」と云ふ音ほのかに聞こゆ。童子驚き四方を見給ふに人もなし。但鬼神近付いて立ちたり。其の形けはしくをそろしくして、頭のかみは炎の如く、口の歯は剣の如く、目を瞋らして雪山童子をまぼり奉る。此を見るにも恐れず、偏に仏法を聞く事を喜び、怪しむ事なし。譬へば母を離れたるこうし、ほのかに母の音を聞きつるが如し。    そのときは、末だ仏は世に出現していなかったので、雪山童子は、広く大乗経典を求めたのであるが、聞くことはできなかった。ちょうどその時「諸行は無常であり、これ生滅の法である」という声が、ほのかに聞こえてきた。雪山童子は驚いてあたりを見たが、声の主と思われる人はなく、ただ鬼神が近くに立っていた。その鬼神の形相は、けわしくおそろしくて、髪は炎のように逆立ち、口の歯は剣のようにするどく、目を瞋らして雪山童子をじっと見ていた。雪山童子は、鬼神のそのような形相を見ても、少しも恐れることなく、ただひとえに、仏法を聞くことができるのを喜び、いぶかることもなかった。譬えていえば、母牛をはなれた子牛が、かすかに母親の声をききつけたようなものであった。
 此の事誰か誦しつるぞ。いまだ残りの語あらんとて普く尋ね求むるに、更に人もなければ、若しも此の語は鬼神の説きつるかと疑へども、よもさはあらじと思ひ、彼の身は罪報の鬼神の形なり、此の偈は仏の説き給へる語なり、かゝる賤しき鬼神の口より出づべからずとは思へども、亦殊に人もなければ、若し此の語汝が説きつるかと問へば、鬼神答へて云ふ、我に物な云ひそ。食せずして日数を経ぬれば、飢え疲れて正念を覚えず。既にあだごと云ひつるならん。我うつける意にて云へば、知る事もあらじと答ふ。    「いまの半偈の言葉をいったい、誰が口ずさんだのであろうか。まだ残っている言葉があるに違いない」と、周囲をさがし求めたが、一向にそれらしい人もいない。そこで、もしかしたら、この言葉は、鬼神が説いたのかもしれないと思ってみたが、まさかそんなこともあるまいと考えなおした。ばぜなら、彼の身は罪の報いともいうべき鬼神の姿をしている。ところが、この半偈は仏の説かれた言葉である。このような賎しい鬼神の口から出るはずはないと思っていたが、そうかといって、他に人もいないので「もしかしたらこの言葉は、あなたが口んだのではないか」と問うてみた。鬼神が答えていうには「自分に言葉をかけてくれるな。幾日も食べていないので、飢え疲れて正念を失い、もうろうとしている。ことによると、たわごとをいったのだろう。ぼんやりとした意識で言ったので、何をいったか知ることもできない」と答えた。
 童子の云はく、我は此の半偈を聞きつる事、半ばなる月を見るが如く、半ばなる玉を得るに似たり。慥かに汝が語なり。願はくは残れる偈を説き給へとのたまふ。鬼神の云はく、汝は本より悟りあれば、聞かずとも恨みは有るべからず。吾は今飢ゑに責められたれば、物を云ふべき力なし。都て我に向かひて物な云ひそと云ふ。童子猶物を食ひては説かんやと問ふ。鬼神答へて、食ひては説きてんと云ふ。    雪山童子は「自分がこの半偈を聞いたということは、ちょうど半月を見たようなものであり、また、半分の玉を得たのに似ている。たしかにあなたがいった言葉である。どうか残りの半偈を説いていただきたい」といった。鬼神は「お前はもともと悟っているのだから、聞かなくても恨みはなかろう。自分は、いま、飢えにせめられているから、ものをいう力もない。いっさい自分に向かって、言葉をかけてくれるな」というのである。 童子はそれでもなお、「では、なにか食べたら、説いてくれるか」と問うた。鬼神は「食べたら説けるだろう」と答えた。
 童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云はく、汝更に問ふべからず。此を聞きては必ず恐れを成さん。亦汝が求むべき物にもあらずと云へば、童子猶責めて問ひ給はく、其の物をとだにも云はゞ心みにも求めんとの給へば、鬼神の云はく、我は但人の和らかなる肉を食し、人のあたゝかなる血を飲む。空を飛び普く求むれども、
(★1050㌻)
人をば各守り給ふ仏神ましませば、心に任せて殺しがたし。仏神の捨て給ふ衆生を殺して食するなりと云ふ。
   童子はよろこんで「それでは、なにを食べるのか」と問うと、鬼神は「これ以上聞いてはならない。もし、自分のたべたいものを聞いたなら、きっと恐れをなしてしまう。またお前が求められるものではない」と答えた。
 童子は、なおも執拗に問いただし「そのものさえいってくれれば、試しみに求めよう」といえば、鬼神は「わたしはただ人間のやわらかな肉を食べ、人間のあたたかい血を飲むのである。
 いままで、空を飛び普ねく求めてきたけれども、人を守る仏神がいるので、思うように殺すことができない。
 だから仏神の捨てた衆生を殺して食べているのだ」という。
 其の時雪山童子の思ひ給はく、我法の為に身を捨て、此の偈を聞き畢らんと思ひて、汝が食物こゝに有り、外に求むべきにあらず。我が身いまだ死せず、其の肉あたゝかなり。我が身いまだ寒ず、其の血あたゝかならん。願はくは残りの偈を説き給へ、此の身を汝に与へんと云ふ。時に鬼神大いに瞋りて云はく、誰か汝が語を実とは憑むべき。聞いて後には誰をか証人として糾さんと云ふ。雪山童子の云はく、此の身は終に死すべし、徒に死せん命を法の為に投げば、きたなくけがらはしき身を捨てゝ、後生は必ず覚りを開き、仏となり、清妙なる身を受くべし。土器を捨てゝ宝器に替ゆるが如くなるべし。梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人とせん。我更に偽るべからずとの給へり。    その時雪山童子は「私は法のために身を捨てて、この偈を聞き畢ろう」と考えて「あなたの食べ物はここにある。外に求めることはない。わが身はいまだ死んでいないから、その肉はあたたかい。わが身はまだひえていないから、その血もあたたかいであろう。どうか、残りの偈を説いて下さい。この身をあなたに与えよう」といった。それを聞いて鬼神が大変瞋っていうには「誰かおまえのいうことを真実と信頼できようか。残りの偈を聞いた後にお前が約束を破ったら、誰を証人としてそれを糾明できようか」と。そこで雪山童子は「この身は最後には死すべきものである。無駄に、死んでしまう命を法のために捧げるならば、きたなく、けがらわしい身を捨てて、後生は必ず覚りを開いて仏となり、清妙な身を受けることができよう。このことは土器を捨てて宝器にかえるようなものである。梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人としよう。その上で私は偽ることはできない」といった。
 其の時鬼神少し和らひで、若し汝が云ふ処実ならば偈を説かんと云ふ。其の時雪山童子大いに悦んで、身に著たる鹿の皮を脱いで法座に敷き、頭を地に付け掌を合はせ跪き、但願はくは我が為に残りの偈を説き給へと云ひて、至心に深く敬ひ給ふ。さて法座に登り鬼神偈を説いて云はく「生滅滅已、寂滅為楽」と。此の時、雪山童子是を聞き、悦び貴み給ふ事限りなく、後世までも忘れじと度々誦して深く其の心にそめ、悦ばしき処はこれ仏の説き給へるにも異ならず。歎かはしき処は我一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思ひて、石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け、願はくは後に来たらん人必ず此の文を見、其の義理をさとり、実の道に入れと云ひ畢って、即ち高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり。    そこで鬼神は少しやわらいだ態度となって「もしおまえのいうことが真実であるならば偈を説こう」といった。そのとき雪山童子は大いに悦んで、自分が着ていた鹿の皮を脱いで、法座に敷き、頭を地に付け、掌を合わせてひざまずいだ。そして「どうか、私のために残りの偈を説いていただきたい」といって、心の底から深く敬ったのである。そこで鬼神は法座に登り、偈を説いて「生滅を滅し已って、寂滅を楽と為す」といった。この時雪山童子はこれを聞き、悦び貴ぶこと限りなく、「後世までも決して忘れまい」と何度も誦して、深く心にそめた。そして「悦ばしいことは、この偈を私一人だけ聞いて、人のために伝へられないことでありる」と深く思って、石の上・壁の面・路のほとりの諸木ごとに、この偈を書きつけ、「願わくは、ここに後にやってくる人は、必ずこの文を見て、その義理を悟り、真実の道に入ってもたいたい」といい畢って、すぐに高い木に登って、鬼神の前に身を投げたのである。
 いまだ地に至らざるに、鬼神俄かに帝釈の形と成りて、雪山童子の其の身を受け取りて、平らかなる所にすえ奉りて、恭敬礼拝して云はく、我暫く如来の聖教を惜しみて試みに菩薩の心を悩し奉るなり。願はくは此の罪を許して、後世には必ず救ひ給へと云ふ。一切の天人又来たりて、善哉善哉、実に是菩薩なりと讃め給ふ。半偈の為に身を投げて、十二劫生死の罪を滅し給へり。此の事涅槃経に見えたり。    まだその身が地に至らないうちに、鬼神はにわかに帝釈の形となって、雪山童子のその身を受けとって、平らなところに据えて、恭敬礼拝していうには「私は如来の聖教を惜しんで、ためしに、菩薩であるあなたの心を悩ましたのである。どうか、この罪を許し、後世には必ず救っていただきたい」といった。そこへいっさいの天人が現れて「善い哉、善い哉、実にこれは菩薩である」と讃めたたえたのである。雪山童子は半偈のために身を投げて、十二劫という長い間生死の罪を滅することができた。このことは涅槃経に説かれている。
 然れば雪山童子の古を思へば、半偈の為に猶命を捨て給ふ。何に況んや此の経の一品・
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一巻を聴聞せん恩徳をや。何を以てか此を報ぜん。尤も後世を願はんには、彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ。誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば、我が身命を捨て仏法を得べき便りあらば、身命を捨てゝ仏法を学すべし。
   したがって雪山童子の古を思えば、半偈のためにさえもなお命を捨てたのである。
 ましてやこの法華経の一品一巻を聴聞した恩徳に対しては、何をもってこれに報いたらよいであろうか。
 もっとも後世のことを願うならば、彼の雪山童子のように振舞うのが理想である。我が身が貧しくて布施する宝がないなたば、そしてわが身命を捨てて仏法を得られる機会があったならば、身命を捨てて仏法を学ぶべきである。

 

第七章 法師の死身弘法を説く

 とても此の身は徒に山野の土と成るべし。惜しみても何かせん。惜しむとも惜しみとぐべからず。人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし。受けがたき人身を得て、適出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして、徒に遊戯雑談のみして明かし暮らさん者は、法師の皮を著たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り身を養ふといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云ふ名字をぬすめる盗人なり。恥づべし、恐るべし。迹門には「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」ととき、本門には「自ら身命を惜しまず」ととき、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死して法を弘む」と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てゝ法を弘むべしと見えたり。此等の禁めを背く重罪は目には見えざれども、積もりて地獄に堕つる事、譬へば寒熱の姿形もなく、眼には見えざれども、冬は寒来たりて草木人畜をせめ、夏は熱来たりて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。
   どんなことをしてもこの身は空しく山野の土となってしまう。惜しんでもどうしようもない。どんなに惜しんでも惜しみ遂げることはできない。人はいくら長く生きたとしても、百年を過ぎることはない。その間のことは但だ一睡の夢である。受けがたい人身を得て、たまたま出家した者でも、仏法を学び謗法の者を責めないで、いたずらに遊び戯れて雑談のみに明かし暮す者は、法師の皮を著た畜生である。法師という名を借りて、世を渡り、身を養っていても、法師としての意義はなに一つない。法師という名字を盗んだ盗人である。恥ずべきことであり、恐るべきことである。法華経迹門の勧持品第十三に「我身命を愛せず但だ無上の道を惜しむ」と説き、本門の如来寿量品第十六には「自ら身命を惜まず」と説かれ、涅槃経には「身は軽く法は重し、身を死して法を弘むべきである」と説かれている。法華経の本迹両門も涅槃経もともに身命を捨てて法を弘むべきであると説かれている。これらの禁に背く重罪は目には見えないけれども、積もって地獄に堕ちる事は、譬えば、寒さ熱さの姿形もなく、眼には見えないけれども、冬には寒さがやってきて、草木や人畜をせめ、夏には熱さがやってきて人畜を熱さで悩ませるようなものである。

 

第八章 在家の在り方と臨終の様相

 然るに在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか。世の中もの()からん時も今生の()さへかなしし。()してや来世の苦をやと(おぼ)()しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦ひなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ。妙覚の山に走り登りて四方をきつ()()見るならば、あら面白(おもしろ)や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、(こがね)の縄を以て八つの道を(さか)へり。(そら)より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽()(らく)
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給ふぞや。我等も其の数に列なりて遊戯(ゆげ)し楽しむべき事はや近づけり。信心弱くしてはかゝる目出たき所に行くべからず、行くべからず。不審の事をば尚々承るべく候。(あな)(かしこ)穴賢。
  十二月九日    日蓮 花押
 松野殿御返事
   出家の身は前述のとおりである。在家の身であるあなたは、但余念なく、南無妙法蓮華経と唱えて、僧をも供養することが肝心なのである。それも経文のとおりであるならば、力に応じて折伏すべきである。
 世の中がつらく感じられる時も、今生の苦しみさえこのように悲しい、いわんや来世の苦しみにおいてはそれ以上であると思って、南無妙法蓮華経と唱えなさい。また、うれしい時でも、今生の悦びは夢の中の夢のごときものであり、霊山浄土の悦びこそが、まことの悦びであると思い合わせて、また南無妙法蓮華経と唱えなさい。そして退転することなく修行して、最後臨終の時を待って御覧なさい。妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんとすばらしいことであろうか。法界は皆寂光土で、瑠璃をもって地面とし、金の繩をもって八つの道の境界をつくり、天より四種の花が降ってきて、空に音楽が聞こえてくる。諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。われ等もその数の中に列なって、遊戯して楽しむべきことは、もう間近である。信心が弱くてはこのようなめでたい所へは決して行くことができないのである。もし不審のことがあるならば、また承りましょう。穴賢穴賢。
  建治二年丙子十二月九日    日蓮 花押
 松野殿御返事