九郎太郎殿御返事  建治二年九月一五日  五五歳


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 いゑの芋一駄送り給び候。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有りて石なし。石とも()しければ玉をもて石をかふ。ほうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを()もって(たきぎ)をかふ。鼻に病ある者はせんだん(栴檀)香、用にあらず。眼なき者は明らかなる鏡なにかせん。
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 此の身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山なり。西には七面(なないた)がれ()と申すたけ()あり。東は天子のたけ、南は鷹取(たかとり)のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり、はこ()そこ()のごとし。峰には()かう()の猿の(こえ)かまびすし。谷にはたいかいの石多し。
 然れども、する(駿)()いも()のやうに候石は一つも候はず。いも()のめづらしき事、くら()き夜のともし()びにもすぎ、かは()ける時の水にもすぎて候ひき。いかにめづらしからずとはあそばされて候ぞ。されば其れには多く候か。あらこひ()し、あらこひし。法華経・釈迦仏にゆづりまゐらせ候ひぬ。定んで仏は御志をおさめ給ふなれば御悦び候らん。霊山浄土へまゐらせ給ひたらん時御尋ねあるべし。恐々謹言。
  建治  九月十五日    日蓮 花押
 九郎太郎殿御返事