九郎太郎殿御返事  建治二年九月一五日  五五歳

別名『南条書』

 

(★1043㌻)
 いゑの芋一駄送り給び候。こんろん(崑崙)山と申す山には玉のみ有りて石なし。石とも()しければ玉をもて石をかふ。ほうれいひん(彭蠡浜)と申す浦には木草なし。いを()もって(たきぎ)をかふ。鼻に病ある者はせんだん(栴檀)香、用にあらず。眼なき者は明らかなる鏡なにかせん。
(★1044㌻)
 
 里芋一駄、お送っていただいた。
 崑崙山という山には、宝石だけがあって石がない。石が少ないので宝石をもって石を買う。彭蠡浜という湖の入江には木草がない。 魚をもって薪を買う。鼻に病気がある者にとっては、栴檀香は用をなさない。眼のない者にとっては、曇りのない鏡も何の役に立とう。
 此の身延の沢と申す処は甲斐国波木井の郷の内の深山なり。西には七面(なないた)がれ()と申すたけ()あり。東は天子のたけ、南は鷹取(たかとり)のたけ、北は身延のたけ、四山の中に深き谷あり、はこ()そこ()のごとし。峰には()かう()の猿の(こえ)かまびすし。谷にはたいかいの石多し。    この身延の沢という処は、甲斐国の波木井の郷の内の深山である。西には七面のがれという嶽があり、東は天子の嶽、南は鷹取の嶽、北は身延の嶽、四つの山の中に 囲まれたなかに深い谷がり、箱の底のようである。峰は巴峡の猿の鳴き声がやかましい。谷には川の水をせき止める程大きい石が多い。
 然れども、する(駿)()いも()のやうに候石は一つも候はず。いも()のめづらしき事、くら()き夜のともし()びにもすぎ、かは()ける時の水にもすぎて候ひき。いかにめづらしからずとはあそばされて候ぞ。されば其れには多く候か。あらこひ()し、あらこひし。法華経・釈迦仏にゆづりまゐらせ候ひぬ。定んで仏は御志をおさめ給ふなれば御悦び候らん。霊山浄土へまゐらせ給ひたらん時御尋ねあるべし。恐々謹言。
  建治  九月十五日    日蓮 花押
 九郎太郎殿御返事
   しかしながら、駿河の芋のような石は一つもない。芋の貴重な事、暗い夜の灯にも過ぎ、のどの渇いたときの水にすぎるほどである。どうして、珍しくないものなどと言われるのであろう。ということは、そちらには多くあるからであろうか。ああ悲しいことである。法華経・釈迦仏にお譲り申し上げた。きっと、仏は御志をおきめられて御悦びである。霊山浄土へ行かれたときに尋ねられるがよい。恐々謹言。
 建治  九月十五日     日 蓮 花押
九郎太郎殿御返事