四条金吾殿御返事 建治二年九月六日 五五歳

別名『有智弘正法事』

 

第一章 智人と檀那の関係を述べる

(★1041㌻)
 正法をひろむる事は必ず智人によるべし。故に釈尊は一切経をとかせ給ひて、小乗経をば阿難(あなん)、大乗経をば文殊(もんじゅ)師利(しり)、法華経の肝要をば、一切の声聞・文殊等の一切の菩薩をきらひて上行菩薩をめして授けさせ給ひき。(たと)ひ正法を持てる智者ありとも檀那なくんば争でか弘まるべき。然れば釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人なり。これは二人ながら天の檀那なり。仏は六道の中には人天、人天の中には人に出でさせ給ふ。人には三千世界の中央五天竺、五天竺の中には摩竭提(まかだ)(こく)に出でさせ給ひて候ひしに、彼の国の王を檀那とさだむべき処に、彼の国の
(★1042㌻)
阿闍世(あじゃせ)王は悪人なり。
 
 正法を弘めることは必ず智者でなければならない。故に釈尊は一切経を説かれて、そのうち、小乗経を阿難に、大乗経を文殊師利に付嘱された。しかし法華経の肝要を、いっさいの声聞、文殊師子等のいっさいの菩薩をきらい、上行菩薩にめし出して付嘱されたのである。
 たとえ正法を持つ智者がいたとしても、それを外護する檀那がいなければどうして正法が弘まるであろうか。それゆえ、釈迦在世においては、釈迦仏の檀那は梵王・帝釈の二人であった。これは二人とも天界の檀那である。仏は六道の中には人天に出現されたのである。しかも人天の中では人界に出現されたのである。しかも人界の中では三千世界の中央である五天竺、五天竺のの中には摩竭提国に出現され、この国の王を檀那と定めるはずであったのに、この国の阿闍世王は悪人であった。
 聖人は悪王に生まれあふ事第一の怨にて候ひしぞかし。阿闍世王は賢王なりし父をころす。又うち()わざは()ひと提婆(だいば)達多(だった)を師とせり。達多は三逆罪をつくる上、仏の御身より血を出だしたりし者ぞかし。不孝の悪王と謗法の師とよりあひて候ひしかば、人間に二つのわざはひにて候ひしなり。一年二年ならず、数十年が間、仏にあだ()をなしまいらせ、仏の御弟子を殺せし事数をしらず。かゝりしかば天いかりをなして天変(てんぺん)しきりなり。地神いかりをなして地夭(ちよう)申すに及ばず。月々に悪風、年々に飢饉(ききん)疫癘(えきれい)来たりて、万民ほとんどつきなんとせし上、四方の国より阿闍世王を責む。既に危ふく成りて候ひし程に、阿闍世王或は夢のつげにより、或は耆婆(ぎば)がすゝめにより、或は心にあやしむ事ありて、提婆達多をばうち捨て仏の御前にまいりてやう()やう()たい()はう()申せしかば、身の病忽ちに()ゑ、他方のいくさ()も留まり、国土安穏になるのみならず、三月の七日に御崩御(ほうぎょ)なるべかりしが命を()べて四十年なり。千人の阿羅漢をあつめて、一切経ことには法華経をかきをかせ給ひき。今我等がたのむところの法華経は阿闍世王のあたへさせ給ふ御恩なり。    聖人は悪王の国に生まれあうことが第一の不孝である。阿闍世王は賢王でその名を知られた父の頻婆沙羅王を殺した。それに加え悪いことには、提婆達多を師匠としたのである。提婆達多は三逆罪を犯したうえに、仏の御身から血を出した大悪人である。
 不孝の悪王と、謗法の師がよりあったのであるから、人々にとって、二重の災難であった。それが一年や二年の間だけでなく、数十年の間、仏にあだをなし、仏の御弟子を殺したことは、数えきれないほどであった。こうであったから諸天は怒り天変がしきりに起きた。
 地神も怒りをなして地夭はいい尽くせないほどであった。月月に悪風が吹き、年年に飢饉、疫病がやってきて、万民はほとんど死に絶えようとし、その上、四方の国からは、阿闍世王の国を攻めてきた。今にも滅びようとした時、阿闍世王は夢の告げにより、あるいは耆婆がすすめるところにより、心におもいあたる節もあって、提婆達多を捨てて、釈尊の御前に参上し、さまざまに今まで犯した罪をおわび申し上げると、身体も病気もたちまちになおって、他国からの侵略もやみ、国内が平和になったばかりでなく、三月七日に崩御のはずであった寿命が四十年も生き延べられた。
 この功徳に阿闍世王は、千人の阿羅漢を集めて一切経、とくに法華経をかき残されたのである。今、われわれがよりどころにしている法華経は、阿闍世王が残された御恩なのである。

 

第二章 末法の智人を明かす

 是はさてをきぬ。仏の阿闍世王にかたらせ給ひし事を日蓮申すならば、日本国の人は今つく()れる事どもと申さんずらん。なれども我が弟子檀那なればかた()りたてまつる。仏(のたま)はく、我が滅後末法に入って、又調達(ちょうだつ)がやうなる、たうとく五法を行ずる者国土に充満して、悪王をかたらひて、但一人あらん智者を或は()り、或は()ち、或は流罪、或は死に及ぼさん時、昔にもすぐ()れてあらん天変・地夭・大風・飢饉・疫癘、年々にありて、他国より責むべしと説かれて候。    これはさておいて、釈尊が阿闍世王に語られたことを日蓮がいうならば、日本国の人は、今日蓮がつくった話だというであろう。しかし、あなたは私の弟子檀那であるから話します。釈尊がいわれるには「我が滅後・末法に入つて、調達のように、尊げな姿をして五法を行ずる者が国に充満して、悪王を味方にし、ただ一人正法を弘める智者をののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死に至らせる時、昔にも増してより以上の天変・地夭・大風・飢饉・疫癘が年々にあり、他国からその国を攻めるであろう」と説かれている。これは守護国界主陀羅尼経という経の第十の巻の心である。
 守護経と申す経の第十の巻の心なり。当時の世にすこしもたがはず。然るに日蓮は此の一分にあたれり。日蓮をたすけんと志す人々少々ありといへども、或は心ざしうすし、或は心ざしはあつけれども身がうごせず、やうやうにをはするに、御辺は其の一分なり。心ざし人にすぐれてをはする上、わづかの身命をさゝうるも又御故なり。天もさだめてしろしめし、地もしらせ給ひぬらん。殿いかなる事にもあはせ給ふならば、
(★1043㌻)
ひとへに日蓮がいのちを天のたゝせ給ふなるべし。
   この経文は今の世と少しも違わない。そして日蓮は「但一人あらん智者」の一分に当たっている。この日蓮を助けようと志す人々が多少あるが、あるいは志が薄かったり、あるいは志は厚いようではあるけれども、実践が志にともなわない。さまざまであるが、あなたは、その一分に当たっている。
 日蓮を助けようとする志は弟子檀那のなかですぐれているばかりか、日蓮がわずかの身命をここまで支えることができたのも、あなたの実践のおかげである。このことは、天も必ず知っておられるし、地も御存知であろう。
 もし、あなたの身にいかなる災難でも起こったならば、それは、ひとえに日蓮の命を天が断とうとするのも同然である。 
 人の命は山海空市まぬかれがたき事と定めて候へども、又、定業亦能転の経文もあり。又天台の御釈にも定業をのぶる釈もあり。前に申せしやうに蒙古国のよするまでつゝしませ給ふなるべし。    人の命は山海空市の何処にあっても死から免れ難いことであると定められているけれども「定まった業報でさえも正法修行によって、よく転ずる」という経文もあり、また、天台の御釈においても、定業を述べることができるという釈もある。前の便りでもいったように、蒙古国の攻め寄せてくるまでは、用心しなさい。

第三章 主君への返答を教示する

 主の御返事をば申させ給ふべし。身に病ありては(かな)ひがたき上、世間すでにかうと見え候。それがしが身は時によりて臆病はいかんが候はんずらん。只今の心はいかなる事も出来候はゞ、入道殿の御前にして命をすてんと存じ候。若しやの事候ならば、越後(えちご)よりはせ(のぼ)らんは、はるかなる上、不定(ふじょう)なるべし。たとひ所領をめさるゝなりとも、今年はきみをはなれまゐらせ候べからず。是より外はいかに仰せ(こうむ)るとも、をそれまゐらせ候べからず。是よりも大事なる事は日蓮の御房の御事と、過去に候父母の事なりと、のゝしらせ給へ。すてられまゐらせ候とも命はまゐらせ候べし。後世は日蓮の御房にまかせまゐらせ候と、高声に()なの(名乗)り居させ給へ。
  日蓮 花押
 四条金吾殿
   主君への御返事を次のようにいいなさい。
「私は、いま病気でありますので、遠国に行けとの主命に叶いがとうございます。その上、世情は大事が起こりそうな気配です。それがしの身は、その時にあたって、どうして臆病のはずがございましょうか。只今の心は、たとえどのようなことが起きようとも、入道殿の御前で一命を捨てる覚悟でございます。もし一大事が起きたときに、越後から、鎌倉の主君のもとに馳せ参ずるのには、あまりに遠すぎるし、行くことができるかどうかもわかりません。それゆえ、たとえ所領を取り上げられても、今年は、御主君の御側をはなれません。これ以外にどのような仰せを蒙っても、少しも恐れはいたしません。これよりも大事なことは、日蓮の御房の御事と亡くなった父母のことであります」
とはっきり言いきりなさい。また
お見捨てになっても、私の命は差し上げます。後世は日蓮の御房にまかせてあります
と声高らかに申し上げなさい。
  建治二年丙子九月六日    日蓮花押
 四条金吾殿