大白法・平成9年9月1日刊(第485号より転載)御書解説(053)―背景と大意
本抄は、建治二(1276)年九月六日、大聖人様が五十五歳の御時、身延において
四条金吾は、北条一族の江馬氏に仕えていた鎌倉武士で、武術や医術に練達し、主君からも厚い信頼を得ていました。
入信は、康元元(1256)年頃、大聖人様の「四箇の格言」を伝え聞いて憤慨した四条金吾が、松葉ヶ谷の草庵へ問答に押しかけ、そこで大聖人様から
文永八(1271)年の竜の口法難の際には知らせを受けるや、裸足で駆けつけ、大聖人様の乗られている馬のくつわに取りすがり、殉死の覚悟で刑場までお供をしました。その純真な信心を大聖人様は後々までお
また、人本尊開顕の重書である『開目抄』を門下の代表として受けられ、さらに数々の御書も頂戴するなど、富木氏等と並び信徒の中心者の一人でした。晩年は身延山に近い甲州
四条金吾の入信後、約十五年を経た文永八年九月十二日、日蓮教団を揺るがす大事件、竜の口法難が起こりました。このときの門下の有様を『新尼御前御返事』には、
「千が九百九十九人は堕ちて候」(御書765頁)
と述懐されるように、多くの門下が幕府の厳しい
「日蓮が御
と仰せのように、四条金吾はじめ一族の者たちは、主君江馬氏(北条光時)の
大聖人様が佐渡から鎌倉に戻られたとき、金吾はあまりの嬉しさと『法華経』の功徳の絶大さに勇気づけられ、主君への恩返しの心で折伏されたのです。
ところが、主君の光時は極楽寺良観の熱烈な信者であったため、逆に不興をかってしまい、さらにそれを聞いた同僚たちからは、常日頃からの金吾への嫉妬や宗教的対立等もあって、さまざまに
このとき、金吾は一切を大聖人様に御報告申し上げ御指導を仰ぎました。本抄は、その折の大聖人様からの御慈悲
まずはじめに、正法を弘めることは必ず智人によるべきであり、その智人とは、仏から付嘱を受けた人のことで、一切経の中でも、特に末法に弘通されるべき『法華経』の肝要の大法は、地涌の菩薩の上首上行菩薩に授けられたことが明かされます。
さらに智者が正法を弘めるためには、必ず人天の檀那が存在しなくてはならず、釈尊における天の檀那は梵天・帝釈、人の檀那は釈尊が誕生されたインド、マカダ国の
すなわち何十年もの間、仏を迫害し、多数の仏弟子を殺したため、天神地神が怒りをなし、国土には
進退極まったその時、阿闍世王は夢中の告げと
それから後、阿闍世王は仏教を外護する大信者となり、釈尊の化導を助け、経典、中でも『法華経』の流伝に大きな役割を果たしたことが述べられています。
また、釈尊は、滅後末法においても同様に提婆達多のような
そして、その大難の中で、四条金吾は特に
そしてもし、四条金吾の身に万が一のことがあれば、それは諸天が「法華経の行者」である日蓮の命を断とうとするものであり、そのようなことは有り得ないことではあるが、しかし、人はいつ
また主君への返事としては、身に病があるので遠方に赴任することは無理である上、世の中に何か一大事が起ころうとしているように感じられる。心が臆病になればどうなるか判らないが、今はどのようなことが起きても、身命を賭して主君をお守りする決意であり、万一の時に越後からでは間に合わず、たとえ領地を没収されても今年は主君の側を離れることはできないと、恐れずにその決意を述べるべきであると御教示されています。
そしてまた、それよりも大切なことは、日蓮大聖人の御事と、今は亡き父母の菩提のことであり、たとえ主君に見捨てられても主君のために命は捧げる覚悟であること。また、すでに後世のことは師匠の大聖人様に任せ奉っていると、堂々とその確信を申し述べるよう教誡されて本抄を結ばれています。
第一のポイントは、本抄は『有智弘正法事』とも呼ばれるように、智人、すなわち仏の教えを正しく伝える聖人でなければ正法を弘めることはできず、わけても『法華経』の肝要たる南無妙法蓮華経は、本化地涌の上首たる上行菩薩への付嘱の大法であることが示されていることです。
すなわち末法の一切衆生を救済するところの下種の法体は、付嘱によってこそ末法に三大秘法として出現されたことを知らねばなりません。
第二は、仏法を弘める聖人が出現しても檀那の外護がなければ弘通することはできないことです。聖人と檀那とは、今日、言葉を替えて言えば僧と俗のことですが、大聖人様は僧俗それぞれの使命について『涅槃経』の文を引かれ、
「内には弟子有って甚深の義を
と御教示されています。これは、仏法は根本的には、僧宝にまします唯授一人の御法主上人猊下によって血脈相伝されますが、さらに、内において直接三宝にお仕えする僧侶と、世間にあって仕事に励みつつ、さまざまな面から正法を護り、弘宣していくところの清浄なる信徒とが相まって、はじめて仏法が久住するのです。この尊い使命を自覚し、名聞名利を捨てて精進するところに必ず諸天の加護があり、自身の罪障消滅と、宿業転換も叶うことを肝に銘じていかなければなりません。
第三は、いかなる苦境にあっても動揺しない、仏法を根本とした確固たる人生観を確立することです。四条金吾は主君の不興と同輩の讒言により、領地替えという苦境に立たされましたが、大聖人様の大慈悲の激励と適切な助言により、仏法を根本とした大誠実の振る舞いを貫きました。それはやがて主君の心をも開き、金吾に以前にもました福徳をもたらしたのです。私たちも御法主上人猊下の御指南を体し、広宣流布のために真剣に唱題に励み、御仏智を戴いていくことこそが、一切の苦境を打開する根本的な方策であることを確信し実践することこそ大切です。
日蓮大聖人滅後七百年の今日、平成の提婆達多である池田大作・創価学会は、日蓮正宗・御法主日顕上人猊下に対して、極悪非道の誹謗を行うことにより、末法における仏敵出現の御金言を証明しています。
あの平成二年十一月十七日、池田大作による御法主上人誹謗発言翌日の雲仙普賢岳噴火に始まり、創価学会員による呪いの唱題が行われた奥尻島を襲った三十メートルの大津波、「ニセ本尊」配布と御本尊御不敬の後の、六千名余の悲惨な犠牲者を出した阪神・淡路大震災など、このように打ち続いた天変・地災、さらには疫病・社会不安等は池田創価学会の大謗法に対する諸天の怒りであることは疑う余地はないと申せましょう。
私どもは今こそ、大悪を大善と開くべき時であることを自覚し、御法主上人猊下のもと僧俗一致して、誓願完遂を目指し、本年「充実の年」の折伏・再折伏に全力で邁進しようではありませんか。