曽谷殿御返事 建治二年八月二日 五五歳

別名『成仏用心抄』

第一章 成仏の道は法華経にあることを明かす

-1038-
 (それ)法華経第一方便品に云はく「諸仏の智慧は甚深無量なり」云云。釈に云はく「境淵(きょうえん)無辺(むへん)なる故に甚深と云ひ、智水測り難き故に無量と云ふ」と。(そもそも)此の経釈の心は仏になる道は(あに)境智(きょうち)の二法にあらずや。されば境と云ふは万法の(たい)を云ひ、智と云ふは自体顕照の姿を云ふなり。而るに境の(ふち)ほとりなくふかき時は、智慧の水ながるゝ事つゝがなし。此の境智合しぬれば即身成仏するなり。法華以前の経は、境智各別にして、
-1039-
而も権教方便なるが故に成仏せず。今法華経にして境智一如(いちにょ)なる間、開示(かいじ)悟入(ごにゅう)()仏知見(ぶっちけん)をさとりて成仏するなり。此の内証に声聞(しょうもん)辟支仏(びゃくしぶつ)更に及ばざるところを、次下(つぎしも)に「一切声聞辟支仏所不(しょふ)能知(のうち)」と説かるゝなり。

第二章 妙法五字が成仏の大法なるを明かす

 此の境智の二法は何物ぞ。(ただ)南無妙法蓮華経の五字なり。此の五字を地涌の大士を召し()だして結要(けっちょう)付嘱せしめ給ふ。(これ)本化(ほんげ)付嘱の法門とは云ふなり。

 (しか)るに上行菩薩等末法の始めの五百年に出生(しゅっしょう)して、此の境智の二法たる五字を弘めさせ給ふべしと見えたり。経文赫々(かくかく)たり、明々たり。誰か是を論ぜん。日蓮は其の人にも(あら)ず、又御使ひにもあらざれども、()づ序文にあらあら弘め候なり。既に上行菩薩、釈迦如来より妙法の智水を受けて、末代悪世の枯槁(ここう)の衆生に流れかよはし給ふ。()れ智慧の義なり。釈尊より上行菩薩へ譲り与へ給ふ。然るに日蓮又日本国にして此の法門を弘む。

第三章 付嘱の総別二義を明かす

 又(これ)には総別の二義あり。総別の二義少しも(あい)そむけば成仏思ひもよらず。輪廻(りんね)生死(しょうじ)のもとゐたらん。例せば大通仏(だいつうぶつ)の第十六の釈迦如来に下種(げしゅ)せし今日の声聞は、全く弥陀(みだ)薬師(やくし)()ひて成仏せず。譬へば大海の水を家内へくみ来たらんには、家内の者皆縁をふるべきなり。然れども汲み来たるところの大海の一滴を閣きて、又他方の大海の水を求めん事は大僻案(びゃくあん)なり、大愚癡(ぐち)なり。法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはひなるべし。

第四章 謗法呵責なくば成仏難きを示す

但し師なりとも誤りある者をば捨つべし。又捨てざる義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。末世の僧等は仏法の道理をばしらずして、我慢(がまん)(じゃく)して、師をいやしみ、檀那をへつらふなり。但正直にして少欲(しょうよく)知足(ちそく)たらん僧こそ、真実の僧なるべけれ。文句の一に云はく「既に未だ真を発さゞれば第一義天に()ぢ諸の聖人に()づ。即ち是有羞(うしゅう)の僧なり。観慧(かんね)若し発するは即ち真実の僧なり」云云。涅槃経に云はく「若し善比丘あって法を(やぶ)る者を見て、置いて呵責(かしゃく)駈遣(くけん)挙処(こしょ)せずんば、(まさ)に知るべし、是の人は仏法の中の(あだ)なり。若し能く駈遣し呵責(かしゃく)し挙処せば、是我が弟子、真の声聞なり」云云。此の文の中に見壊(けんね)法者(ほうしゃ)
-1040-
(けん)と、置不(ちふ)呵責(かしゃく)()とを、能く能く心腑(しんぷ)に染むべきなり。法華経の敵を見ながら置いてせめずんば、師檀ともに無間地獄は疑ひなかるべし。南岳大師の云はく「諸の悪人と(とも)に地獄に堕ちん」云云。謗法(ほうぼう)を責めずして成仏を願はゞ、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし。はかなしはかなし。(いか)に法華経を信じ給ふとも、謗法あらば必ず地獄に()つべし。うるし()ばい()(かに)の足一つ入れたらんが如し。「毒気(どっけ)深入(じんにゅう)失本(しっぽん)心故(しんこ)」とは是なり。

第五章 本従の師の大切さを示される

 経に云はく「在々諸仏の土に常に師と倶に生ぜん」と。又云はく「若し法師に親近(しんごん)せば(すみ)やかに菩薩の道を得、是の師に随順して学せば恒沙(ごうしゃ)の仏を見たてまつることを得ん」と。釈に云はく「(もと)此の仏に従ひて初めて道心を発し、亦此の仏に従ひて不退の地に住す」と。又云はく「初め此の仏菩薩に従ひて結縁(けちえん)し、(また)此の仏菩薩に於て成就す」云云。返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、而も主親の徳を備へ給ふ。此の法門を日蓮申す故に、忠言耳に(さか)らふ道理なるが故に、流罪(るざい)せられ命にも及びしなり。然れどもいまだこりず候。法華経は(たね)の如く、仏はうへての如く、衆生は田の如くなり。若し此等の義をたがへさせ給はゞ日蓮も後生は助け申すまじく候。恐々謹言。

  建治二年丙子八月二日    日蓮 花押
曽谷殿