大白法・令和4年4月1日刊(第1074より転載)御書解説(252)―背景と大意
本抄は、建治ニ(1276)年七月ニ十六日、日蓮大聖人様が御年五十五歳の時、身延において、出家時の兄弟子である
本抄の御真蹟は現存せず、写本として、『本満寺
本抄には『報恩抄』に示された法門の重要性と、拝読の心構えを御教示されています。
この年の三月、大聖人様の出家時の師匠である
そして、安房や
初めに、浄顕房から師道善房の逝去の
次に、
次いで、御本尊を御図顕して差し上げること。
そして、この法華経の
次に、道善房の逝去の報せを聞き、自ら早々と参上するか、この御房(日向)をすぐにも遣わすべきであった。しかし、我が内心ではそう思わなくても、
また内々に人が言うのには、近く宗論が行われそうであるとのことから、多くの弟子たちを十方に分け、国々の寺々に遣わせて経論等を探させていたが、
次に、『報恩抄』には非常に大事の中の大事の法門を記した。このことを信解できない人々に聞かせると、かえってよからぬ状況になる。たとえそうでなくても広く聞こえたなら余所にまで伝わることになる。すると、貴方(浄顕房)のためにも、当方のためにも安穏にいかないことになる、と教示されます。
そこで、貴方と義浄房とのニ人、この御房を読み手とし、
そして、読み上けた後は、この御房に預けておき、常々御聽聞するよう指示し、たびたびこうして聽聞すれば、大事の法門が心に入り、気づくこともあろうと述べ、本抄を終えられています。
大聖人様は本文の初めに、
「
と仰せです。これは後段の、
「詮なからん人々に
との御教示と呼応するものです。
これらの御文は、大事の法門に対し、聞く対象の器を選別した上での御指南です。
前の御文では、相手が親しくても、そうでなくても、大事の法門についてはを拝承できない人にはけっして説き示さない、との定義を示した上で、対象となる浄顕房・義浄房にも、よくこの意を心得て『報恩抄』に臨むよう、慎重を期して喚起されているのです。
大聖人様は、本抄で、
「随分大事の大事どもをかきて候ぞ」
と仰せの『報恩抄』において、通じては諸宗の謗法を破し、別しては真言・天台両宗の密教の
また本抄においても、この大事の法門を建立弘通するのは末法の法華経の行者であり、それは大聖人様御自身をおいて他にない旨を御示しになっています。
こうした
また、これに対する後段の御文では、清澄寺にあっても、浄顕房・義浄房以外には、この法門はけっして聞かせてはならないと
当時の清澄寺は密教や念仏が盛んな天台宗寺院であり、そこに住する大衆も大事の法門を信解できる
また、特に他宗との公場対決が予測されていたことも背景にありました。
このように、聞かせるべき器にない
大聖人様は『報恩抄』に、
「疑って云はく、二十八品の中に何れか肝心なる。(中略)答ふ、南無妙法蓮華経肝心なり。(中略)題目は法華経の心なり」(御書1032頁)
と仰せです。
この御文について、第二十六世日寬上人は『報恩抄文段』に、
「『法華経の心』とは本因所証の妙法なり云云。四信抄に云く『妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ』[1114]云云」(御書文段458頁)
と、法華経の心とは、本因所証の妙法、すなわち人法を
また、大聖人様は本抄において、
「此の文は随分大事の大事どもをかきて侯ぞ」
と、同送の『報恩抄』の中に、大事の中の大事の御法門を説き示されたことを明かされています。
これについて日寛上人は『報恩抄文段』に、
「
と、『報恩抄』において、本門の三大秘法の名義を顕わされたことを、「大事の大事」と教示されています。
『報恩抄』における当該の御文は、
「一つには日本乃至一
の箇所です。
そして、日寛上人は同文段に、
「吾が祖はこれを以て即ち師恩報謝に
と仰せられ、大聖人様が三大秘法の大事の法門を説き顕わされたことをもって、通じては四恩報謝、別しては師恩報謝に擬えられたことを教示されています。
御法主日如上人猊下は、
「今日、邪義邪宗の謗法がはびこり、ために世情が混乱し、戦争、
と御指南されています。
宗旨建立七百七十年の本年、宗祖日蓮大聖人様に仏恩報謝し奉るためにも、御本仏の大願である広宣流布達成に向かって、いよいよ折伏弘通に邁進してまいりましよう。